Light Years(160) : Chaos and Disorder
その噂がザ・ライトイヤーズの耳に入るのに、そう時間はかからなかった。クラスが近い千住クレハのもとを、吹奏楽部のアルトサックス担当、酒井三奈と桂真悠子の「元・お騒がせコンビ」が訪れた。
「どれくらい広まっているの」
クレハは真偽を確認するより先に、それを訊ねた。
「今のところは、SNSの一部ね。まだ、そこまで広まってはいないけど」
「安心もできないわ。もっとも、根も葉もない噂には過ぎないけど」
三奈と真悠子は、周囲を警戒するように言った。うっかりすると、生徒の間でまたデマが広がりかねない。皮肉な事に、かつてこうしたデマを広めた張本人がこの2人なのだが、彼女達はその罪滅ぼしに、ライトイヤーズに関する噂などを常にチェックしてくれているようだった。
「こんなこと、私達に出しゃばる資格がないのはわかってるけど」
「そんなことはないわ。教えてくれて、ありがとう。もし、何かまた動きがあったら…」
「すぐに伝える。それじゃ」
三奈は手短に伝えると、真悠子とともにクレハの教室を出て行った。
三奈と真悠子によると、デマの発火点は対バンしたローゼス・ミストラルのファンのグループらしかった。ふたりもクレハも即座に同じ結論に到達し、クレハは昼休み、それをバンドメンバーに伝えた。
「おそらく…いえ、間違いなく、クリスマスライブでボイコットに加担した人間が、デマを流した張本人ね」
「ライブハウス出禁になった腹いせってことか」
ジュナに、クレハは頷いた。それ以外に、考える事はできない。スマホに表示された、SNSの書き込みをクレハは示した。
『あんなクオリティ高い曲、女子高生に作れるわけない。裏にプロのゴーストライターがいるに決まってる』
『ほんこれ 今までウソついてたって事か』
『あの程度の演奏能力持った学生なんて、今どき珍しくないしな』
『ステファニー・カールソンの前座だって、金積んで出させてもらったんだろ』
ひととおり読んだミチルとマヤは、思わず吹き出してしまった。
「マヤ、クオリティ高い曲だって」
「褒めてもらって恐縮だわね」
口元は笑っているが、目は据わっていた。
「なるほどね。誰か、焚き付けるのが上手い人間がいるらしい」
「ゴーストライターとはね。そんな人に払えるお金があったら、こんな骨董品みたいな機材、後生大事に使ってないわ」
マヤは、傷だらけの無骨なマウントラックを見た。機材のノブを見ただけで年代物だとわかる。よく言えばヴィンテージ、要するに古い。もう20数年以上使われていない、dbxノイズリダクションまである。かつてのアナログテープのノイズを軽減するためのシステムだ。
「けど、世間というのは簡単に情報に踊らされるものよ。また以前のように、動画サイトでインフルエンサーみたいな人が話題にしたら、厄介な事になるわ」
クレハの指摘もその通りではある。以前、チャリティーコンサートに出演した際に、実は報酬を受け取っていたのではないか、などと吹聴されたのだ。
「今回の件で厄介なのは、作曲を自分達で行っているという証明ができない点よ。それを言い出したら、世の中のあらゆるアーティストが疑惑の対象になるけれど」
「実際、業界でゴーストライターなんて珍しくもないみたいだしな。あたしらだって例のメジャーレーベルにもし所属してたら、それこそ今ごろどっかのプロに曲を書いてもらって、名義はマヤとかミチルになってたのかも知れない」
ジュナは渋い顔をした。耳あたりのいい曲なんて、プロの作曲家ならお決まりのパターンを上手に組み合わせて、30分で書けるだろう。それを自分達の曲と偽って、ステージで演奏する。
「ある意味では、それを平然と受け入れるのもひとつのプロなんでしょうね。良し悪しは別として」
「問題は、いま流れてるウワサじゃ、あたしらにそういうゴーストライターがいる事になってる点だ。もし、手に負えないくらい騒ぎが大きくなったらどうする」
ジュナは、ミチルに強めの視線を向けた。ミチルは、これはそう簡単にはいかないような、嫌な予感がした。ミチル達にできる事は、基本的にひとつだけだ。噂を、根拠のない流言だと否定する。だが、作曲したという事実の証明を求められたらどうするのか。
「私達が否定しても、信じようとしない人は現れるでしょうね」
「それじゃ、黙ってるってのか?沈黙してたら
、噂が真実だって認めるようなもんだろ」
「最低限の意見はする。噂は事実無根だ、と。それ以上の事は、ひとまず何も言わない事。それでいいわね、クレハ」
ミチルは念のため、クレハの意見を求めた。こうした事態に対しては、誰よりも冷静で的確な判断を下せる。
「そうね。下手に反論だとかは、最初のうちはしない方がいいと思う。けれど、万が一今よりも騒動が大きくなった場合は、バンドとして正式に声明を発表するべきだわ」
クレハの提言に、ミチルは渋い顔をした。クレハは、フランス人形のような顔の眉間を強張らせて、さらに続ける。
「ミチル。あなたは、ミュージシャンが言葉で反論する事を、美しくないと考えているんでしょう」
それが、あまりに図星を突いていたので、ミチルは背筋を引きつらせて黙り込んだ。
「たとえ自分達に落ち度がないとしても、最低限の反論はするべきよ。言葉による反論が不本意だとしても、それをしなくてはならないのなら、逃げては駄目」
クレハにしては、珍しく強い口調だった。それに気圧され、ミチルは頷いた。
「わかった。そのための反論について、クレハ。あなたが指揮を取ってちょうだい」
「任せて、リーダー」
自信に満ちたクレハの態度は頼もしかった。だが、ミチルは自分たち自身の事よりも、ある意味ではもっと心配な事があった。
その夜、ミチルはひとつのメッセージを、3年生の佐々木ユメに送った。すでに本命の前期日程は終了しており、手応えはあったという連絡を受けていた。
『お勉強お疲れ様です。あとは後期日程だけですね、頑張ってください。うまく行くよう祈ってます』
それは表面的にはどうという事のない、後輩からの応援メッセージだった。だが、ほどなくしてユメ先輩から返信があった。
『ありがとう。ラスボスは大した事ないのがゲームのお約束だからね、まあ適当に片付けてくるよ』
相変わらず、さらりと言ってのける。だが、ユメ先輩なら本当にそうかも知れない。ミチルが返信の言葉を選んでいると、先に向こうから追伸があった。
『リンから聞いたよ、例のくだらない噂のこと』
ミチルは、ギクリとして硬直した。まさにその事を伝えようとしていたのだ。だが、ローゼス・ミストラルのリーダーと先輩は中学時代の友人であり、すでに情報を共有していても何の不思議もなかった。
『あんたの事だから、私達に無用な心配かけてないか、って思ったんでしょ。でなきゃ後期日程までまだ2週間近い、中途半端な時期に応援メッセージなんて送ってこないよ。どう?』
どうしてこうも、自分の周りには察しの良すぎる人間が多いのだろう。ミチルは半ば呆れて返信した。
『全部おっしゃる通りです』
『われながら冴えてるね。探偵社でも開くか』
ユメ先輩は全く余裕だ。後期日程にも、ネットの噂にも、全く動じていない。
『先に言っておくけどね、ミチル。私達3年生は、あんた達の事は心配してないよ。これっぽっちもね』
その、突き放した言い方が、今のミチルには有り難かった。そう、それを言って欲しかったのだ。
『だから、受験真っ只中の私達に影響があるかも知れない、なんて気に病む必要はない。わかった?』
さすがだ。もう、何もかもお見通しのうえ、何を伝えるべきかも完璧に理解していた。ミチルは、1年後にこれだけの人間になれているという自信がない。
『わかりました。私も先輩達の事、心配しない事にします』
『心配してくれないの!?傷ついた!もうだめだ、絶対落ちる』
『面倒くさい先輩だな!』
いきおい、つい普段のノリに戻ってしまう。どうやら、本当に心配はいらないようだ。
『まあ、あんた達自身に後ろ暗い所はないんだから、堂々としていればいいよ。とりあえず、後期日程終わったらもうフリーだから、デマ流した犯人とっちめて拷問でもするなら、協力するよ』
物騒な事を言い始めた先輩に、ミチルは白い目で返信した。
『受験勉強の努力をフイにしたいならどうぞ。その前に、クレハあたりが解決してるかも知れませんけどね』
『あの子怖いからね!』
『あっそうだ。誕生日のプレゼント、ありがとうございました。大事に使います』
ミチルは、唐突に前日の事を切り出した。先輩はしらばっくれる。
『何の事かしら』
『人違いだったでしょうか。誕生日プレゼントでヤナギサワのマウスピースを貰ったんですけど、パッケージの中に使い古したリードが入ってて、よく知っている先輩の筆跡で”おめでとう”って書いてあったんです』
『ふうん。いい先輩じゃない、きっとものすごく美人で聡明な人なんでしょうね』
『女性ってひと言も言ってませんけど』
先輩とのやり取りは本当に楽しい。そしてよくよく考えたら、先輩が卒業しても、現代はスマホひとつで当たり前に繋がれる事に気付いた。良いのか悪いのかわからないが、ミチルは良い面を受け容れる事にした。
『それじゃ、頑張ってくださいね』
『おう。終わったらデートに付き合えよ。色々儲かってるらしいから、おごってよ』
『タカリか!』
ミチルは笑いながらトーク画面を閉じた。先輩の事は心配要らないようだ。というか、心配して損した。お互いに、相手を心配していない事を確認し合う、というのは奇妙に聞こえるかも知れない。だけど、安心した時、人間は「もう心配ないね」と言う。先輩は、ミチル達が自分達で問題を乗り越えられる事を信じてくれているのだろう。それに、事態はあんがい大して拡大もせず、収束してしまう事だってあり得る。ミチルはひとまず、心配しない事にして、アルバム制作に向けた作曲に取り掛かった。
とりあえず、と断ったうえで、マヤがミチルにザ・ライトイヤーズのファーストアルバムの曲目を提案したのは、翌朝だった。
「これを叩き台として、みんなで曲順だとかを詰めて行こう」
そう言ってスマホのドキュメントアプリに示した曲順は、以下のようなものだった。
1.新曲 (アップテンポ)
2.Under the moon
3.Summer Days
4.Future Wind
5.Together
6.Twilight In Platform
7.Sarasvati
8.新曲 (バラード)
9.Shiny Cloud (リアレンジ)
10.Detective Witch (リアレンジ)
11.Dream Code (リアレンジ)
「ラストの3曲はボーナストラック扱いってことか」
ジュナが、相変わらずギターを抱えながらリストを睨んだ。うっかりすると、教室までギターを抱えて行ってしまいそうである。
「そうだね。すでにミニアルバム形式で発表している曲のリアレンジだから」
「2曲目がちょっと地味すぎないか」
「そのへんも、意見があったら言って。みんなで納得できる曲順にしよう」
みんなで納得できる曲順。それもけっこう難しそうだ。
「あたしはみんなに任せるよ」
マーコが、さっそく発言権を放棄する。いかにもマーコらしい。投げやりなのではなく、他のみんなを信頼しているからこそ言える事だ。それをわかっているので、マヤも頷いた。
「何にせよ、基本的に全曲が新録になるからね。といっても、まだやった事がないのは3曲だけど」
「1曲目の新曲っていうのは?」
「まだ考えてない。とりあえず、1曲目はミチル、8曲目のバラードは私で分担しようかと思ってる。なんならジュナ、またあんたが作ってもいいわよ」
マヤが話を振ると、ジュナは手をヒラヒラ振って辞退した。
「この間の曲で、もういっぱいいっぱいなんだ。お前たちに任せる。っていうか、これ本当に春までに録り終えられるのか」
「プリンスが変な記号で活動してた時出した、”カオス・アンド・ディスオーダー”っていうアルバム、1日だか2日だかで録音しちゃったんでしょ」
「あれは実際の制作期間は3年くらいだった、って事になってるぞ」
「ふうん。けど、やろうと思えば5月くらいまでならできるんじゃないかしら」
なんとも曖昧な目標設定である。だが、やはりマヤはマヤだった。
「とりあえず、アルバム制作とかもあるけれど、私達は学生。本分をおろそかにしないように」
「はーい」
全員が返事をしたものの、マヤはミチル、ジュナ、マーコの3名に白い目を向けた。本分をおろそかにしそうな3名である。
その日の昼休み、クレハのもとに真悠子が訪れ、再びネット上のデマについて連絡をくれた。
「まずい事になりそう」
その一言で、クレハはいよいよ身構えた。
「どういう状況なの」
「あなた達を攻撃する材料が増えている」
「盗作疑惑とか、そういう類の?」
クレハが訊ねると、真悠子は目を丸くした。
「さすがね。その通りよ」
真悠子が示したネット上の会話は、以下のようなものだった。
『【悲報】天才ガールズフュージョンバンドの曲が有名曲と完全一致wwww』
『これは言い逃れできないレベル』
『ゴーストライター疑惑より、こっちの方があり得るわ』
クレハは思わす吹き出した。いかにも現代の、ネットで活動する人間の思考パターンだ。
「ネット上でミュージシャンを攻撃するパターンは、だいたい決まってるわね。暴言、失言、揚げ足取り。そして盗作やゴーストライターの可能性の追求」
「あなたの言うとおり。ライトイヤーズの楽曲のフレーズを切り抜いて、既存の楽曲と酷似している、と主張している比較動画が、SNSだとかに流れてる」
「その時点で、私達と比較対象のアーティストの楽曲を無断でアップロードしている事に、気付いてるのかしら、その人達」
クレハは苦笑した。著作権法違反を追及する人達が、その検証の過程で著作権法に違反している。
「どうりで、公式ツイッターアカウントに変なコメントが目立っているわけね」
「千住さん、早いうちにコメントを出しておいた方がいいわ。黙っていると、あとあと厄介になる」
そう急き立てる真悠子に、クレハは静かに言った。
「クレハ、でいいわよ。真悠子」
友達でしょう、とクレハはその肩にポンと手を置いた。真悠子は感じ入った様子で、しかしやはり不安そうにクレハを見る。
「クレハ、私達にも手伝わせてくれるかしら」
「手伝う?」
「ええ。私達もSNSのアカウントは持っている。これでも吹奏楽部よ、音楽的に盗作でない事、偶然似てしまった事は説明できるつもり。デマに対して直接反論する役目を、私達にやらせて」
真悠子はそう言った。クレハは不安そうに訊ねる。
「あなた達のアカウントが、攻撃に晒されるかも知れないわよ」
「私達は以前、あなた達を攻撃した。その罪滅ぼしにもならないけど、せめてこれくらいの事はさせて」
その目があまりに真剣だったので、クレハはそれ以上何も言えなかった。ここで真悠子たちの意志を否定したら、それは彼女たちを赦してはいない、という宣言になる。
「わかったわ、ありがとう。ミチルには、私から説明しておく。けれど、無茶はしないでね。今は、どこから個人を特定されるかわからない、怖い時代よ」
「そんな事、私達が一番よく知っているわ」
真悠子は笑って、その場を立ち去った。その後ろ姿が、初めて素敵だとクレハは思った。真悠子と三奈は、ミチルの演奏能力への嫉妬から、以前のような行動に出たという。もともとは純粋に音楽を愛している少女達なのだ。何かのきっかけで、人は歪んでしまう。だが、こうして真悠子たちは、その自らの歪みを正す事ができた。それは凄い事だとクレハは思った。
そして、ボイコット騒動を起こしただけでは飽き足らず、今こうして執拗にザ・ライトイヤーズを攻撃してくる人間たちには、かつての三奈、真悠子に感じた憤りをはるかに上回る怒りを覚える。許せるものなら許すべきだ、という信念が、今ここで大きく揺らぐのをクレハは感じていた。