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Light Years(50) : STYLE

 その後、レコードファイル誌の編集の二人は、最近のフュージョン部の活動だとかについて質問を重ねたあと、廃部の危機と部員勧誘の一連の出来事にいたく興味をそそられたようだった。
「その話、とても面白いわ。差支えなければ、文章化して何回かに分けて掲載してもいいかしら」
「えっ!?」
 ミチルは、さすがにこの話にはマヤの意見を訊かずにはいられなかった。マヤも多少、困惑の色を浮かべている。マヤは、ミチルの気持ちを察したのか、代わって答えてくれた。
「たいへん面白い申し出だとは思いますが、私たちはその事について、苦闘といっていい経験をしました。でもその苦闘じたいは、音楽活動とは直接関係のないものです。なので…」
 そこでマヤは言葉を途切れさせた。さすがに剛毅なマヤも、プロの編集者に対してハッキリと答えるのは、それなりの度胸が要るらしい。ミチルは、ここは部長として言わなければ、と決めてマヤに代わった。
「私たちの活動に注目していただけるのは、とてもありがたい事です。でも、トラブルに遭った事それ自体をエンターテインメントのように扱われるのは、本意ではありません」
 その堂々とした答えに、京野美織は感心したように目を丸くしたあと、微笑んで答えた。
「そうね。あなた達の言う通りだわ。トラブルを売り物にするのは、週刊誌やワイドショーと変わらないものね。こちらに配慮が足りなかったわ、ごめんなさい」
 京野さんはそう言って頭を下げた。毅然とした態度だ。
「生意気な事を申し上げたのであれば、すみません」
「いいえ。ただ、どんなミュージシャンにもそれぞれドラマがある。純粋にあなた達の、ミュージシャンとしてのドラマに関心があったという事は、理解してもらえると嬉しいわ」
 ミチルはまたも答えに窮した。申し出を受けるべきだったのだろうか。それとも、断って正解だったのか。16歳の少女にはわからない。その戸惑いを察して、大人の京野さんは答えた。
「大原さん。自分自身の感情を大切になさい。相手が大人やプロだからって、自分たちより正しいと思い込む事はないわ」
「…そうなんでしょうか」
「そう。そして、それはあなた自身がプロになったとして、その時には自分自身に対しても考えるべきテーマよ。つい先日、ふだんプロの矜持について語っているベテランミュージシャンが、自らの行動の結果、仕事に穴を開けてあなた達に穴を埋めてもらった事、覚えているでしょう。プロも、間違いを犯すの」
 それはまるで、いつかミチルたちがプロになる事を確信しているかのような口ぶりだった。一体この女性は、何を望んでいるのだろう。つまるところこの人は、ただ一夜のライブを観ただけなのだ。

 そのあとミチルたちは3曲ばかり、生演奏を披露した。練習風景を間近で観ておきたい、というのがその理由だった。京野さんは、今回の取材をまとめた記事の原稿チェックを求める事を告げると、笑顔を残して学校を後にした。なんというか、学校の先生とは違う種類の大人だな、とミチル達は思った。
「新聞や週刊誌なんかは、編集権を優先して、原稿チェックなんてさせないらしいけどね」
 京野さんが去った部室で、缶コーヒーを開けたマヤが呟いた。
「今回の取材はあくまで音楽部の活動という、事件性も緊急性もない内容だから、そのへんは関係ないのかもね」
「マヤってそういうの詳しいけど、どっから知識を得るわけ?」
「さあ。気付いたら色々知っちゃってた」
 なんだ、それは。こいつこそ記者、編集者向きなのではないか。
「あの京野って人、ライターも兼任してるみたいね。彼女が書いた記事、読んでみたけど。相手のミュージシャンに対する掘り下げ方がものすごく上手い。もともと自分でバンドやってたのが大きいのかもね」
 電子版の雑誌記事をマヤは示した。若手クラシックギタリストへのインタビュー記事だ。
「それで、ミチル。オリジナルを作るって、大見得切ったけど。どうするの」
「うっ」
 ミチルは、自分で言った事の責任を追及される格好になり、狼狽えた。その様子を、ジュナたちは面白そうに見ている。
「言ったからにゃ、作らないとな。大変だぞ、部長さんよ」
「他人事みたいに言わないでよ!スクェアだってメンバーみんなで作ってるでしょ!」
 ジュナに突っかかるミチルに、クレハは冷静だった。
「でも、オリジナルを作るノウハウは、今の私たちにはないわ。その点に関しては先輩の、あなた達はどう思う?」
 クレハは、1年生の動画配信の経験者である、キリカ、アオイ、サトルの3人に意見を求めた。彼女たちはオリジナル曲をいくつか作って投稿しているのだ。だが、キリカの答えはあまり期待に応えるものでもなかった。
「オリジナルって言っても、基本的にはリズム主体で、あくまで動画を盛り上げるための簡単なBGMですし。それこそスクェアみたいな、メロディを複雑に構築したような楽曲は、作った事ないです…っていうか、ムリです」
 先輩の威厳を投げ売っての相談も、どうやらあまり期待できなさそうだった。要するに、自分で作るほかないということだ。
「べつに、レコード会社から何月何日まで作れ、って言われたわけじゃないだろ。義務があるわけじゃないし、気楽にやりゃいいじゃんか」
「それはそうなんだけど」
 そこで、クレハが極めてまっとうな意見を述べた。
「とりあえず、色々ひと段落したから、みんな学校の宿題とか片付ける事に集中するべきじゃなくて?1年生のみんなも」
 マヤと薫以外の全員が、眉をしかめて顔を見合わせた。真面目か。だが、まったくもって正論であり、ぐうの音も出ない。だが、いちおう先輩としての姿勢も見せなくてはならないので、2年生の3人は、「邪魔な敵を掃討する」という姿勢でもって立ち向かう事にした。だがそこでクレハはさらに、意外な申し出をした。
「共通科目なら、良ければ何日か私の家に集まって、集中して片付けたらどうかしら」
「クレハの家!?」
 1年生以外のメンバー全員、興味のレベルゲージが一気にマックスまで上昇した。クレハの家。今まで謎の存在だった千住クレハの自宅が、ついにその正体を現す時がきた。一説には、岩山の頂上にそびえる悪魔城に住んでいるとも言われている。誰が言ったかは定かではないし、そんな悪魔城が市内にあるとも聞いていない。

 とりあえず、オリジナル音源の事は後日改めて考える事として、まず大変に面倒ではあるが学生の本分を果たす事でフュージョン部の面々の意見は一致した。くわえてミチルとジュナは、喫茶店でのアルバイトも近い。
 だが、ミチルの頭はすでに、オリジナルの楽曲を作る、というテーマに傾き始めていた。

 翌日、クレハを除く2年生の4人は、北泉駅という駅前の歩道に、それぞれバッグを下げて並んでいた。中身はむろん、夏休みの宿題と筆記用具である。その日は薄曇りで、夏としてはやや気温は低めだった。相変わらずのデニムショートのジュナは涼しそうだ。
「おっ」
 マヤは縁の細い眼鏡の視界の向こうから、もはや見慣れた黒塗りの高級車が近づいてくるのに気付いた。クレハの付き人、小鳥遊さんだ。相変わらずスリムなグラサンに黒服である。暑くないのだろうか。
「遅れて申し訳ございません」
「いえ、とんでもない」
 小鳥遊さんは、なぜ遅れたのかという説明をしない。理由はどうあれ、ミチルたちが駅に着く前に待機できなかった事を悔やんでいるらしい。黒服グラサンのお兄さんがしきりに女子高生に頭を下げている様子を、道行くカップルやおじさんおばさんがジロジロ見ている。いいから早く乗せてくれと思っていたら、ドアが開いた。

 小鳥遊さんの黒塗りの高級車に乗るのは、ミチルは二度目である。窓越しに見る景色は、ミチル達も知っている界隈を外れ、川沿いの木々が美しい一帯へと移って行った。後部座席の真ん中でジュナとマヤに挟まれるマーコは、景色が見えづらい事に不満そうだ。
 やがて、広い通りから少し外れた道に入ると、何やら古風な武家屋敷ふうの塀が現れた。まさかな、と4人が思っていると、その塀の広い門に、車は静かに入って行った。その門柱にくっきりと彫られた三文字を、ミチルたちは確かに見た。

【千住組】

 と。

 ところが、意に反して塀の奥にあったのは、デザインこそ和風っぽいが、洗練された近代的な背の低いビルだった。木目風の壁に、黒く山並みのシルエットがペイントされている。
「でっけえ…ビルみたいな家だな」
 ジュナが驚嘆していると、小鳥遊さんが訂正した。
「いえ、こちらは事務所がある建物になります。クレハお嬢様のご自宅はあちらです」
 車はビル正面の駐車スペースを右に入り、日本風の庭園の間の広い道を通り抜けた。やがて眼の前に現れたのは、近代的なビルとは対照的に、木造のお屋敷だった。古風な、というより実際に古い、ひなびた旅館か料亭といった雰囲気だ。

「ごきげんよう。よくおいで下さいました」
 そう言って玄関に現れたクレハは、和風とも中国風ともつかない、紺色の涼しそうな部屋着をまとっていた。
「さあ、どうぞ。勉強のために、お部屋を用意しておいたわ」
「おっ、お邪魔します」
 屋敷といい、服といい、デニムやTシャツの自分たちがだいぶ場違いに思える中、ミチルたちは落ち着いた雰囲気の玄関に足を踏み入れた。小鳥遊さんはいつの間にか、車ごといなくなっている。

 ミチルたちが通された北側の広間は、やはり和風というよりはどこか中国風の趣きの、黒光りするテーブルと椅子が置かれた涼しい部屋だった。
「座っていてちょうだい」
 ミチルたちに椅子を勧めると、まるで屋敷の女将さんのように、クレハは静かに下がった。とりあえず腰を下ろした4人は、ふだん自分たちが生活している家とまるで違う空間に、落ち着きながらも溜め息をついた。
「なるほど。クレハそのものっていう雰囲気ね」
 マヤは、涼しい風が通る天井を見渡した。典雅で、どこか冷たさも感じるクレハに通じるものがある。
 やがてクレハは、鮮やかな赤い液体を満たしたティーデカンタと、氷が入ったグラス5つが載ったトレイを持って現れた。
「まずは、ひと息ついてからにしましょう」
 クレハは、丁寧な手つきでひとつひとつ、グラスに赤い透明な液体を満たしていく。いつもクレハが保冷ボトルに入れている、真っ赤なお茶らしき何かだ。
「ハイビスカスティーよ。酸っぱい人は蜂蜜を入れてちょうだい」
 あっさりとクレハはその正体を明かした。知ってしまうと何の事はない。
 ハイビスカスティーは鮮烈な酸味で、全身に染み渡るようだった。最初は酸っぱいと顔をしかめたマーコも、しだいにその酸味が気に入ったらしい。
「ずいぶん優雅なお屋敷に住んでいるのね」
「だいぶ古いのよ。もっとも、水回りだとか空調なんかは、うちの会社が自前で新しいものに取り換えてあるけど」
「なるほど」
 マヤは、すでに合点がいったような顔でグラスを傾けた。他のメンバーはまだ理解できていない。ミチルは訊ねた。
「会社って?」
「建設会社なんでしょ。クレハのお家は」
「…あっ。まさか、千住組って」
 会社名か。これも、知ってしまえば何の事はない。さっきのビルは会社の事務所ということだ。
「じゃあ、兄貴が仕事で世話になったってのは…」
「ええ。塗装工事は、ジュナのお兄様の会社にちょくちょく依頼しているらしいわ」
「なんだ、そういう事か」
 ジュナは、ようやく点と点が繋がって、拍子抜けしたようだった。やはり、わかってしまえば何の事もない。てっきりそのスジの家かと思っていた4人は、肩の力が抜けた。
「うちは最大手というわけではないから、あまり知らない人もいるのよね」
「建設会社の娘だから、都市環境科に通ってるってわけか」
「ええ。もっとも、うちの会社はべつに世襲ではないけれど」
 クレハは、なめらかな手つきでグラスを傾ける。どうも、所作ひとつとっても自分達と違うな、とジュナは思った。氷をガリガリ噛み砕くなんて事もしないのだろう。
 すると、ドアをノックする音がして、クレハが「失礼」と席を立った。クレハがドアを開けると、そこには白いジャケットに、胸元が微妙に開いた柄物のシャツを着た、パンチパーマのお兄さんが頭を下げて立っていた。微妙に開いたヒザに手を当てている。4人に戦慄が走った。
「お嬢様、ご来客のところ大変申し訳ございやせん。緊急で…」
「構いません。どうしました」
「実は…」
 お兄さんがクレハに何事か耳打ちすると、クレハの口元から、小さく舌打ちが聞こえたような気がした。気のせいだろう。気のせいだよね。
「始末は」
 なんかクレハのトーンがいつもより低い。微妙にドスが効いている。始末って何ですか。
「ぬかりありやせん」
「そう。先方に失礼のないようにね。あとの事は龍二さんの指示を仰ぎなさい」
「へい。では、失礼いたしやす」
 パンチパーマのお兄さんは、ミチル達に深々と頭を下げると、静かに立ち去った。始末って何の事だろう。ゴミを捨てるのも始末っていうし、お裁縫でも糸の始末はあるし。間違っても何かこう、物騒なアレじゃないよね。クレハは振り向くと、いつもの百合の花のように優雅な笑顔を見せた。
「さて、それじゃ片付けましょうか。宿題」
「はっ、はい」
 ミチル達の背筋を冷たい汗が走った。単なる建設会社のはずだよね。パンチパーマで派手なシャツでも出社できる、オープンな会社なんだろうなあ。一瞬で頭が冴えたミチル達はそれから、驚くほどのスピードで宿題を進める事ができたものの、千住クレハ嬢が何者かという謎はむしろ深まったのだった。

 翌日も同じように集合し、だいぶ宿題は片付いた。あとはそれぞれ自宅でやればいいという事になり、ミチルとジュナにとっては、快適な空間での地獄がようやく終わったのだった。ちなみに今日の飲み物はアイスティーだったが、普段ミチルが家で飲んでいるものとは、スッキリ感と香りが違う。
「さて、それじゃ…」
「クレハのお部屋に行こう!」
 唐突なマーコの提案に、クレハは天使のような笑顔のままで硬直した。マヤも、この機会を逃すまいとマーコに同調する。
「そうね。せっかくここまで来たんだから」
「よし」
「行こう行こう」
 ジュナもミチルも参戦し、クレハの退路は断たれた。なんとなく、切腹を覚悟した武士のような表情で、クレハは静かに椅子を引いた。
「わかったわ」
 その声のトーンは、パンチパーマのお兄さんに何か指示していた時と同じものだった。

 クレハの部屋は、もともとの屋敷のデザインのせいか少々古風な以外は、一見すると何の変哲もない、小綺麗に整頓された、クレハの性格そのままという印象だった。ある物を見付けるまでは。
「ふうん、掛け軸なんて風流な…」
 床の間のような凹んだスペースの、水墨画の掛け軸を見たミチルが、不意に言葉を詰まらせた。なぜなら、掛け軸の下に、ふつうの女子高生の部屋には多分なさそうな、湾曲した細長い物体が、台座に掛けられていたからである。

 刀が。

 ミチルたち4人は凍り付いた。なんで刀があるんですか。すると、クレハは柔らかな笑顔で説明してくれた。
「祖父から譲り受けたものよ。ああ、大丈夫。銃砲刀剣類登録証は私の名前で取得しているから」
 なんでそんなもの取得してるんですか。それ以上ミチルたちは触れない事にした。すると、開いたままのドアをノックする音がして、和服を着た女中さん風の人が手をついていた。
「お茶をお持ちいたしました」
「ありがとう。あとは私がやります」
 女中さんは音もなく静かに立ち去る。クレハは女中さんが持って来てくれたお盆を受け取ると、自ら碗に注いでくれた。盆の四角い木の皿には、金平糖と落雁が載っていた。お茶と、お菓子と、日本刀(たぶん斬れるやつ)。風流にも程がある。

 やっぱり香りが違う日本茶をいただきながら、ミチルたちはクレハの本棚やCD、BDやDVDラックの中身に恐れおののいていた。直に触った事はないレーザーディスクやVHS、カセットブックまである。全然聞いた事もないアニメのタイトルばかりだ。比較的わかる所だと「銀河英雄伝説」は最近マヤに、赤毛の人が死ぬ所まで観させられてショックでリタイア中だ。「サムライトルーパー」ってなんだ。「シュヴァリエ〜Le Chevalier D'Eon〜」はフランスっぽいが、どういう内容だろう。「チャージマン研!」は、ネットでよく見かけるので知っている。「進撃の巨人」「刀剣乱舞」はさすがに知っているが、「RED GARDEN」は知らない。「魔神英雄伝ワタル」は最近知った。「コスモス・ピンク・ショック」「ウィンダリア」は知らない。「超幕末少年世紀タカマル」もわからない。「ダンガンロンパ」は少しだけ知っている。「新機動戦記ガンダムW」はさすがに有名なのでわかる。「吸血鬼ハンターD」はタイトルだけ聞いたことはある。あっ、「プリンセスプリキュア」はミチルも大好きだ。「アイアンリーガー」は野球ものだろうか。「吸血鬼美夕」に「カルラ舞う!」他にもまだまだある。
「参りました」
 何が参ったのか知らないが、マヤはクレハに手をついて平伏した。
「私ごときにオタクを名乗る資格はございません」
「顔を上げて、マヤ。あなたは立派なオタクよ。世界で最低評価のゲームをわざわざ掘り出して喜ぶなんて人、そうそういるものではないわ」
 いてたまるか。ここに1人いるけど。なぜこうもフュージョン部は変人が多いのか、と考えずにはいられないミチルだった。

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