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Light Years(126) : 霊歌

 それまで、冒頭でのミチル達によるTHE ALFEEコピーも含め、ずっとボーカルのあるロックが続いていた所に、唐突にインストバンドが現れる。それもプログレフュージョンという、世間一般的にはマイナーなジャンルだ。
 だが、フュージョン部3年の"Electric Circuit"が目指すのは、マイナーな音楽を、個性はそのままに表舞台に持って行こうというコンセプトだった。ここで、J-POP出身のキーボード奏者、カリナの音楽性が生きて来る。マイナーな要素をメジャーでポップな表現に昇華するうえで、その役割は大きかった。キーボード奏者が実質的にサウンド・コンポーザーの役割を果たすスタイルは、奇しくも後輩であるザ・ライトイヤーズにも引き継がれる事になる。

「真面目に聴くと、先輩のギターって上手いよな」
「今まで真面目に聴いてなかったのか」
 ミチルは思わずジュナにツッコミを入れる。もっとも、フュージョン部のムードメーカー師弟だけに、あまり表面にストイックさを出す事はなかった。
 だが実のところ、ソウヘイは典型的な、表面でふざけていても中身は誰よりストイックというタイプである。ギター奏法の研究の深さはとてつもない。プレイスタイルという意味で敬愛するギタリストには、エドワード・ヴァン・ヘイレンと高見沢俊彦という対照的な2名を挙げており、2年生がヴァン・ヘイレン、THE ALFEEのコピーを演奏する事が多いのはソウヘイの影響である。
「あのアーミングが凄いんだ。あたしじゃ、まだ真似できない」
 いま流れている、シャーロック・ホームズをイメージしたアダルト・コンテンポラリー風のナンバー”Baker Street Calling”の間奏では、本当にさり気ない微妙なアーミングが、聴き手に微かな不安感を与える。ジャズギター式の演奏にアーミングを加える、という変則プレイがソウヘイ先輩のスタイルのひとつで、このアーミングは高見沢俊彦の影響だと、ソウヘイ先輩は公言している。
 そういえば、弟子のジュナは基本的にアーミングをやらないなとミチルは思う。そもそも好きじゃないのかと思っていたが、あまり得意ではないという事らしい。ジュナもわりと努力家なのだが、それでも避けていると言う事は、本当に苦手なのかも知れない。マスターすれば表現の幅は広がるだろう。
 3曲の演奏が終わったところで、ユメ先輩はボソッと言った。
『新曲です』
 それだけかよ。タイトルを言えよ。っていうかあなた達、受験勉強してるんじゃなかったんですか。受験大丈夫ですか。そんな後輩の不安をよそに、ショータ先輩がなんだか変則的なリズムを刻み始めた。ミチルが首を傾げていると、マヤがボソッと「5/4拍子ね」と解説してくれた。「ミッション・インポッシブルのテーマと同じ」なるほど。あれも普通のリズムだと思ってしまうが、実は変則パターンである。
 そう言われてみれば、ドラムといいギターといい、何となくミッション・インポッシブルに通じる雰囲気ではある。ユメ先輩はアルトサックスで、低めのトーンの断続的なリフを奏でた。そこまでは”リスペクト”的な雰囲気だが、そこから先のカリナ先輩のエレクトーンが凄い。ジャズピアノ風の演奏だが、微妙にリズムが他のパートとズレていて、曲全体に緊迫感を生み出している。
「ポリリズムだな。上手い」
 またもマヤの解説が入る。ポリリズムは雑に言うと、違う拍子を重ねる奏法だ。4拍と5拍はリズムが合わないが、4と5の最小公倍数、20拍のタイミングで周期が一致する。J-POPでなじみ深いアーティストの楽曲だと、Perfumeの読んで字のごとく”ポリリズム”の中盤で、かなり複雑なポリリズムが聴ける。
 いま先輩達が演奏しているこの曲は、基礎的なポリリズムの再現だ。ミチルたちの楽曲にも、ほんのアクセントでこのアレンジを取り入れた箇所はあるが、ここまで全編にわたったものはない。しかも、よくよく聴いていると、ギターも途中で3拍子になっている箇所があった。つまりこの曲は、3、4、5という3種類のリズムが用いられている事になる。
「変態だ」
 ジュナの呟きが全てを表していた。天才、ではなく変態、である。出演を終えた他のバンドの面々は、呆れているのか如何ともしがたい表情を一様に浮かべていた。D.R.Sのギターさんが眉間にシワを寄せて訊ねる。
「あなた達がよくやる変拍子もそうだけど、こういうリズムって、頭おかしくならないの?」
「おかしくなりますよ!」
 ケロッとした様子でマヤが答えると、ミチル達も同意した。
「…頭おかしくなるのに、なんでやるの?」
「うーん、最初は発狂しそうになるんですけど。だんだんその、発狂寸前の感覚が、快感に変わるっていうか…」
 マヤに誰も異論を唱えないザ・ライトイヤーズの面々に、先輩バンドの面々は可哀想な生き物を見るような視線を向けた。小田さんがまじめな顔で問い質す。
「お前達をそんな風にしたのはどこのどいつだ!」
「本田雅人かな」
「本田雅人でしょ」
「本田雅人だね」
「高見沢もいるぞ」
「本田雅人だよ」
 多数決で、ザ・ライトイヤーズを変拍子中毒に調教した犯人は本田雅人。情状酌量の余地があるのは高見沢俊彦、という判決がこのとき下されたのだった。

 いちおうバンドの持ち時間は30分を目安にしているのだが、ユメ先輩達は7分だとか比較的長めの曲があり、他のバンドがだいたい6曲で収める中、5曲で時間をわずかにオーバーしてしまう。そのセトリ最後の曲は、サブスクで最も再生数が多いナンバー、"Blue Nebula"である。
 まるで80年代のSF映画のテーマ曲のような、壮大なスケール感。ものすごく雑に言うなら、"インディー・ジョーンズ"のテーマをもっとダークファンタジー寄りにして、プログレにアレンジしたとでも言えばいいだろうか。
 今までスピーカーやヘッドホンで聴いていたが、久しぶりにステージ、しかも野外のサウンドで聴くと、曲の雄大さがよくわかる。ちなみに作曲はカリナ先輩である。
「改めて聴くと、先輩達ってすげえな」
 ジュナは唸りながら、ステージに上がる準備をしていた。ソウヘイ先輩のギターは、空間系エフェクターとアーミングを思い切り強めにかけていて、ほとんどシンセである。ちらりとオーディエンスを見ると、普通のロックのようなタテノリはしていないが、サウンドのスケール感に圧倒されている。
 どう考えても凄い曲なのだが、注目を集めているとは言い難い。日本国内で相手にされない間に、イギリスのレーベルから声がかかってしまった。楽曲へのアクセスのほとんどは欧米からで、その点は不思議とミチル達も同様だった。
 だが、やはり同じ日本人からの反応が欲しい、というのは先輩達もあるらしい。なぜ、レベルの高い楽曲を作っても、日本で受けないのか。仮にこのまま、ミチル達はアメリカで、先輩達はヨーロッパで評価を得たとしても、母国で評価されない事には寂しさを覚えるかも知れない。
 そこまで考えて、自分たちはまだ高校生なんだよな、とミチルは我に返った。先の事なんか、わかる筈もない。今できる事をやろう。
「準備いいか、相棒」
 ジュナは、愛機のレスポールを手にミチルの肩に手を置いた。ミチルは無言で頷く。先輩たちの演奏がクライマックスを迎え、5人は円陣を組むように立ち上がり、手を重ね合わせた。
「マヤ、お願い」
 ミチルは号令係をマヤに託す。マヤはいつものスローガンを掲げた。
「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に!」
「臨機応変に!」
「ライトイヤーズ!レディー…」
「ゴー!」

 ユメ先輩達が、やりきった表情で戻って来る。ミチル達はすれ違いざま、手をタッチした。ユメ先輩の汗が、ミチルの手ににじむ。
「後は任せたよ」
「任しといてください!」
 先輩達の足音が後方に消えていき、何千ものオーディエンスの歓声がそれに取って代わった。今度はコピーバンドとしてではない。正真正銘のフュージョンバンド、ザ・ライトイヤーズだ。

 改めて見ると、凄い光景だ。ステージとは名ばかりの、山火事で焼けた土塁の上に自分たちはいる。眼下には、焼けた野原に集まった群衆。それにしても、いくら何でも集まり過ぎではないか。後ろの方の人は、下手をすると、湖面に落ちそうにさえ見える。誰か溺れたら責任問題になるのではないか。あらぬ事を考えながらも、素早く機材をセッティングしていった。
 ジュナは最近、もうライブではマルチエフェクターの軽快さに慣れてしまったらしい。壊れた部室のマルチに代わってジュナが自分で買ったのは、意外にもデジタルのマルチだった。なんとなくギタリストはアナログにこだわりそうな気がしたのだが、デジタルは設定に狂いが出ないメリットがある、との事だった。なるほど。
 ベーシストのクレハはあまりエフェクターにこだわりがないようで、ショータ先輩から格安で買ったZOOMのB3nというマルチをとりあえず使っているが、本人いわく機能の7割は使ったことがないらしい。フュージョンなので、ロックほど極端な音作りはしない事もあるかも知れない。
 ミチルは今のところサックスやEWIオンリーでエフェクターは要らないのだが、ユメ先輩はEWI用にBOSSのマルチを使っている。向こうはプログレフュージョンなので、色々と音色の幅が必要なのだろう。

 セッティングを終え、ミチルはセンターに立つ。11月も末、陽が傾くのは早い。アルトサックスは、以前のジャズフェスの時よりもさらに冷たかった。
『みんな、寒い中ありがとう!私達で、いよいよ最後です!あと30分、お付き合いください!』
 パラパラと、拍手と歓声が起きた。パンク、ハードロック、メロコア、メタル、プログレフュージョンと、2時間あまりの間に展開された多彩なサウンドの最後を、ミチル達が締めくくる。
 ミチルはサックスを構えて、マヤに合図した。オープニングはジャズフェスと同じ、”Detective Witch”だ。ハリーポッター風にアレンジした、イギリスの探偵ドラマっぽいナンバー。説明するとややこしいが、そのサウンドは不思議であり、勇壮でもあり、軽快でもあり、不穏でもある。音の厚みやエフェクトの過激さでは、ユメ先輩たちのナンバーの方が迫力があるが、こちらはリッピントンズやシャカタクといった正統的フュージョンの延長線上にあるサウンドだ。

 いつも不安になるのは、自分達のフュージョンが受け容れられるのか、ということだ。今どうにか、ある程度の知名度は獲得したように思えるが、それは単に話題性のためで、半年も経てば、もう忘れられてしまうのではないか。どうしても、その不安が拭えない。人気なんてものは、一過性のものではないのか。
 だが、ミチルの心に突如として生じた迷いをかき消すように、ジュナのギターが轟いた。その後はミチルが、メインのメロディーを吹かなくてはならない。この期に及んで、自分は何を迷っているのか。その時ミチルは、ついさっきこのサックスを貸した、アンジェリーカを思い出した。後輩たちが今、演奏を聴いている。自分の不安がどうであれ、彼女たちの前で、みっともない演奏はできない。何より、このゲリラライブを企画したのは自分達ではないか。
 ミチルは、己の迷いを振り払うように、サックスを吹いた。迷ってもいい。悩んでもいい。それでも、やるべき事をやろう。今こうして目の前にいる何千のオーディエンスは、幻でも何でもないのだ。

 1曲目の演奏が終わり、かげりを見せる空にオーディエンスの声が響く。さすがにみんな疲れてきたのか、下がって来た気温のせいか、少しだけトーンは弱まったように聞こえる。無理もない。ミチル自身、冷たいサックスと格闘してどうにか乗り切ったのだ。
『えー、今日のライブを支えてくれている、頼もしい助っ人を紹介します。見えない人もいると思うけど、あっちの奥に見える、シルバーの電源車』
 謎のメンバー紹介に、拍手が起こった。バンドリーダーから紹介された電源車も世界初ではないだろうか。
『あれ、実は水素で動いています。なんだっけ。なんとかと反応させてトルエンにした、自宅で保管できる液化水素だっけ?』
『太陽光エネで生成してトルエンと反応させてメチルシクロヘキサンに変換した、常温で保管できる液化水素!』
 マヤが、情報めちゃくちゃのリーダーの解説を修正して説明した。よくメチルなんとかの名前を記憶してるな。
『じゃあマヤが説明してよ。わかんなくなってきた』
『そこの中学生くらいの子、聞いた?こんなんでも、科学技術工業高校に入れるからね』
 マヤのトークに、湖畔は爆笑に包まれる。いつしか、周辺の街の人達の姿も見えていた。そのままマヤが解説に回る。
『いま電源車3時間くらい稼働してるけど、燃料満タンで100時間稼働できるみたいだから、やろうと思えばあと4日くらいノンストップでライブできる事になるけど、どう?楽屋にいるみんな』
 すると、袖からさっきステージに上がった面々が顔を見せ、ふざけるな、殺す気か、お前らだけでやれ、などと口々に叫んだ。オールナイトを超える100時間ライブ。
『アメリカでギター114時間弾いてギネスに載った人もいるよね、ジュナ』
『やらねーよ!電源落として帰るよ!』
『えー、こういうやり取りができる友達っていうのは貴重です。お金に困った時のためにも、友情は継続しておきたいものですね。そういう気持ちを込めて作りました。"Friends"』
 どういうつなぎ方だよ、と突っ込むヒマもなく、マヤがイントロを奏で、ジュナのギターが入った。シンプルで軽やかなサウンド。メロディーを小節の途中で他のパートにバトンタッチするなど、実は小技が必要なナンバーだが、聴いている方は演奏の難しさに気付かない。
 いつもはそれなりに真面目な雰囲気を保つようにしているが、今日はゲリラライブという事もあってか、みんななんとなく緩かった。クレハも、いつになくニコニコしてベースを弾いている。そのとき、ミチルはオーディエンスを見て、他のバンドと変わらず、身体でリズムを取っている事に気が付いた。
 いや、微妙に違う。さっきまでのノリと、同じようでいて、何かが違う。
(なんだ?)
 ミチルは、そのオーディエンスが見せる動きのパターンに、何か既視感があった。どこかで見た。何かの音楽で。左右に揺れながら手拍子を叩く、横方向のノリ。横ノリ。その時、ミチルは思い出した。1年以上前、ユメ先輩から教わった話だ。

『ジャズは横ノリの音楽。ロックは縦ノリ。なんでかわかる?それは、ジャズの源流ともいえる音楽にある』

 その瞬間、ミチルの脳裏に、誰もが知る映画のシーンが浮かび上がった。修道服を着て歌い踊る、ウーピー・ゴールドバーグとシスターたち。そう、”天使にラブソングを”だ。いま、目の前のオーディエンスが見せているのは、あの映画の修道女たちの動きにそっくりなのだ!
 ユメ先輩は教えてくれた。ジャズの源流を辿って行くと、最後の最後にはかつてアフリカからアメリカに連れて来られた、黒人奴隷による”霊歌”に行き着く。過酷で理不尽な労働を強いられた黒人たちが、心を癒すため、あるいは怒りや憤懣を発露するために、黒人霊歌は生まれた。それはブルースとなり、そこにアフリカの太鼓の文化が融合して、ニューオーリンズ等の土地で”ジャズ”が誕生したのだ。やがてそれはリズムアンドブルースなどの流れと平行し、入り混じり、"ロックンロール"にも発展する。
 ミチルたちのフュージョンの源流は紛れもなくジャズであり、ロックのエッセンスも内包する。極論すれば、フュージョンの起源もまた”黒人霊歌”に行き着くのではないか。黒人のリズムは”横ノリ”だとされている。いま、ミチル達の目の前で、オーディエンスは確かに、横に揺れてリズムを取っている!

 ミチルは、夢に出て来たあのジャズミュージシャンの言葉を思い出していた。”光の道を行きなさい”と。あれが単にミチルの意識から”生成”された夢だったのか、それとも本当にあの故人が現れたのか、それはわからない。だが、ミチルはこの時、なんとなく自分の行くべき”道”がわかったような気がした。

 空はもう、赤く染まり始めている。


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