Light Years(43) : "THE LIGHT YEARS"
ミチル達がステージに上がろうとすると、階段手前で運営スタッフのお兄さんに「待ってください」と一旦止められた。ステージを見ると、司会のお姉さんがリアナ達と何か話し合って、リアナ達がお辞儀をして袖に歩いてくる。場をもたせてくれた礼を言われたのだろう。
戻ってきたリアナ達に、ミチル達はご機嫌取りも含めて、きちんと聴かなかった演奏に「良かったよ~」「お疲れ様」「ありがとう」などと述べておいた。すると、サトルが何やらニヤニヤしながら「どって事ねっスよー」と返してきた。キリカとアオイもニヤニヤ笑い、リアナは何か硬い表情をしている。何だ。
『はい、フュージョン部1年生の皆さんの飛び入り参加でした!』
司会のお姉さんの甲高い声が、少し熱気の引いた風に乗って響く。
『えー、ここで大変残念なお知らせがございます。本日出演を予定しておりました、ジャズボーカリストの木吉レミさんが、緊急の体調不良のため出演を見合わせる事になりました。お楽しみの皆さんには大変申し訳ございません』
お姉さんは頭を下げた。だが、ミチル達はその"体調不良"の理由を、スタッフから聞いて知っている。
「旅館で調子に乗って暴飲暴食して、腹壊したんだろ」
ジュナがボソリと真相を呟くと、周りのスタッフが蒼白になった。大人の社会では、偉い人や大物に対しては、真実であっても批判してはいけないのだ。が、女子高生のジュナはそんな事、知った事ではない。
「仕事に穴開けて女子高生に尻拭いさせといて、なにがプロだ」
「それ以上いけない」
マーコはジュナの後頭部をはたく。スタッフのお兄さん達は聞いてないフリをした。
だがその後ミチル達は、食べ過ぎ飲み過ぎでダウンして仕事に穴を開けたベテランボーカリストなど、どうでもいい事態に直面する。
『そこで、先程出演された南條科技高フュージョン部2年生の皆さんが、ラストまで再出演して頂く事になりました!』
司会の発表に、客席はがぜん盛り上がる。もはやベテランボーカリストの面目など、微風に乗って黄昏のかなたに吹き飛んだらしい。ミチル達は再び緊張に襲われたが、そのあと司会の言い放った一言で、サトル達のニヤニヤした表情の意味を悟ったのだった。スタッフのお兄さんは、いつでもOKの合図をお姉さんに送る。
『それでは再びの出演になります!南條科技高フュージョン部2年生あらため、フュージョンバンド"ザ・ライトイヤーズ"の皆さんです!!』
は?
ミチル達の脳内の五線譜が、線ごと消えて真っ白な自由帳になった。
ザ・ライトイヤーズ。映画トイ・ストーリーにそんなキャラがいなかったか。Light Yearsといえば、ついこの間学校で演奏した、チック・コリア・エレクトリック・バンドの名曲だ。
そのときミチル達は思い出した。1年生の誰かが、それをバンド名にすればいい、と言っていた事を。
「あいつら…」
やられた。さっき司会と話をしていた時、1年生たちはミチルたち2年生5人のバンド名を、勝手に決めて勝手に伝えたのだ。ムチャブリ登壇のささやかな仕返し、といったところだろう。
「どうするよ、ミチル」
ジュナはそう言うものの、もう今さらどうにもならない。ミチルは颯爽と、若干ヤケ気味に歩き出した。4人もやむなくそれに続く。
ステージ中央に立ち司会と入れ替わったミチルは、最前列でニヤニヤ笑いながら手を振る1年生たちをキッと睨んでから、マイクを握った。
『ただいま紹介に預かりました、フュージョン部2年生あらため、ザ・ライトイヤーズです。結成して、かれこれ2分経ちます』
もう、いい加減肝が座ってきたミチルは、大勢の客に向かってジョークを放つのも平気になっていた。それが本物の余裕だったのか、疲労と自暴自棄のなせる業だったのかはわからない。
ミチルはマイクをいったん離れて、振り向くとメンバー全員に確認を取った。メンバーが異論なし、といった様子で頷くと、ミチルはEWIを下げてマイクに向かった。
『それではラストまでお付き合いください。1曲目はT-SQUARE"Fantastic Story -時間旅行-"』
イントロの軽やかなキーボードが、照明に照らされたステージに流れる。まだ冷たさが残る春風を思わせるサウンドからドラムス、ベースが続き、わずかにオーバードライブがかかったギターが入った。
やがてEWIの柔らかく、どこか切ないサウンドがメロディーを奏で始める。それまでの切れと厚みのあるナンバーから、スムースに展開するナンバーへの変化は、オーディエンスに新鮮さをもたらした。
薫は、1曲目に予定していたスローなナンバーの"ガーティの夢"が省略された事に気づいて首を傾げた。曲数を減らしたのだろうか。もっとも突然セットリストを変える事くらい、このバンドには何の不思議もない。
そこで薫は、バンド名が事後承諾の形で決まってしまった事を受けて、以前ミチル達の活動について考えた事をふと思い出した。色々バタバタして結局話すのを忘れていたのだが、この機会に提案してみよう、と薫は考えた。
1曲目が終わったところで、ミチルは再びマイクの前に立った。
『私は小さいころ、叔父の車で聴いた、あるミュージシャンのサウンドに衝撃を受けてサックスを始めました。今こうして大勢の前で、その人の曲を演奏できる事に感謝します』
過去を懐かしむようにミチルは語った。ラジオの向こうで、啓おじさんは聴いているだろうか。
『キャンディ・ダルファー"Candy"』
知っている人がいるのか、客席から拍手と口笛がまばらに聴こえる。ミチルの左後ろで、マーコがリズムを取った。
それまでとうって変わって、ゴージャスなジャズファンクサウンドが響く。キャンディの、ともすれば下世話一歩手前の、華麗でありながら野性的な音がミチルは好きだった。キャンディを吹く時、彼女が降りてきているような気がする。あの人の輝くようなサウンドを、自分のサックスから出せるようになるのが、ひとつの目標だ。
他のみんなは、まるで疲れが吹き飛んだように演奏している。メインのミチルも負けられない、と思った。驚くのはクレハだ。パッと見は深窓のお嬢様という感じで、実際どうやらお嬢様らしいのだが、ベースを弾かせるとゴリゴリと唸るような、力強い演奏を聴かせるのだ。こんなファンクサウンドも、むしろ楽しそうに弾いている。案外、この音が彼女の本質なのかも知れない。しかし、一体何がきっかけでベースを始めたのかは、いまだメンバー間でも謎である。付き人らしきタカナシさんなら、知っているだろうか。
ファンクサウンドで一気に場の空気が変わったところで、間髪入れずタイトル紹介抜きで次の曲に移る。知る人ぞ知るJ-POPの名曲、鈴木結女"PARTY NITE"だ。ミチルは入部するまで知らなかったが、もう卒業した先輩に鈴木結女のファンがいて、特にサックスが入っている何曲かはフュージョン部の定番になっていた。
ジュナのハスキーボイスは鈴木結女の曲にピッタリで、キーも合うので違和感なく歌える。タイトルどおり軽快なナンバーは、かすかに星が見え始めた空と、街の夜景に重なって、音がキラキラと輝くようだった。客席も、立って手拍子する人、踊る人、さまざまだ。自分達もこんなふうにオーディエンスのボルテージを上げられるのか、とミチル達は感動を覚えながら演奏した。バックコーラスで参加するマヤとクレハも楽しそうだ。
歌い終わると、ステージも全員が満面の笑顔だった。
『どうもありがとーう!!』
リードボーカルを務めたジュナは、まだ明るさが残る星空に向かって拳を突き上げた。時間は6時40分くらい。いったん小休止の意味もあって、MCタイムに入ることにした。
『星が見えてきましたね』
ミチルは、少しずつ暗くなってゆく空を見上げる。
『"Light Years"は"光年"という意味です』
はるか天空の彼方にまばたく星を、客席の全員が見た。
『子供の頃から違和感があったんですけど、星までの距離はだいたい光年で表されますよね。科学の本に、夏の大三角のベガまでは25光年で、比較的"近い"って書いてたんです。どこが近いんだ、って思いませんか。光の速さで25年ですよ』
客席からは爆笑が返ってきた。マヤが呆れたように首を横に振っている。そういう事じゃねえよ、と。ミチルはミネラルウォーターを半分くらい一気に飲むと、サックスに手をかけた。
『何かを達成できて、極めた人達を"スター"と呼びます。とうてい辿り着けない場所に、辿り着いた人達です』
ふいに、ミチルの表情は真剣なものになる。
『聴いてください。チック・コリア・エレクトリック・バンド"Light Years"』
それはミチルたちの、バンド名を決めてくれた後輩たちへの回答だった。学校でこの曲を演奏したとき、1年生達はこれをミチル達のバンドの名前にしよう、と言ったのだ。
それまで演奏してきた曲とは全く異なる、超古典的なエレクトリック・サウンド。ジャズ、フュージョンのファンからは賛否があるらしいが、ミチル達はこの曲が好きだった。1年生のサトルは、この曲が「先輩たちみたいだ」と言っていた。自分達では、どこらへんがそうなのかわからない。
この曲でも、クレハのスラップが活躍した。ジュナはようやく、壁紙で装飾した自作デザインのテレキャスターの出番がきて嬉しそうだ。空間系エフェクターが効いて、いかにも電子楽器です、といった音になっている。
客席最前列に戻ったリアナたち4人は、ミチルたちの回答を、かすかな感動とともに受け止めた。自分達の強引な提案を、受け入れてくれたのだ。そして彼らは後々、事あるごとに自慢する事になる。彼女たちのバンド名を決めたのは自分達だ、と。
一方、ミチルたちが気付かない所で、ステージに真剣な表情を向ける一人の女性がいた。硬い雰囲気の服装で、一般客のように音楽を楽しんでいる様子はない。女性はスマートフォンを立ち上げると、素早い指の動きで何かの文章をタイプし、その後もステージに目と耳を向けていた。
チック・コリアの曲が終わると、ミチル達の表情がわずかに変わった。時間は18時46分。あと4曲やれば、依頼された19時過ぎまで、というミッションは完了する。それもあるが、いよいよ残りの曲は全てスクェアのナンバーだけになるのだ。
スクェア。初期にはTHE SQUAREとして誕生し、やがてアメリカでの活動を期に"T-SQUARE"となった、日本のフュージョン史のトップランナーと言っていい存在だ。その特徴は徹底してキャッチーなポップ・サウンドであり、源流となったはずの、海外のいわゆるクロスオーバー、フュージョンとは、ある意味で一線を画す。事実、彼ら自身は”ポップ・インストゥルメンタル・バンド”と称していて、実のところフュージョンという括りの中では、だいぶ特異な存在である。バンド史を見れば、その激しいメンバー交代に誰もが驚く。それでも、一貫して”スクェア・サウンド”というべき音があり、ミチル達もまたそれに魅了された少女たちだった。
ミチルたちは、もう何度目かわからない水分補給をする。マヤの足元にはレッドブルの空き缶が立っていた。ミチルはメンバーの顔色を見る。疲労は見えるが、全員大丈夫そうだ。ジュナとクレハは念のためチューニングを確認している。マーコは暑くなったのか、手首を保護していたリストバンドを外してしまった。
『音楽祭も、終了時間が見えて参りました。この二日間を締め括る大役を任された事に、メンバー一同、感謝します』
ミチル以下、全員が静かに礼をした。会場から拍手が送られる。
『残り数曲です。どうか、お付き合いください』
マーコのパーカッションとクレハのベースが、緊張感を伴うリズムを刻む。"NAB THAT CHAP!!"はベーシスト須藤満による作曲で、テクニカルなベースが全編に渡って響くハードなナンバーだ。ちなみに、クレハ愛用のベースギターは5弦である。
ミチルのサックスが入り、いつの間にかレスポールに持ち替えたジュナのギターが唸る。いつものように二人は、背中合わせのような位置で互いのパートを奏でていた。マヤのキーボードが、アクセントのように響く。
夕陽の中、街明かりを背景にハイウェイを疾走するような、熱く爽快なサウンド。会場の向こうに見える陸橋やビル群が、曲の雰囲気を盛り上げてくれていた。間奏では、ジュナのギターとミチルのサックスのソロが交互に入る。二人は互いの背中の熱さを感じながら、その音に気持ちをぶつけた。やがてジュナのソロが最後のサビに導き、曲はクライマックスを迎える。
"NAB THAT CHAP!!"から間髪入れず、”ROMANTIC CITY”へと移行する。これは、アルバム「NEW-S」の構成と全く同じだった。すでに学校でも演奏しているが、やはり難易度は高い。ちなみにこの曲はソプラノサックスが用いられるのだが、ソプラノの準備が面倒なので、高い音域までカバーできるEWIでやっつける事にした。ミチルはここで瞬時にアルトからEWIに切り替えるという離れ業を披露しているが、後に「絶対ムリだと思った」と述べている。
この曲は本来はアコースティックギターが必要なのだが、ジュナはやむなくエフェクターを全てオフにする事で対応した。間奏のギターからEWI、キーボードのソロが連続するパートでは、ジュナ、ミチル、マヤの3人は全力を出し切った。体力が限界に近付きつつある中で、渾身の演奏である。3年生たちは、いつもの冗談めかした表情を引っ込めて、後輩たちの演奏を一音たりとも聴き逃すまいと集中していた。
その迫真の演奏が客席にも伝わったのか、演奏が終わってからわずかに沈黙が訪れ、やがて怒涛のような拍手と歓声が起き、冗談抜きでステージが壊れるのではないか、とミチルたちは思ったのだった。
残り2曲。この時、ミチルの身体がわずかにふらつきを見せたため、メンバーに冷や汗が流れた。しかし、ミチルは気丈に踏ん張って、微笑んでみせた。ジュナはミチルに近寄って、耳まで1センチという所まで顔を寄せて訊ねる。
「大丈夫なのか」
「…あんたがいれば大丈夫」
「はん。いけそうだな」
二人は、手をガッシリと合わせて微笑んだ。互いの視線が交差する。いくぞ、相棒。
マーコのドラムが4/4拍子を刻む。”It's Magic”。ジュナはこの曲については、テレキャスターで対応した。このライブにおいて持ち替えのたびに、プロのバンドにローディが必要な意味を実感したらしい。コーラスエフェクターをかけたサウンドが、弾いていて心地よい。
ミチルも例によってアルトサックスに持ち替えた。ミチルはミチルで、1年生にローディをやらせればよかった、と後に真顔で語っている。曲じたいはそこまで難易度が高くもなく、ミチルは他のメンバーと絡みながら、楽しそうにサックスを吹いていた。前半で一か所だけ、ベースのスラップによるソロパートがあり、クレハは自慢のゆるふわロングヘアを汗で肌に貼り付かせながら弾き切った。もう、予定ではこれ以上厄介なパートはないはずだ、と思いながら。
ラストはミチルのサックスソロの爆発だった。一人の女子高生がここまで吹けるものなのか、という力強くテクニカルな演奏。アンコールがなければ、これで最後だ。長かったライブが、ようやく終わる。終わって欲しくもあるし、終わって欲しくないという気持ちもある。全員がそう思いながら、曲は華やかに終わりを迎えた。
ミチルは、拍手が起こる前に再びメンバー紹介をした。クレハ、マヤ、マーコ、ジュナ。この長い演奏をともにやり切った戦友だ。この4人とともに、こうしてずっと、ステージに立っていたい。もしそれが叶うなら、人生にそれ以外のものは望まない、とさえ思えた。空には星が煌めいている。
5人は深く、深くお辞儀をした。もう、終わりです。ありがとうございました。
だが、長い時が終わるには、まだ少しの時間が必要らしい。ステージに向かって、きょう二度目のアンコールが響き渡ったのは、その直後だった。