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Light Years(52) : Night-LINEs

 ミチルは、マヤが自分の仮音源に不満を抱いているのがよくわからなかった。お世辞抜きに、よくまとまった良曲だと思う。
 だが確かに言われてみると、主旋律をEWIで吹いてみた時に、ごくわずかに物足りなさを感じる事はあった。ところが、それが何なのかわからない。何かが足りないのはわかる。
 その夜は、翌日も喫茶店でのアルバイトが控えている事もあり、課題は後日ということにしてひとまず床に入った。

 その日の喫茶店「ペパーミントグリーン」は、前日よりも客の入りが多かった。ミチルもジュナも目まぐるしく、ジュナはついにコーヒーカップをひとつ割ってしまう。これが大きな皿でなかっただけマシではあった。
 午後4時半、ようやく勤務が終わる。明日から3日間はお店がお盆休みで、そのあと3日間の勤務で夏のアルバイトは終了である。
「ジュナは明日から仙台だっけ」
 電車に揺られながら、ミチルは訊ねた。
「うん。そっちは市内だから楽でいいな」
「仙台はこっちよりは涼しそうなイメージだけど」
「どこだって夏は普通に暑いだろ」
 他愛ない話をしていると、ジュナが降りる駅でドアが開いた。それじゃお盆明けにね、といって二人は別れる。

 ジュナがいなくなったあと、ミチルはスマホにある、マヤが送ってきた音源をイヤホンで聴いた。もうすでにメロディーは吹けるレベルで覚えた。
 よく出来た曲だと思う。そう思っているぶんにはそうだ。だが、何かが決定的に足りない。何だろう。
 そのとき、ミチルは正面に座る背広の二人のお兄さん達が、スマホの画面を睨んで何やら難しい顔をしているのに気付いた。
「そろそろこの件についても、考えるべきだな」
「けど、人員はどうする」
「上に掛け合ってみる以外にないだろう」
 どうやら、会社の話のようだ。どこも人材不足なのだろうか。だがミチルは、何か今の話が気になった。主語がまるでない、会社員どうしの話の何が気になるのだろう。

 帰宅してハーフパンツとTシャツに着替え、冷凍庫からガリガリのアイスバーを持ち出すと、ミチルはベッドに脚を投げ出して、壁に背中を預けた。
 そろそろ陽もかげってきた。熱気はあるが、風は心地良い。溶けるシャーベットが喉から体温を奪ってゆく。
 そのとき、ミチルはまたしても、今度は自分の言葉に何か引っ掛かった。今、自分は何か、特別に印象的な言葉を思い浮かべただろうか。
 さっきの会社員のお兄さんは何を言っただろう。
『そろそろこの件についても、考えるべきだろうな』
 確か、そう言っていた。ミチルはどうか。
『そろそろ陽もかげってきた』

 そろそろ。

 そろ。

「…ソロ」

 その答えに辿り着いた時、ミチルは部屋で笑い転げてしまった。弟のハルトがギターを持ったまま部屋に駆け込んできて、ベッドの上で笑いながら文字通り転げている姉を見ると、「母さん、姉ちゃんがいよいよ本格的におかしくなった!」と一階に駆け降りて行った。

 ミチルが辿り着いた答えは、ごく単純なものだった。
『間奏のソロパートが少ないと思う。思い切って小節を増やして、スクェア方式でサックスとピアノのソロを交互に入れたらどうかな』
 それをマヤに、思い付いた経緯も含めて伝えると、メッセージが返ってくるまでだいぶ間があった。たぶん向こうも床かベッドで笑い転げていたものと思われる。
『なるほど。私には、ピアノソロっていう発想が欠けてたね』
『私、自分のパートだけ適当に吹いてデータにしてみるから、そっちでミキシングしてみてくれる?ピアノソロはマヤに任せる』
『わかった。やってみる』
 
 演奏データをサーバーで共有して、遠隔地でミックスする。各種サービスが発達した現代なら高校生でも出来てしまうが、キャンディ・ダルファーが10代の頃にはSFみたいな話だろうなとミチルは思う。
 だが逆に言えば、ツールが発達していながら、作品で負けているわけにはいかない。ミチルはマヤが送ってきた音源に拍子を合わせ、EWIで何小節分かのソロパートをパソコンに音源として吹き込むと、さっそく共有フォルダーに放り込んだ。
 マヤからの返事は早かった。
『うん。さすがだ。わたしも頑張ってソロパート入れてみる。明日から神奈川に行くけど、パソコンとキーボード持って移動するから、向こうでミックスして、出来たらすぐアップするね』
 お盆くらい、お爺ちゃんのところでゆっくりしたらどうなのか。だが、デジタルジャンキーのマヤに何を言っても通じない。お盆でも平然とゾンビゲームを攻略する女だ。墓参りの時だけはパソコンから離れろ、とだけ伝えておいた。

 夕食を済ませ、シャワーを浴びると、ミチルは疲れた身体をベッドに投げ出した。急速に睡魔が襲ってくる。パソコンがつけっぱなしなのは気になるが、省エネの精神は睡魔に勝てなかった。

 ミチルは夢を見た。学校のような所だが、会社のオフィスのようにも見える。行き交う同世代の人達は、なんとなく学生のような印象だ。何か周りの人達と話しているが、話の内容はよくわからない。
 そのときミチルは、なぜかアルトサックスを手にしていた。周りの少年少女が、期待の目を向けている。それに応えるように、ミチルは演奏を始めた。そのメロディーは全く知らないのに、なぜか懐かしいものだった。

 目が覚めたとき、30分ほどの時間が経過していた。パソコン画面はスクリーンセーバーに切り替わっている。
 ミチルは、なにかに急き立てられるようにEWIを手にすると、パソコンのレコーディングソフトを立ち上げ、夢の中で自分が吹いていたメロディーを演奏した。リズムはごく普通の8ビートである。
 それは、少なくともミチルの知識にはないメロディーだった。強いて言えば本田雅人にも似ているが、伊東たけしのような色気があり、さらにキャンディ・ダルファーのような力強さもある。誰にも似ていないとも言えるし、誰かに似ている気もする。
 フレーズは比較的短いものだが、サビのフレーズとして使える。というより、サビ以外にあり得ない。
 吹き終えた演奏データを、ミチルはどうするべきか考えた。これはいったい、どういう曲なのか。あまりにも気になったので、ミチルはそれも共有フォルダーに"Dream Code"という仮題のファイル名で入れ、すぐにマヤにメッセージを送った。
『こういうメロディーが夢に出て来たんだけど、これって既存の楽曲なのかな』

 ミチルからの奇妙な連絡に、マヤは首を傾げた。メロディーを思い付いた、ではない。夢に出て来た、とはミチルらしい。そこでマヤは、メロディーに基づいた楽曲検索サービスを片っ端から探ってみた。その結果は。
『該当する曲は、少なくとも音楽検索プログラムの結果にはない。似た曲というのを再生してみたけど、どれも違う。』
『かいつまんで言うと?』
 ミチルの問いに、マヤは苦し紛れにこう答えた。
『こんな曲は存在しない』
 
 マヤからの返信に、ミチルはますます困惑した。それでは、このメロディーは誰が考えたのか。ミチルは、夢で聴いたメロディーをそのまま吹いただけだ。これは、ミチルの曲と言えるのか。だが、マヤの答えはだいぶ斜め上からのものだった。
『"銀河英雄伝説"に"スーン・スールズカリッター"っていうキャラが出て来るんだけど』
 は?
『その名前ね、作者が夢の中で聞いたか読んだかした名前で、調べたらそんな姓は世界に実在しないことがわかったの』
 はあ。
『でも原作者は、それをそのまま作品に使ってしまったの。脇役と言っていいキャラだけど、名前とインパクトと、ピンポイントだけどそこそこ出番もあったせいで、ファンにはとても愛されているわ』
 はい。
『だから、ミチルもそれに倣って、自分の曲ってことで、そのままAメロBメロまで作ってしまいなさい』
 はい!?
 いいのか、そんなんで。夢に出て来たメロディーをそのまま曲にするミュージシャンなんているのか。いそうな気もするが、ミチルは知らない。
『さっきみたいに、パートごとに演奏して切り貼りすれば、デモ音源にはできるでしょ。何なら編曲は私に任せてくれてもいい。あなたのバイトが終わる頃までには仮音源と採譜まで仕上げておくから、時間があればみんなでやってみよう』
 仕切る仕切る。ミチルはマヤに言われるまま、はいはいと頷くしかなかった。のちにフュージョン部でマヤは「影の部長」「影さん」と呼ばれる事になる。

 そして、作曲にあたる当のミチル本人はというと、驚くべき事態に直面していた。メロディーが出て来るのである。昨日までは出ない、出ないと唸っていたのに、サビのメロディーが決まったとたん、そのサビに繋げるメロディーがほぼ自動的に構築されて行ったのだ。
「…作曲って、これでいいのかな」
 パソコンに音を次々と吹き込みながら、ミチルには笑顔が浮かんでいた。さんざん悩んだ末、夢という形でメロディーは出来上がったのだ。仮タイトルの"Dream Code"も、正式タイトルとして採用することにした。かくして、あっという間に出来上がったミチルの初めて作った曲は、共有ファイルとしてマヤに預けられた。マヤからは『よくやった。あとは私に任せてお前は墓参りに行け』という、謎のメッセージが返ってきた。それ何フラグだよ。

 そうして、なんとなく波に乗ってきたミチルが、別な曲も作ってみようと意気込んだ時だった。ふいにLINE着信の音がして、またマヤかなと思ったミチルは、表示された名前に一瞬ギクリとした。「レコードファイル京野」とある。あの、学校へ取材に来た編集者兼ライターだ。一体何だろうと思っていたら、それは驚くほどタイムリーな内容だった。

『唐突にごめんなさい。実はあなた達に、ある映画監督から、モブ役で出演依頼が来ているの。セリフもないし、引きの構図で顔のアップもないんだけど、あなた達にうってつけの役どころ』
 本当に唐突だ。唐突さではマヤの上を行く。映画??いったいなんてタイトルなんだと思っていたら、「サーキットロイドSUZUKA」という、ガス状の生命体に侵略された世界で戦うアンドロイドやレジスタンスの物語だという。監督は雨宮龍弘、特撮系では有名な人だ。
『荒廃した街を拠点とするレジスタンスの中にいる、女の子達のバンドっていう役どころ。レジスタンスの紹介パートの中での一コマ、ってところね』
 つまり、演奏しなくてはならない、ということか。
『もちろん。撮影もお盆明けに再開だから、まだ間がある。そのシーンは8月末を予定してるらしいから、それまでに』
 それまでに、何だろう。
『まずオリジナルのデモ音源を、何曲か送って欲しいの。本来私の仕事ではないけど、頼まれちゃったから私が取り次ぐ。OKが出たら、それを撮影現場のセットで、"Light Years"のみんなに演奏してもらう事になるわ』

 何がどうしてそうなるのか。いちおう京野さんは説明してくれた。京野さんは、作曲家・竹久桂一郎の映画サントラ収録を取材に行ったのだが、話の流れで京野さんが話題にあげた、ミチルたち5人に竹久氏が興味を持った。京野さんに預けたミチルたちの音源を聴いた竹久氏は、ネットにアップロードされているストリートライブ映像も含めて、映画監督に何の気なしに紹介した。
 そこで、映画監督に電流が走った。これだ。映画に欠けていた最後のピースだ。苛烈な敵に追い詰められながらも、演奏することをやめないレジスタンスの少女たち。その十数秒のシーンを挟む事で、レジスタンスという存在のリアリティーが増す。
 話は決まった(決まってない)。彼女たちに連絡を取れるだろうか。―――かくして、京野さんが連絡役を引き受けた、というわけだ。

「そこで、さすがに架空の世界のレジスタンスが、チック・コリアやラリー・カールトンだのを演奏してるのも不自然だし、オリジナル曲を準備できるか、って事になったらしい」
 もうLINEも面倒なので、ミチルはマヤに通話をかけた。
『それで、どうするの』
「送るって言っちゃったよ。この流れで、断れるわけないじゃん」
『そうね。それでいい』
 スマホの向こうで、マヤは笑っていた。
『渡りに舟って言うのかしらね。タイミングが良すぎるわ』
「乗り気だね」
『当たり前よ。こんな面白い話はないわ。雨宮龍弘監督か、マニアックね』
「そうだね。あ、あとクレジットはバンド名の"Light years"になるみたい。役の名前も同じだって」
『音源を出す前にスクリーンでデビューか』
 ケラケラとマヤは笑う。緊張感がない。
『他のみんなには?』
「まだ連絡してないよ」
『わかった。みんなが集まれる日の確認も含めて、私が連絡しておく。あなたは1曲でも多く、メロディーを考える事に集中して』
「けど、マヤにばっかり任せるのも――」
 そう言いかけたところで、マヤは話を被せてきた。
『ノーノー。あなたは事務処理は極力、しなくていい。リーダーは指令を下す。実務は私達が引き受ける』
「でっ、でも」
『いいの。それとミチル、あなたはスタミナのコントロールが下手だから、疲れたと思ったらすぐ休むのよ。ニンニク注射、年に何度も打たれたくないでしょ』
「りょっ…了解」
 どっちが指令を受けているのかわからない。司令官としては、だいぶ尻に敷かれている感がある。
 
 マヤから連絡を受けたメンバーからは、映画の衣装はどうするのか、などといった質問も来た。レジスタンスとか言ってたし、たぶん向こう持ちだろう。というか、まだ完全に決まったわけでもないし、デモ音源さえ送っていない段階なので、みんな落ち着けと言っておいた。
 色んなことが起こりすぎて、頭がパンクしそうだ。マヤの言うとおり、ひとまず休んでから、作曲を再開しよう。

 それでお盆前の出来事は終わりかと思っていたら、最後に京野さんから取材記事の原稿チェック依頼がきた。PDFをメールで送るという。
『確認いただけたら、LINEでいいのでお知らせください。お盆中でも構いません、よろしくお願いします』
 さすがに仕事のやり取りになると、言葉遣いもビジネスモードだ。話はまだあった。
『この間の取材ついでに拝見した自作スピーカーですが、オーディオ機器の枠で紹介する事になりました。そちらの村治薫くんからは、寄稿という形で紹介記事を書いていただく予定です。わずかですが原稿料もお支払いする旨、顧問の竹内先生にもご了承いただきました。部長の大原さんにご連絡いたします。』
 何だ何だ。薫くんはさり気なく、出版界にデビューするということか。だいぶマニアックな内容ではあるが。

 ミチルは、送られてきた取材記事のPDFに目を通した。名前やデータの間違いや、必要以上の個人情報はないか、等をチェックする。ざっと見て、とくに問題はなさそうである。
 こうして、雑誌記事という形で自分たちの思い出が記録されるのも、悪い事ではないな、と思う。10年、20年経ったとき、懐かしむ事もあるのかも知れない。モノクロの荒い集合写真はなぜか、すでに遠い過去の記録のように感じられた。

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