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Light Years(41) : MEGALITH

 ギター弾き語りのおじさんの歌は何というか、雰囲気としては「漁師の朝は早い」みたいな、民謡ともブルースともつかない独特の暗さを持った歌だった。
「この後にやんのか、あたし達」
 全員が思っていた事を、ジュナがボソリと呟いた。何というか、妙にインパクトがあるのだ。決してネガティブなわけではなく、時に面白い歌詞で笑わせにもくる。音楽の世界って広いな、とミチルは思った。
 
 その、おじさんの演奏が静かに終わった。会場からは、そこそこ大きな拍手が送られている。後で知った事だが、このおじさんはそれなりに有名なアマチュアミュージシャンだったらしい。プロばかりが音楽ではない。むしろ自由にやれるアマチュアにこそ、面白い人はいるのかも知れない。
 袖の階段を降りてきたおじさんは、その長く格好のいい髪の間から、にこやかな笑顔をミチル達に向けた。ミチルは軽く会釈して声をかける。
「お疲れ様でした。良かったです」
「ありがとう。君たちの演奏も、袖から聴かせてもらうよ」
 その一言で、ミチル達はわずかに緊張した。たった今、客席を楽しませた人が聴いてくれるのだ。
「頑張ります」
 月並みな返答しかできなかったが、ミュージシャンの仕事は喋る事ではない。精一杯やろう、と5人は階段に向かった。
 そのとき、すれ違いに綺麗な四十代くらいの女性が楽屋前を通り過ぎた。なんだか表情が微妙に良くない。機嫌が悪いのとは少し違う。その後、さっき運営スタッフと話し込んでいたバンドらしきおじさん達と合流している。
「あの人が例の木吉レミさんよ」
 クレハがミチルに耳打ちした。わりとギリギリに会場入りするのは、プロの余裕だろうか。ステージからは運営のMCが聞こえてきた。
『はい、津川宏次朗さんのギター弾き語りでした!市民音楽祭、残るは二組となりました。それでは次のバンドがセッティングに入ります!』
 いったんステージのメイン照明が落ちて、ミチルたちに若い男性の運営スタッフから声がかかった。
「それじゃ南條科技高フュージョン部のみなさん、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
 ミチル達は礼をして、力強く階段に脚をかけた。この階段を、昨日今日と多くのミュージシャンが登ったのだ。アマチュアでは自分たちが最後になる。自分たちが、きちっと締め括ってプロのミュージシャンに堂々とバトンを渡そう。

 階段を登って袖から出ると、下の立ち見の客から野太い声が響いた。
「おい!今年はベース壊れてないだろうな!」
 そうフュージョン部のメンバーに声を張り上げるのは、四十路前半にしては白髪の量が多い、スラッシュメタルバンド「ホワイトアウト」のベースのおじさんだった。
「また壊れたら今年はレンタル料取るぞ!」
「先輩に言えよ!あそこにいるから!」
 ジュナは、最前列に陣取る3年生達を指さしてみせた。どうやって席を確保したのか。先輩たちと何席かを挟んで反対側には、薫たち1年生の5人が手を振っている。
 そして、その何列か奥には、各メンバーの家族の姿があった。ジュナの兄はすぐわかる。ミチルは両親と弟のハルト、そしてハルトのバンドメンバーもその隣に見つけた。クレハの付き人らしき黒服グラサンのタカナシさんは、立ち見席の隅でワイヤレスヘッドセットを耳に装着し、スーツの内ポケットを何やら確認している。何が納まっているのだろう。
 テレビカメラはもちろん、見覚えのあるラジオ局スタッフもいる。学校でやったストリートライブを取材に来た人たちだ。

 純喫茶「ペパーミントグリーン」では、ミチルの叔父のハジメが、常連客とともにFMの中継放送を聴いていた。
『はい!いよいよ市民音楽祭、ラスト二組となりました!現在準備中のグループは、以前当ラジオ局で紹介いたしました、南條科技高フュージョン部、2年生のみなさんです!』
 地元コミュニティFM局の女性レポーターは、相変わらずの甲高い声を張り上げた。
『女子高校生とは思えないその演奏レベル、ぜひお楽しみに!それではいったんCMです!』
 放送は、いつも流れる産婦人科のCMに切り替わった。
「マスターの姪っ子さん達なんだって?」
 久々に店に顔をのぞかせた、60代のトンカツ屋の店主がカウンターごしに啓を見た。啓は、自慢げな表情で淹れたてのマンデリンのカップを出す。
「ああ。なかなかのものですよ、姪ながらね」
「しかしフュージョンとはまた、今どきの女の子にしちゃ渋いね。うちの孫娘はアイドルばっかりだよ」
「型にはまらない子たちもいるって事なんでしょうね」
 その姪と友人が、来週からこの店で短期バイトをするという話は伏せておいた。

 モニターから、チューニングを確認したばかりのレスポールの音が響く。ジュナはマルチエフェクターのペダルを操作し、プリセットが正しい事を確かめた。準備はOKだ。クレハを見ると、彼女もセッティングは完了したようだった。後ろでは、マーコが備え付けのドラムスを飼い慣らそうと格闘している。
 マヤはいつものクールな表情を崩さずに、淡々とキーボードの音出し確認をした。ミチル以外使うことはないかも知れないが、いちおうマイクも確認する。ジュナは相棒のミチルに目を向けた。

 ミチルは、背筋をピンと伸ばしてEWIの音をチェックした。ソプラノサックス、フルートの音も、使うかわからないが確認する。足元にはラッカー仕上げのアルトサックスも、出番を待ち構えていた。
 ジュナがミチルに視線を送った。ミチルは頷く。準備OKだ。全員を確認すると、ミチルは脇に控える運営スタッフに合図を送った。スタッフも大きく腕でマルを作って照明、音響に合図する。
 ミチルは、ざわめく客席を見た。人の海だ。今までの、どんなステージよりもオーディエンスは多い。テレビも、ラジオ局もいる。

 プロになれば、これが当たり前なんだ。

 ミチルは自分に言い聞かせるように、そう考えた。後に続くジャズグループの人達に、緊張はないのだろうか。
 ミチルの思考を遮るように、白いスーツの運営MCの女性が、ハンドマイクを手にしてミチルの前に立った。
『お待たせいたしました!それでは改めまして、本日アマチュアアーティスト組ではラストになる、南條科学技術工業高校フュージョン部、2年生のみなさんです!!』
 一斉にメイン照明がステージを照らし、ステージ衣装に各パートの楽器を構えた、ミチル達の姿が浮かび上がる。空はもう暮れ始めている中、客席からの拍手がミチルたちの身体を叩いた。
 MCがいなくなり、ミチルはごく自然体でマイクに手を添えた。
『ご紹介いただきました、南條科技高フュージョン部、部長の大原ミチルです』
 再び、先程よりは小さい拍手が起こる。
『それじゃ聴いてください。T-SQUARE"夜明けのビーナス"』

 マーコがスティックでリズムを取る。いつもやっている事だが、半ドームのステージは響き方が違う。
 それまでの緊張は、マーコのドラムスが轟いた瞬間にかき消えた。クレハのベースが空気を支配し、マヤのキーボードが風に舞う。
 ジュナのギターが熱気を帯びた風を切り裂いて、その場-ステージ-は、一瞬でミチルたちのものになった。
 イントロが終わり、ミチルのEWIが入る。朝焼けの海が、だんだんと明るくなってゆくようなサウンドだ。波の音さえ聴こえる気がする。
 Bメロが終わり、一気にミチルの演奏のスロットルが開いた。自信に満ちたサウンドがスピードを増し、波濤となってオーディエンスを覆ってゆく。
 間奏に入ると、波の間を駆け抜けるジェットスキーのような、ジュナのギターが空を裂いた。透き通る水流のようなサウンドだ。ジュナはミチルと背中合わせにソロを弾き終え、バトンタッチするようにミチルのソロへと移行する。互いの熱が背中を通して伝わってくる。2人のソロは、連続したひとつのプレイだった。
 やがて演奏はクライマックスを迎え、ラストで再びミチルのソロが、波に反射する陽光のように弾けた。やがて、海面が穏やかさを取り戻すように演奏が終わると、一瞬ステージも、オーディエンスも静まり返った。
 やがてどこからか起こった小さな拍手は、大きな波となって会場を覆い尽くした。ミチル達の演奏は、自分達の想像を超えてその場を支配していたのだ。そのことにミチル達が気付くには、十数秒の時間を要した。

 ようやく長い拍手が収まると、ミチルは全員とアイコンタクトを取り、EWIを置いてアルトサックスを下げた。全員の意識が、ミチルのイントロに集中する。ミチルはマイクに、曲のタイトルだけを静かに語った。
『"MEGALITH"』
 テクニカルで、ファンキーなサックスに続いてドラムス、スラップ調のベースが流れる。ジュナのギターが小刻みに入ると、ドラムスと80年代を思わせるエレクトーンサウンドが揃って、華やかな夜の都市を遠望するかのような、独特のイントロが流れた。
 ミチルの、メインのサックスが入る。本田雅人独特の、ドライでテクニカルなサウンドが、完璧とまでは行かなくても、80パーセントくらいは再現できていた。さらに、ミチル独特の艶やかさが加えられているのだが、これは演奏する本人が自覚していない。1年生の薫いわく、本田雅人と伊東たけしの中間のサウンドであるらしかった。

 実のところ、この曲を高校生がコピーできるというのは、とんでもない事である。それを証明するかのように、楽屋の前で無言で立ち尽くす4人のミュージシャンがいた。ジャズボーカリスト、木吉レミ氏のバックバンドである。4人は、高校生と侮っていたミチルたちの演奏を聴いて、否、聴かされて、ショックを隠せないでいた。
「どうせスクェアのコピーだろう、って言ったの、誰だ」
 サックス担当の男性は言った。他の3人は無言だった。どうせスクェアのコピー、どころではない。なぜここまで、たかが16やそこらの女子高生バンドが、スクェアをコピーできるのか。"MEGALITH"は普通の曲ではない。この1曲が演奏できる時点で、すでにそのバンドの実力は証明されたようなものである。
「俺たちは、あの子たちの後にやらなきゃいけないんだぞ。…予定通りだったらの話だが」
 4人は、ひとつの楽屋のドアを睨んだ。その視線には93パーセントの心配と、7パーセントの憤りが込められている事を、楽屋の中の人物が知っていたかはわからない。4人は増大する諦念を自覚しながら、少女たちが奏でる信じられない演奏に耳を傾けた。

 ミチルたちは演奏しながら、何か違和感を覚えていた。この違和感は何だろう。今まで体験した事がない感覚だ。嫌な感覚というわけではなく、むしろその対極だ。何かが、極まりつつある。端的に言うと、ミチル達は今、自分達の演奏レベルが信じられないという感覚に陥っていたのだ。
 気が付くと、出来るようになっている、という事がある。それは練習の末であったりするし、あるいは、何一つ学んでいないにもかかわらず、なぜかそれをマスターしている事もある。言葉では説明ができないが、ミチル達は、かつて難しくて容易ではなかった演奏が、今出来る事に気付いていた。
(吹ける)
(弾ける…)
(叩ける!)
 それぞれのメンバーが、いつの間にかそれぞれの山の頂に到達していた事を知った。眼前にはまだ次の山が見えているが、兎にも角にも、ひとつの山は極めたのだ。きっと部活存続のため毎日のように、ストリートライブで様々な曲を必死に演奏した事が、自分達のレベルを上げる結果につながったのだ、と全員がその時思っていた。そしてそれは事実そのとおりだった。
 演奏が終わった時、ほぼ全編にわたってサックスを吹き続けていたミチルは、恐ろしいまでの消耗に気付いた。まずい。そう、これがアマチュアとプロの違いなのだ、とミチルは悟った。プロは、たんに上手く演奏できるだけではダメなのだ。演奏レベルが上がったということは、それだけフィジカルに対する要求も高くなる。たった2曲!呆れたことに、たった2曲終えただけで、今まで感じた事もない疲労感が、少女の身体にのしかかっている。
(私たちのレベルは確実に上がっている。けれど、そのレベルに、私たちの身体は耐えられるの…?)
 ミチルは、洪水のような拍手の中、メンバーを見た。みんな同じ顔をしている。達成感と、不安の両方が入り交じった表情だ。演奏する事はできる。――――体力が続けば。
 だが、その不安を押し切ってくれたのは、ミチルの相棒だった。ジュナはミチルに近付くと、ひと言だけ、拍手に負けない声で叫んだ。
「のこり2曲だ!やるぞ、相棒!!」
 その一言で、ミチルの不安を、勇気が押し切った。のこり2曲。それぐらい、できないわけがない。ミチルは全員の顔を見渡して、力強く頷いた。みんなも、決意を込めたように頷く。拍手が収まると、ミチルはしっかりとステージを踏みしめてマイクに立った。
『"Breeze And You"』
 1987年、作曲は和泉宏隆。テンポはそれほどでもないが、16ビートに乗せてのメロディアスかつテクニカルな演奏が求められる。特に忙しいのはキーボードとドラムスで、前の曲でサックスが忙しかったミチルはここで小休止できる。ただし、後半には1か所だけサックスのソロが控えていた。最初の2曲に較べると、聴いているぶんにはゆっくりしたサウンドに感じられるが、実際は間断ない演奏を強いられ、音がシンプルなだけにミスの誤魔化しがきかない。
 以前はノーミスでの演奏などできなかったこの曲も、今はかなりのレベルで演奏できる事に5人は気付いた。気持ちいい。ひとつの曲が弾けるようになるというのは、これほど気持ちいい事なのか。もっともっと色んな曲を演奏したい、そんな気持ちが芽生え始めていた。
 空はまだ明るさを保ってはいるが、いよいよ夜の気配が近付いてきた。遠くに夕焼けが見える。マヤの華麗なキーボードサウンドが、公園の背後に見えるビルや街明かりに溶け込んで響いた。まるで、街の夜景がこの曲を演出してくれているようだった。

 演奏が終わると、やや静かな曲に対して、先ほどよりは控えめな拍手が送られた。ミチルは再びメンバーを見る。マヤは今の1曲でさんざんキーボードを弾いたせいか、ちょっと辛そうだ。しかし、マヤはOKサインを作って、胸をドンと叩いてみせた。まだいける、あと1曲くらい任せておいて。そんな言葉が、動作だけでわかる。
 ミチルはみんなに見えるように、ミネラルウォーターを飲んだ。みんな水分を補給しろ、という合図である。みんなは遠慮なくそれに従った。残り1曲。ミチルは、万感の思いでマイクを握った。

『次で最後になります』

 ミチルの、息を少しだけ切らした声がPAを通して響き渡る。

『"Twilight in upper west"』

 マヤの叙情的なキーボードが、緩やかに、雄大にステージと会場を包む。いよいよ、最後の演奏が始まった。

 そこに、誤算があった事を知らないまま。

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