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Light Years(166) : CRY FOR THE MOON

 仁藤和也と、そのバンド仲間達は明らかに、クレハ達の演奏への評価に反応を見せた。
「そうなんです。ちょっと聴いただけだと、ものすごくテクニカルで正確性の高い演奏に聴こえます。けれど、よく聴くと情感だとか、力のこもった、楽譜には表せないような領域の表現は、それほど厚みがありません」
 クレハは、模倣バンドの演奏についてそう表現した。
「何というか、譜面どおりに正確に弾いている、教科書的な印象を受けます」
 その表現に、今度は仁藤和也がギクリとして顔を引きつらせた。
「どうなさいました?」
「いっ、いや…なるほど、鋭い分析だなと思って」
「鋭いというのは?」
「さすが、噂のザ・ライトイヤーズだ。他のアーティストの分析力も冴えてるって事なんだな」
 すると、クレハはそこでクスリと笑った。
「いいえ。先輩方には敵いません。そうでしょう、"ザ・ライトイヤーズ"のみなさん」
 クレハは、唐突にそう断言した。そう言われた5人はおろか、後ろのジュナとマーコまでもが声をあげる。
「なに!?」
「どーいうこと!?」
 どうやら本当に驚いているらしい。この結論に辿り着いたのは、クレハだけのようだった。クレハが一歩踏み出して優雅に腕を組むと、ライトイヤーズと呼ばれた5人はその分だけ後ずさった。
「なっ、何を…いやだな、ライトイヤーズは君達だろう」
「では、ハッキリ申し上げましょう。私達ザ・ライトイヤーズを模倣して音源をアップロードしていたのは、仁藤和也先輩、そして後ろの皆さん。あなた達です」
 クレハは某名探偵のごとく、何の疑いもなく仁藤和也を指さして断言した。その真っ直ぐな眼光に、仁藤以下の5人は硬直して、ひと言も返せない。この寒空で、額に脂汗を浮かべている者さえいる。
「…マジなのか」
 ジュナが、まだ飲み込めてはいないものの、その様子からそれが真実らしいと悟り、怒りの色を浮かべて一歩踏み出した。
「あんた達なのか。あんな、ふざけた真似をしてくれたのは」
「ひっ、人聞きが悪いな。そんな証拠がどこにある」
 すると、クレハがまた口を開いた。
「証拠は今、みなさんの誰かがお持ちなのではないですか?SDカードか、HDDか、SSDか、あるいはUSBメモリかはわかりませんが、私達に聞かれてはまずい音源を、お持ちなのではないですか」
 そこで、ギターケースを抱えたロングヘアの男性が、目に見えて動揺した。左右のメンバーが、たしなめるような視線を向ける。クレハは、少しばかり怒気のこもった笑みを浮かべた。
「こちらも手の内を明かしましょう。あの、向こうで控えている私の運転手。彼は小鳥遊という探偵です」
「たっ、探偵!?」
「そうです。仁藤和也さん、あなたが先月、大学の春休みでこちらのご実家に帰省された事は調べがついています。他のメンバーのみなさんも。そして、この顔なじみのレコーディングスタジオに、ここしばらく通い続けている事も」
 それを聞いて、ジュナとマーコがハッと何かに気付いた。
「おいクレハ、まさか…」
「そうよ。私達を模倣した、あのライトイヤーズを名乗るバンドがネットに現れた時期と、この人達がスタジオを借り始めた時期は、一致しているの」
 この指摘で5人の表情が変化するのを、クレハ達は見た。それまでの取り繕ったような表情から、わずかに悪意をにじませた、開き直ったような表情だ。
「どうも、僕の後輩達は音楽部ではなく、ミステリ研究会にでもなっていたみたいだな。けれど、たまたまその時期が一致したからと言って、君が考えているような音源を収録していたと断定できる根拠はなんだい」
 ここでクレハが答えないので、仁藤和也はさらに続けた。
「そもそも、仮に君の推理が正しいとして、僕らが君達に嫌がらせをする動機は何だ?面識もないのに」
「動機は、私達の実績に対する嫉妬でしょう。まあ、あの程度の演奏能力では、実績がないのも致し方ありませんが」
 クレハは、何はばかる事なく、堂々と言ってのけた。あまりの遠慮のなさに、ジュナも怯むほどだった。さすがにこれには、仁藤和也だけでなく他のメンバーも不愉快だったらしく、次々に口を開いた。
「調子に乗り過ぎじゃねえのか。俺達がそんな、器の小せえ奴らだって言うのか」
「そうだ。どれだけ実績があったって、最低限の礼儀ってもんがあるんだぞ」
「海原シオネの大学だって、先月から春休みだ。最初のパクリ音源がアップロードされたのは、あいつが春休みに入ってすぐの事だ!それこそ時期が一致するじゃねえか!」
 少し太った、おそらくドラムスと思われる短い癖毛の男性が、そうクレハに食ってかかる。だがそこで、クレハは口元に手を当てて、くすりと笑った。
「言ってしまいましたね」
 その、静かな一言に、その場の全員がすくみ上がった。
「さきほど、皆さんまるで、あんな模倣音源は聴いた事がない、という様子でした。それなのに、なぜ、音源がアップロードされた日付をご存じなのですか?」
 その指摘はまるで、見えない突風のように5人を後方に仰け反らせた。そう、激昂させて口を滑らせるよう、クレハはあえて無礼極まる挑発を行ったのだ。クレハは、さらに続けた。
「ついでなので言ってしまいますが、正直申し上げて、詰めが甘いと言わざるを得ません。私達がデパートに納品したあの楽曲ですが、海原シオネさんには、あの音源を模倣して収録する時間はなかったんです」
「なに?」
 仁藤和也は、怪訝そうに目を見開いた。
「時間はあったはずだ!あいつの大学の春休みは…」
「一昨日まで、海原シオネさんがどこにいらっしゃったか、ご存知ないようですね。私は探偵に調べさせて把握しています」
「なっ…」
「彼女は小説家である父親、海原玄一郎氏の取材旅行に同行して、一昨日まで台湾の高雄市に観光に行っていたんです。みなさんがスタジオに出入りしていた時期に。観光しながらレコーディングなど、できるわけがありません。一方、みなさんは春休みで全メンバーがこの市内に帰省していた。レコーディングスタジオに何度も出入りしている状況を併せると、あなた方以外にあの音源を制作できたグループは考えられないんです」
 もう、仁藤和也達はすでに戦意を喪失しかけていた。だが、後ろのロングヘアの男が、突然ギターケースを振り上げてクレハに迫った。
「このガキが!」
 それを見たジュナが瞬時にクレハの前に出て、驚くほどのスピードと腕力でギターケースを受け止めた。これには、男性全員が驚いたようだった。
 だが、ジュナの動きと平行して、クレハは見惚れるような優雅な動きで姿勢を低く取り、ほんの一瞬、ロングヘアの男の鳩尾に、ゆるやかに掌底を当てた。次の瞬間、男はわざとらしいCG処理でもかけられたように、後ろに吹き飛ばされて、ニレの樹の幹に背中を打ち付け、ガックリと崩れ落ちてしまった。
 みな、唖然として動けなかった。クレハは何事もなかったかのように、コートやマフラーの崩れを直すと、天使のような微笑みで言った。
「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、止むを得ずにした行為は罰しない。刑法36条1項、いわゆる正当防衛の要件を満たします。何か反論はございますか」
 この状況で反論する度胸のある人間は、その場にはいなかった。

 結局、フュージョン部のOB5人はザ・ライトイヤーズの模倣行為を認めた。動機はやはりライトイヤーズの実績への嫉妬だったという。
 とはいえ、厳密には法的に罪を問える状況でもないため、クレハはその場でバンドリーダーのミチルに連絡を取り、模倣行為をやめるかわりに示談で終わらせる、という選択を提案した。その際、なぜかミチルが非常に動揺していた理由はその時のクレハにはわからなかったが、兎にも角にもこれで表面的には決着はつきそうだった。
「仁藤さん。ひとつだけ疑問があります。答えていただけますか」
 クレハは、腑に落ちない表情で問いかけた。
「あまりにも、模倣してアップロードする時間が早すぎる点です。メロディーやコード進行を組み直してレコーディングするには、1曲あたり最低3日は必要でしょう。なぜ、あんなハイペースでそれができたのか」
「名探偵のわりには調べが甘いね。僕が母校で在籍していた学科、そして進学した大学で、何を研究しているのか知らないのかい」
「えっ?」
 さすがに、そこまではクレハも調べてはいない。海原シオネと仲が悪かった上級生が帰省している、という情報しか、小鳥遊探偵社に調べさせる時間はなかったのだ。それに、そんな情報は今回の件の解決には必要もなかった。
「暇があったら調べるといい。君ならすぐに、答えがわかるだろう」
 もはや、仁藤は観念したように気の抜けた態度だった。
「ひとつだけ教えてくれ。僕らが怪しいと睨んだのは、なぜだい」
「竹内顧問も指摘していた事ですが、どうしても海原シオネさんという先輩が、こんな回りくどい事をするようには思えなかったんです。そこで、ふと気付きました。彼女の演奏をずっと聴いていた人間なら、その演奏の癖をコピーできるのではないか、と」
 そのクレハの推測に、横で「言ってくれればいつでも殴りかかるぞ」と構えていたジュナが訊ねた。
「どういう事だよ。あたしらは顧問が言った内容を詳しく知らないんだ」
「竹内顧問によれば、海原シオネさんとそのひとつ上の上級生…つまり、ここにいる5人とは、険悪な仲だったらしいわ。もちろん、話に聴く海原さんの攻撃的な性格もあったんでしょうけど、現実に関係は悪かった。つまり今回、海原さんの特徴的なサックスの音までも模倣することで、彼女に疑惑の目を向けさせたのよ」
「…つまり、あたしらに嫌がらせをするついでに、海原って先輩にも罪をなすりつけたって事か!」
 牙を剥いたライオンのようにジュナが吠えた。いまにも殴りかからんとする、兄譲りの攻撃的な剣幕に、ケンカ慣れしていない理系の5人はいよいよ狼狽え始める。
「どうしようもねえ卑怯者だな!こんな奴らがあたし達の先輩だったのかよ!」
「やめなさい、ジュナ」
「けどよ!」
 憤るジュナを、クレハは腕を出して制した。ジュナのとなりで、マーコも面白くなさそうにしている。
「どんな人であれ、この人達がフュージョン部を受け継いで存続させてくれたから、私達は今こうしてみんなで活動できているの。その事実は認めないといけないわ」
「おめーは人が良すぎるんだよ!いつもいつも!怒るってこと知らねえのかよ!」
「私が怒っていないとでも思ってるの?」
 その静かな一言に、場の空気が一瞬で凍り付いた。
「正直に言うわ。いま、気を抜くと私の中の憤りが爆発してしまいそうなの。どうか、これ以上私を怒らせないで」
 言葉の端々に、かすかな怒りの震えがあった。一歩進み出ると、クレハは仁藤に訊ねた。
「答えてください。例の、クリスマスライブでライブハウスを出入り禁止にされた、ローゼス・ミストラルのファン。あの人達に、ゴーストライター疑惑を吹き込んで、炊き付けたのはあなた達ですね」
「…なんだと」
 ジュナは、クレハの腕の後ろで拳をわなわなと震わせた。
「そうなのか。答えろ!」
 鋭い一喝に、今度こそ観念したように、仁藤はガクリと膝をついた。
「…そうだ。全部僕達が仕掛けた。君たちが妬ましかったんだ。僕らがいまだに掴めない栄光を、次々と手にする君たちが。だから、こんな事をしてしまった」
 その様子に、クレハ達は何とも言えない気分だった。20やそこらとはいえ大の男が5人、女子高校生3人の前に文字通り膝を屈しているのだ。それは、とてつもなく哀れな光景だった。
「そうだ、君の言う通り僕達は卑怯者だ。本当は、妬みを乗り越えて自分達で努力しなくてはならないのを、成功している君たちの足を引っ張る事に労力を費やした。申し訳ない…申し訳ありませんでした」
 土下座。それを、自分達に対してされるという経験は、クレハ達にとって非常に不愉快だった。人が自分達に膝を屈する光景が、これほど不愉快で、吐き気を催す体験だとは、思いもよらなかった。
「いいよ、もう。立ってよ、あたしらの先輩だって言うなら」
 そう言ったのは、黙っていたマーコだった。
「本当のクズなら、ごめんなさいの一言も言わないだろ。それができるって事は、最低限度のプライドは持ってんだろ、あんた達だって。そんなら、あたしはもうそれでいい」
 背丈や外見からつい子供っぽく捉えてしまいがちなマーコだが、実のところその内面は、誰よりも義を重んじる性格だった。どんなに情けない先輩でも、先輩は先輩。
「あんた達が本当に謝らないといけない相手は、あたし達じゃないよ。その、海原って先輩と、いま卒業を控えている3年生の先輩たちだ。受験の後期日程を控えてる先輩もいる。先輩たちはあたしらの事で不安になってる。後輩の晴れの門出にケチをつけて不安にさせるなんて、先輩のやる事じゃないよな」
 もう、誰もなにも言い返せなかった。そこで、クレハが再び口を開いた。
「仁藤さん。謝罪の言葉は私達がここで預かって、間違いなく伝えます。そして、ゴーストライター疑惑など一連の出来事についても、謝罪の言葉をいただきます。それで、終わりにしましょう。よろしいですね」
 クレハはスマホのボイスレコーダーアプリを立ち上げ、膝をつく仁藤和也に向けた。

 その日のうちにクレハはミチルとともに海原シオネのもとを訪れ、まず彼女を疑った事に対して謝罪した。
「このたびは先輩に対して、大変申し訳ありませんでした」
 クレハが頭を下げると、ミチルも無言でそれに倣う。海原シオネは優雅に笑みをたたえていた。
「いいえ、なかなか面白い見世物だったわ。それに免じて許してあげる」
 話には聞いていたが、なんて人だとクレハは正直思った。こっちは本当に大変だったのだ。それを見世物とはなんだ。市橋菜緒先輩なら、こんな事は絶対に言わない。
「ふうん、仁藤先輩達がね。バンドとしてはそれなりに尊敬していたけど、そんなザマに成り下がっちゃったか」
 成り下がった。容赦のかけらもない言い草だ。なるほど、これなら周囲との軋轢も生じるはずだ。だがそれでもなぜか、心の底から不快に感じる事ができない。少なくとも仁藤和也らが見せた、不愉快さとは違う。
「私としては、噂のザ・ライトイヤーズとこうして直に会えて、満足よ。そうだ、ついでにサインもいただこうかしら。待ってて、いま書くものを持ってくるわ」
 そう言って立ち上がろうとする海原シオネを、ついクレハは呼び止めてしまった。
「あの、いったいあなたは…」
「え?」
「いえその、何というか…仁藤さん達とは違いすぎるというか」
 すると、シオネは不敵に笑った。
「あんなふうに嫉妬深い連中と?そうね、一緒に思われたくはないわ」
「失礼を承知で伺います。その…後輩である私達から、サインを受け取るなんていうのは」
「屈辱じゃないか、ってこと?まあそうね、ふつうに考えればそうかも。けど、私は私で、そのうち成功するもの。その時は私からあなた達にサインを書いてあげる事になるわ。それでおあいこよ」
 なんだ?何を言っているんだ?そのうち成功する、と今この人は言った。それは、どういう成功なのだろう。ミュージシャンとしての成功、という事か。だが、そこには超然とした自信が感じられた。こんな人は初めてだ。ミチルも気圧されているのか、さっきから黙ったまま、差し出された上質な紙に、ようやく慣れて来たサインを記した。
「ありがとう。これは大事にするわね」
 その言葉に嘘はなさそうだ。本当に、ただのファンとしてサインを求めたのだ。3つ下の後輩に。尊大なのか、謙虚なのかわからない。海原シオネは言った。
「まあ、とにかく面倒な事はひとつを除いて、あらかた片付いたんでしょう。良かったじゃないの」
「え?」
 どういう意味だろう。ひとつを除いて?全部片付いたのではないのか。だがそこでクレハは、ミチルがさっきから黙っている事に何かある、とようやく気付いた。そういえばさっき、ミチルと先だってここを訪れたマヤも、なんだか落ち着かない様子だった。
「…ミチル、いったいあなた、何をこの人と話したの」
 まるで母親が娘を問いただすようにクレハは言った。ミチルに代わって、シオネはケラケラと笑いながら説明してくれた。
「この子、私の挑発に乗せられて、ツイッターで宣言しちゃったのよ。春休み中にアルバムをリリースして、レコ発ライブをやるって」
 え?
「なんですって」
 クレハは、いま何を聞いたのだろう、と一瞬思った。震える手で、ツイッターアプリを立ち上げ、ザ・ライトイヤーズの告知アカウントを見る。そこには、確かにこう記されていた。

 『3月にファーストアルバム緊急リリースが決定!そしてレコ発ライブも!詳細は追って告知します!』

 その記事はすでに4千リツイート、7千いいねがついていた。3月っていつだっけ。もう3月じゃなかったか。クレハは蒼白になって、ソファーを立ち上がって叫んだ。
「えええ――――!?」
 フュージョン部2年生、最後の戦い。それは、部長の自爆から始まった。窓の外にうっすらと浮かぶ月が、無情にクレハ達を見下ろしていた。


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