Light Years(144) : ソウルコックリさん
「なんにもなかったの!?」
鈴木アオイは26日の昼、ファーストフード店で長嶺キリカに詰め寄った。キリカは呆れたように、というより実際に呆れて答えた。
「そりゃ、何かはあったわよ。ゲーセン行って、楽器屋さん行って、夕飯一緒に食べて。けど、まああなたが期待しているような、それ以上の"何か"はなかったの。デートには違いないだろうけど」
「信じらんない。お膳立てしてあげた甲斐がない」
「それがお節介なの!っていうかアオイ、あなた私達を必死にくっつけようとしてるけど、そもそもあっちにそういう気がない可能性は考えないわけ?」
ここで、レフェリーがスパイシーチリバーガーとレッドホットナンドッグを運んできたので、一瞬間を置いて試合が再開した。
2人が何を言い合っているのかと言うと、一昨日のクリスマスについてである。キリカ達フュージョン部1年生は6人でカラオケ、ボーリングと世間並みの高校生らしいクリスマスを楽しんでいたのだが、目の前にいる鈴木アオイが無用なお節介をして、「ここからは若い人どうしで」などと謎の文言を添えつつ、キリカと獅子王サトルを2人きりでアーケード街の交差点に放置したのだ。
どうも、夏の海辺の"漫画家志望おじさん飛込未遂事件"以来、キリカとサトルの仲が急展開している、という空気が出来ているらしい。が、アオイは思い違いをしている。
「この際だからアオイ、明確にしておこうか。…ほら、ソースついてる」
キリカはナプキンで、頬骨のあたりについたサルサソースを拭ってやった。どう食べればそんな所につくんだ。
「私とサトル、お互いに今のところ、恋愛感情はない」
「またまた~」
「あのね」
呆れたように白い目を向けると、ようやく理解し始めたようだった。チリバーガーを飲み込むと、真顔でアオイは訊いてきた。
「…まじで?」
「だからそう言ってるじゃない。サトルとも互いに確認したよ。サトルも、今は私達は大事な友達であって、まだ恋愛の対象には思ってない、って。もちろん人間どうなるかわかんないし、今後そういう進展がないとは言い切れないかもだけど、今は"こりあんだー"っていうチームで、同時にフュージョン部の仲間である事に満足してるそうよ」
キリカは呆れてため息をつくと、アイスティーをひと口飲んで微笑んだ。
「ま、アオイに悪気がないのは知ってるよ。あんた昔から、いい奴だもんね」
「それは知ってるけど」
「謙遜って言葉を辞書で引いてこい」
ナンドッグを片付けてポテトをつまみながら、キリカは少しだけ真面目な顔をした。
「まあ、あなたの気持ちを無碍にする気はないから言っておくけど、サトルの事は好きか嫌いかで言えば、間違いなく前者だよ」
その一言で、アオイの顔がパッと晴れわたった。わかりやすい子だ。
「けど、なんていうか…まだ、そこまで異性として意識してるか、って言われたら、ブレーキがかかる。というより、今の友達としての関係を大事にできないようじゃ、仮に付き合ったとしても上手く行かない気がするんだ」
「キリカ、それ十分真面目に考えてると思うよ」
「そうなのかな」
キリカには何とも言えない。サトルと一緒にいるのは、あまりにも自然体で、ときめきとか、ドキドキ感がないのだ。
「まあ、あいつの事は頼りにはしてるけどね。エクソシストとしても」
その一言で、アオイがコーラを吹きかけて、鼻に入ってゲホゲホいいだした。
「ドリンク飲んでる時に、それ言わないで」
キリカ達"こりあんだー"の3人が出会ったのは、中学2年の春。もともとキリカとアオイは友人どうしで、どっちもネット投稿動画を観るのが好きだった。特にキリカはキーボードが趣味でもあり、音楽系のクリエイティブな配信者が憧れだった。一方アオイは、小物を作ったり、パソコンのプログラムをいじったりするのが得意だった。
「私達も作れないかな、動画」
放課後、帰り際アオイがポツリと言ったのが、始まりだった。どっちも部活には所属しておらず、時間はある。そこで、アオイがトークの台本作りとボイスロイドの打ち込みをして、キリカがごく簡単なBGMを作る所から始めた。試験的に作った最初の動画"学校裏に放置してあった餅をこねる例のアレでベイブレードデスマッチ"なる動画がまあまあの出来で、手応えを得られた。
だが、打ち込みのパーカッションはどうも面白みに欠ける。そこでアオイが、兄貴が買ったはいいものの覚えられずタンスの肥やしになっていた、デジタルパーカッションを持ち出してきた。まあまあ叩けるので、キリカの打ち込みのベースに2人がキーボードとパーカッションを重ねる、という基本体制が出来上がる。
まだこの時点では、"こりあんだー"というユニット名は決まっていない。そこで、2人はあまりスマートとはいえないが、動画的には面白いネタを、ネーミング企画として撮影する事にした。イギリスでいう所のウィジャ盤、要するにコックリさんに決めてもらうという事である。
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでになりましたら、"はい"と…」
オカルト同好会の3人にも参加してもらい、同好会部室でアオイ以外の4人がテーブルと文字の書かれた盤を囲んでいた。アオイはこの時からすでに撮影役である。4人が指を置いたコインが、「い」の上にあるのがスマホの液晶に映っている。
「動画配信ユニットの名前を考えています。いい案がありましたらお教えください…」
キリカが訊ねると、コインはビックリするほどスイスイと動いて、「こ」「り」「あ」「ん」「だ」「ー」と動いて行った。4人は怪訝そうに互いを見る。
「"こりあんだー"で間違いないですか」
オカルト同好会の1人が訊ねると、こっくりさんは「はい」と答えた。どうやら、"こりあんだー"でいいらしい。なぜ香辛料の名前なのか、その場の5人にはわからない。
「ありがとうございました。どうぞお帰りください」
丁寧にお辞儀をする。が、ここで問題が起きた。こっくりさんがお帰りにならないのである。何度、お帰りくださいと言っても、鳥居のマークにコインは動かない。
「焦らないで。強引に打ち切っては絶対だめ」
オカルト同好会の先輩が言うので、キリカ達はじっと待つ事にした。
すると、驚くべき事が起きた。ラップ音である。例えるなら緩衝材のプチプチの巨大なやつをグーパンチで割るような、パチン!という音が部屋の中で断続的に起きるのだ。
「ひっ!」
「おっ、お帰りください!」
「お帰りください!」
もう全員、半狂乱一歩手前だった。
アオイは、誰かに助けを求めるため、部屋を出る。といって、具体的に誰にどう助けてもらうのかは不明だが。
そうして廊下を走っていると、ギターのソフトケースを背負った、背の高い男子がいた。獅子王サトル。アオイはほとんど面識はないが、キリカとは小学校からの知り合いだったはずだ。
「さっ、サトル君、助けて!」
「あ?」
サトル君は、左手に何やらプリントを持っている。なんとか届、と書いてあるが、今そんなことはどうでもいい。サトル君の手を引っ張って、オカルト同好会の部室に戻った。サトル君は突然の事に、面食らっている。当たり前である。
「なんなんだよ!」
「キリカ!」
ドアを開けて、キリカ達4人を見る。すると、4人は放心状態で盤の上のコインを見つめていた。
「キリカ?」
「…帰ったよ」
額に汗を浮かべて、キリカがアオイを見た。どういうことだ、とコインを見ると、コインはきちんと鳥居のマークに止まっている。どうやら、こっくりさんはお帰りになったらしい。アオイは、その後のキリカの説明に驚いた。
「あんた達の足音が近付いてきた途端、すごいスピードで鳥居にコインが動いたの。まるで、猛犬に怯えて逃げるネコみたいに」
「ええっ!?」
どういう事だ。アオイが訝っていると、同行させられてここまで来たサトル君が、ドン引きしつつ訊ねた。
「…お前ら、何やってんだ?」
中学時代の事件を、キリカとアオイは懐かしく思い起こした。
「あれ、間違いなくサトルだよね」
キリカは半笑いで、こっくりさんが猛スピードで鳥居に帰った光景を思い返す。あんなにダイナミックに動くものなのか、と思ったほどだ。
「サトルでしょ。サトル本人なのか、守護霊なのかわからないけど、とにかくサトルがあそこに近付いてきただけで、こいつはヤバい、っていなくなったんだと思う」
「オカルト同好会の人は、サトルの守護霊がヤバいに違いない、って言ってたよね」
「具体的にどうヤバいんだ、って話だけど」
あの時サトルは、所属していた軽音部とソリが合わなくなり、新入部員が入ったタイミングで退部届を提出しようとしていた。どういう偶然なのか知らないが、降りる階段を間違えたために、アオイと鉢合わせしたらしい。
そのあと、一体何をやってたんだとサトルから問い詰められた流れで、動画制作をしている事を教えた。サトルはありきたりの曲しかやらない軽音部に飽きていたところで、ロックバンドではないが面白そうだ、とその後ギターで動画制作にゲスト参加したのだが、結局そのままユニットに加わって、現在に至るのだった。
獅子王サトルが自宅でベースのスラップ奏法を練習していると、キリカから懐かしい話題のメッセージが届いた。アオイとの話の流れで、2年以上前の事を思い出したらしい。
『結局あんたに憑いてる守護霊って、どんなのなんだろうね』
『守護霊なんてものが本当にいるのか、知らないけどな』
サトルに霊感はない。守護霊というのも見たことがないし、声も聞いた事はない。そんなもの、人間が創り上げた都合のいい想像の産物ではないのか、という気がする。
『ホントに守護霊がいるなら、先輩達がトラブルに遭いまくってるの、どう説明すんだよ。今回のクリスマスライブの、ボイコット騒ぎだってそうだろ。守護霊とか神様ってのは、守護してる人間が酷い目に遭ってるのを、眺めてるだけなのか。そんなの、俺だって今すぐやれそうなもんだ』
だいぶ穿った性格なのは自覚している。案の定、キリカがツッコミを入れてきた。
『あんた、そういう事言ってると祟られるよ』
『上等だ。悪口言われてすぐキレるぐらいなら、守護霊だか何だかの器もその程度ってことだろ』
そのあとキリカと他愛無い会話をしたあと、キリカが夏の海に行った時の話をしたため、ふと、あの海で投身しようとしていた、59歳だかの漫画家志望のおっさんを思い出した。あの人は今、どうしているだろう。
トークを終えてLINEを閉じると、指が滑って開く気もしなかったニュースサイトを開いてしまった。また、暴露系だか何だかの気分が悪くなる見出しが見えて、眉をしかめてバックボタンを押そうとした、その時だった。
"投身未遂60歳自営業生花店主、漫画家デビュー"
なに!?
まさかと思って記事をタップすると、本文の上の写真で見覚えのある白髪混じりのおっさんが、なんだか苦い笑みを浮かべていた。
「あのおっさんだ!」
サトルは、心臓が止まるかと思った。さっき、この人の事を思い出した直後の事である。っていうかあの人、生花店の店主だったのか。記事によると、投身未遂でニュースになったあと、おっさんがWEBの漫画投稿サービスにアップしている作品に目を留めた編集者がいたのだという。ストーリーも画力も凄まじく、その編集者いわく、『これほどの才能が今まで誰の目にも留まらなかった事は、意味不明としか言いようがない』だそうだ。
ほぼ世界観が固まっている作品原案がすでに13作品もあり、そのほとんどがヒットする要素を備えているという。どれから手をつければいいか、声をかけた編集部では頭を抱えているらしい。ひとまず、4ページ程度のショートショートから試験的に連載が始まる事になった。ギャグからスペースオペラまで、あり得ないほど作品の幅が広いらしかった。
この件について当のおっさんはというと、
『藤子・F・不二雄が亡くなった62歳という年齢まで、あと2年です。どれだけやれるかわかりませんが、精々頑張ります』
と、前向きなんだかネガティブなんだかわからない。もっと長生きしてる漫画家もいるだろうに。歳取ると性格ひねくれるんだろうか。だがその後、おっさんは夏の出来事について付け加えていた。
『とにかく今は、命を救ってくれた、あの少年達に感謝しています。いずれ改めてお礼をしたい、と思っています』
サトルはギクリとした。そう、その少年とは他ならない、この獅子王サトル本人だからだ。あの時はただ、目の前で人に死なれたら最悪の気分で帰る事になる、としか思っていなかった。7割近くは、自分の心の安定のために助けたのだ。
今になると、単純に助かって良かったな、とは思う。ただ、こうして歳を取ってから夢が叶った事については、複雑だった。なんでもっと早く、あのおっさんの才能に誰か目を留めてやらなかったんだ、と思う。あと10年でも早くデビューできていれば、既に作品がいくつも世に出ていただろうに。
そんなこと言い出したら、キリがないのはわかっている。人類の歴史上、どうしても叶えたい夢を生涯抱えて、ついに何ひとつ得られずに死んで行った人など、何十億人もいるだろう。サトルがそれについて思い悩んだところで、途方もない思い上がりである。その人の気持ちは、その人にしかわからない。
とりあえずサトルは、1年と2年のLINEグループにその記事を送信したが、モヤモヤがおさまらない。そこで何の気なしにジュナ先輩がサブスクに作っている、「邦楽ロックのプレイリストその2」を開いた。するとこれもどういう偶然か、1曲目にある筋肉少女帯の1992年の曲”ソウルコックリさん”が目についた。アルバム”エリーゼのために”の3曲目だ。吉幾三”俺ら東京さ行ぐだ”のパロディ―で、なんというか、色々こじらせた自己嫌悪の独白。コミックソング一歩手前なのだが、そこは筋肉少女帯。変な事をやっていてもなぜかカッコいい。ジュナ先輩のせいで変なロックばかり脳に記憶されていくサトルだった。だいたいジュナ先輩のせいだ。
再生しながら、ベースラインを弾いてみる。恐ろしく単純で、ひねりも何もないベース。人間のコンプレックスをそのまま歌う曲は投稿動画でよくあるけれど、何十年も前に筋肉少女帯がとっくに歌い尽くしていたのが、この1曲だけでわかる。こんど、バンドで筋肉少女帯のコピーやってみるかな。リアナとかアンジェリーカはあまり興味ないかも知れないけど。