Light Years(164) : HIGH PRESSURE
フュージョン部の過去の先輩達の音源は、外付けHDDや、古いものだとDVD-RやCD-Rなどに保存してある。何十年も前のものは、アナログカセットテープだったりする。卒業する時は、後輩の手で先輩達の演奏音源をディスクにして贈る習わしだ。
すでにユメ先輩達の演奏は、村治薫によるリマスタリングを経て、BD-Rディスクにまとめたものを用意してある。卒業式のあと、この部室で贈る予定だ。
その先輩達の音源を掘り返す過程で、もっと前の世代の先輩達の音源が収められたフォルダも薫は把握していた。
「2年前の卒業生の?ああ、もうフォルダに分類してあるよ」
薫はなんでそんなものを、という顔をした。
「ちょうどいい。薫も比較に付き合って」
「比較?」
「例のバンドの件よ」
第2部室、旧オーディオ同好会部室のリファレンススピーカーで、ミチル達と同じ名を名乗るバンドの演奏と、2年前のフュージョン部の卒業生の音源との比較試聴が始まった。
「じゃあ、まず例の"模倣バンド"からいくね」
薫はパソコンを操作し、ネットワークオーディオプレイヤーを通して、模倣バンドのサブスク音源を再生した。ミチル達の楽曲"Dream Code"を模倣した、"Dream Road"という曲だ。
ミチル達のものに比べると若干明るめで、転拍子もないシンプルなアレンジになっている。やはり演奏はプロ級で、全てのパートが完璧だ。アレンジやコード進行などは違うが、ミチル達を上回る。
サックスの演奏は、確かにジュンイチ先輩の指摘どおり、滑らかなクレッシェンド、デクレッシェンドからの、鮮烈な立ち上がりに特徴があった。ゼロの状態から一瞬でマックスまで伸びる。肺活量に自信がないとできない。
その演奏が終わると薫はHDDから、2年前の卒業生、つまりミチル達が入学する年に卒業した先輩達の音源を再生した。曲は、MALTAの1987年の曲"HIGH PRESSURE"。
「なるほど」
Bメロが始まったあたりで、ミチルはすぐに評価を下した。サックス以外、特段レベルは高くない。自惚れではなく、明らかに今のミチル達の方が上だ。それはジュナや他のメンバーも感じたようだが、それでも過去の先輩は先輩であり、口に出しては言えなかった。
だが、サックスだけは別だ。やや癖はあるが、上手い。それだけに、他の凡庸なパートの中では浮いてしまっており、トータルの演奏としてはバランスが取れていない。いっそサックスも並みの演奏の方が、まとまって聴こえたかも知れない。
そこで、マヤが頷いた。
「似てるね。確かに」
ミチルも、マヤの意見に同意した。似ている。あの、ミチル達を模倣したバンドのサックスに。薫が作った、微小音にも敏感に反応するフルレンジスピーカーシステムだと、演奏の細かいニュアンスまで明瞭に再現してくる。
「どう、薫」
「うん。同一人物だね」
薫はそう断言した。
た。
「全体的に滑らかでハイレベルだけど、ところどころ、角が立ってるような独特のアクセントがある」
「薫が言うなら間違いないか」
「念のため、何曲か聴いてみよう」
そのあと、それぞれ4曲ずつ比較のために音源を再生してみた。やはり模倣バンドは全体的にレベルが高く、卒業生の音はサックスだけが突出して、他のパートは気の抜けたような演奏だった。そして、サックスの演奏の癖のようなものは、いよいよ誰が聴いても同一人物だとわかるレベルになってきた。
だが、それで裏が取れたというわけではない。演奏のクセがたまたま似ているだけかも知れないのだ。兎にも角にも、ミチルはいったんジュンイチ先輩に、その推測が正しいかどうかを訊ねてみた。
『ああ、なるほど。さすが名探偵クレハだ』
参った、とジュンイチ先輩は返してきた。
『どこかで聴いたと思っていたが、なるほど、俺が1年生の時に聴いた、3年生のサックスか。つまり、大原たちと入れ替わりに卒業した人達だな』
どうりで聴いた覚えがないはずだ。もとよりミチル達は、過去の卒業生の音源はあまり聴いた事がないのだ。
『それで、どう思いますか。ジュンイチ先輩は、同一人物だと思いますか』
『確定でいいだろうな』
あっさりと先輩は言った。確定。
『あの独特のアクセント、間違いない。さらに、お前たちを執拗に意識してくるとなると、フュージョン部の関係者って線は濃厚だ。千住の推理はおそらく正しい』
『つっ、つまり…』
『そうだ。そいつは、成功しているお前たちに嫉妬して、当てこすりしてるって事だ』
過去の卒業生を、先輩は"そいつ"呼ばわりしてみせた。あまり好感を抱いているようには見えない。
『仮に、同一人物だとして…その人、どういう人だったんですか。今、どこにいるんですか』
『俺より、竹内顧問に聞くといい。実のところ、2年上の先輩ってのはあまり交流がないからな。といっても、お前たちが会ってもいない卒業生を疑うってのも、対外的には感心されないだろう。俺から、顧問に話をしておいてやるよ』
ジュンイチ先輩が話を通してくれるのは助かった。竹内顧問は、職員室だと話しづらいということで、ミチルとクレハを会議室に案内した。
「ジュンイチの奴から話は聴いた。また面倒な事になってるみたいだな」
もう顧問も半笑いだった。本当に、メンバー全員でいっぺんお祓いを受けるべきじゃないかと考えてしまう。
「その、お前たちに当て擦りしてる奴が、本当にお前たちが推測してる人物と同じなのかは、俺には何とも言えん。教師の立場からはどちらかと言うと、人を疑うのは良くない、と言いたいところなんだが」
そこで、いったん竹内顧問は言葉を切った。
「その、2年前に卒業したフュージョン部のサックス担当がどういう人物だったのか、と訊かれたら、まあ悪人というわけではないが、扱いづらい生徒だったのは確かだな」
だいぶ遠まわしではあるが、顧問の眉間にはかすかにシワが寄っていた。ミチルとクレハは、互いに目を見て頷いた。
「…どういう人だったんですか」
ミチルが訊ねると、顧問は難しい顔をして言った。
「ひとことで言うなら、鼻持ちならない奴、だな」
「…尊大だった、と」
「協調性がないわけではないんだが、人間に求められる協調性の最低ラインぎりぎり、という所だな。そして困った事に、サックスの腕前はあったんだ。単純に技量だけで言うなら大原、お前や佐々木をもしのぐかも知れん」
その評価に、ミチルは内心でわずかに憤慨しつつも、話を進めるために黙って聞いた。
「逆に、腕前が平均レベルなら良かったのかも知れん。技量は掛け値なし、性格は尊大。どういう結果になるか、バンドをやっているなら、わかるだろう」
「バンドを仕切っていた、っていう事ですか」
「そういうことだ。家も、大金持ちってほどでもないが、いくらか裕福なもんでな。周りが自分の言う事を聞くのが当たり前だ、と考える、典型的なお嬢様だったんだ」
「お嬢…女子なんですか!?」
ミチルもクレハも軽く驚いた。”奴”などと言うからには、男子だと思っていたのだ。
「ああ。名前は、海原シオネ。たしか東京の音大に行った筈だ」
うなばらしおね。不思議な響きの名前だ。
「…そういう人って、それこそ吹奏楽部にでも行きそうなイメージがありますけど」
「そう思うだろう。そこが、あいつの面倒な所だ。吹奏楽部なんて、凡人の発想なんだと」
つまり、平凡な発想へのアンチテーゼとしてフュージョン部を選んだ、と。聞くだけでめんどくさそうだ。隣にいるこちらサイドのお嬢様、千住クレハは(最近本性を表してきたが)、謙虚を絵に描いたような人間だというのに。そのクレハが、思い切って訊ねた。
「先生はどう思いますか。その海原シオネさんという人なら、今回のような当て擦りを、すると思いますか」
「可能性としては、ないとは言い切れない。だが」
顧問は黙り込んだ。しばし考えを巡らせたのち、首を傾げる。
「プライドも高かったからな。こんなふうに、コソコソ回りくどい事をやる奴にも思えないんだ」
「つまり、仮に私達に対して嫌味なりを言うとすれば…」
「そうだ。母校を見学するとかいう口実で、直接訪れて、面と向かってお前たちの演奏にけちをつけるだろうな」
それもそれで、潔いのか面倒くさいのかわからないが。顧問は言った。
「まあ、いろいろ面倒な奴だったとはいえ、送り出した卒業生だ。根性が捻じくれていたというのも違うし、できるなら変な疑いはかけたくない、というのも本音ではある」
「もちろん、私達もまだ憶測の段階だという事は理解しています。サックスの音が似ているというだけで、会った事もない人を断定的に犯人にするつもりはありません」
そう、クレハはきっぱり言った。そう、確かにまだ推測の域は出ていない。なんとなく、点と点が結べそうな気がするだけである。
「先生、ひとつお訊ねします。その海原さんという方、やはり他の方とは反りが合わなかったんですか」
クレハの質問に、ミチルは何を今さら、と思った。そんな面倒な人、周りと反りが合わないどころではないような
気がする。ところが竹内顧問から返ってきたのは、少しだけ意外な答えだった。
「まあ想像はつくだろうが、基本的にはそうだ。もっとも、その当時フュージョン部じたいが、あまり雰囲気がいいとは言えなくてな。彼女のひとつ上の学年も演奏レベルは高かったんだが、サックスに関しては海原の方が一枚上手だった、という評価もある。それもあって、彼女とは険悪な雰囲気だった。それで俺の前の顧問が辞めてしまったんだ。それでも海原のバンドは一応、市内の小さなライブハウスで、卒業後に記念ライブをやっていたみたいだがな」
「記念ライブ?」
ミチルは意外そうに訊ねた。クレハも、少し不思議そうにしている。
「ああ。あいつらなりに、卒業の感慨はあったのかも知れん。3年間、一緒にいたわけだしな。人間の気持ちってのは、そうそう単純でもない。仲が悪そうに見えたのは表面だけで、俺達にはわからない結束があったのかもな」
顧問は当時を思い返すように、窓の外の澄んだ空を仰いだ。
「ありがとうございました。失礼します」
ミチルとクレハはお辞儀をして、会議室を出た。少しずつ長くなってきた陽が窓から差し込む。
「なんだか、進展があったんだか、ないんだか」
「そんな事はないわ。有益な情報が得られたもの」
「どこらへんが?」
ミチルは、冷たい廊下の空気に肩を震わせながら訊ねた。春が近いとはいえ雪が少ないだけで、地形の関係で4月までは寒い土地柄である。クレハは、唇に人差し指を立てて意地悪く微笑んだ。
「秘密」
「いよいよ本性現してきたな、こいつ!」
「きゃははは、やめて!」
ミチルに脇腹をくすぐられ、クレハは廊下を逃げ回った。どうという事もない、学生生活。先輩達のそれは、あと数日で終わりを告げる。できれば、それまでにこの問題を解決したい。
「遊んでる場合じゃないの!」
「くすぐってきたのはミチルでしょ!」
クレハとこんな風にじゃれるのは、出会った頃からは想像できない。互いに笑いながらも、いちおう今の状況を真面目に考えてはいた。クレハは崩れたタイと髪型を直すと、咳払いして姿勢を直した。
「わかりました。明後日までにあの模倣バンド問題を解決してみせます」
「言い切ったな、こいつ」
「みんなに協力してもらいますからね」
久々に忙しくなってきた名探偵クレハである。そろそろ彼女のテーマ曲を制作するべきではないだろうか、とミチルは若干真剣に考えた。
部室に戻って顧問からの情報を伝えると、クレハは自分の推理が間違っていた可能性を説明した。
「方向は間違っていない。ただ、視線の先にあるものの選択を間違えていたかも知れない」
「どういう事だよ」
さっぱりわからない、といった様子でジュナがカシオEG-5をジャランと鳴らした。
「チームを2班に分けます。私とジュナとマーコがA班。ミチルとマヤがB班。私の指示通り動いてください」
唐突な作戦指揮に、全員さすがに面食らった。なんでいきなり。クレハはすでに部室を出る支度を始めている。
「問題の解決までは、バンド活動は停止。いい?」
「それはいいけど、説明してよ」
マヤの要求に、ミチルたちもそうだそうだ、と声を挙げる。クレハは、みちみち説明するからとにかく部室を出て、と急かした。
「…なるほど。けれど、もし推測が外れていたらどうするの」
マヤは歩きながら、クレハに訊ねた。
「その時はその時よ」
「自信あり気ね、言葉のわりには」
「ええ。とにかく、今は確認する事がある。さっき、小鳥遊さんにお願いしたから、間もなく返事がくるはずよ」
「小鳥遊さんに?」
クレハのスマホが鳴ったのは、マヤが訊ねたその直後だった。クレハは、待ってましたという様子で電話に出る。
「もしもし。…そう、ありがとう。料金は?…わかりました。指定の口座に振り込みます。はい。はい」
何だ何だ。料金?指定の口座?ぽかんとしているマヤ達に、通話を切ったクレハが振り向いた。
「マヤ、ミチル。この先のコンビニの駐車場で待っていて。小鳥遊さんの部下の二人が迎えに来るから」
「部下の二人?」
「ええ。私達は小鳥遊さんの車で、別な所に向かいます。それじゃ、さっき言った通りにお願いね」
もう完全にクレハに仕切られている。ザ・ライトイヤーズならぬ、千住探偵社だ。すると、別れ際にクレハがミチルに言った。
「ミチル、事後報告でごめんなさい。今回、小鳥遊探偵社にザ・ライトイヤーズ名義で仕事を依頼したから、依頼料11000円をバンドの収入から支払うわね」
「仕事を依頼!?」
「それじゃ、頼んだわよ」
それ以上の説明もなしに、クレハはジュナとマーコを連れて、おそらく小鳥遊さんが迎えに来るであろうポイントに移動していった。残されたマヤとミチルも、仕方なくコンビニに向かう。
コンビニで待っていると、なんだか見覚えのあるハッチバックつきの黒いバンが、ふたりの前にスーッと停車した。運転席と助手席には、やっぱり見覚えのある、グラサン黒服が乗っている。助手席から少しだけガタイのいい方が降りて、白い歯をニヤリとむいた。
「お久しぶりです」
「あー、ステファニーのライブの時の!」
そう、それは夏にステファニー・カールソンのライブに出演する際に機材を運んでくれた、小鳥遊さんの部下らしき二人組だった。名前は知らない。懐かしい顔に、ついミチルたちの表情もほころんだ。
「お乗りください。調べた場所に向かいます」
グラサン黒服のお兄さんが、うやうやしく女子高校生二人に後部ドアを開けてくれる。道行くおばちゃんが怪訝そうに眺める中、ふたりは顔を見られないように素早く乗り込んだ。ほどなくしてバンは発進する。この感覚も久しぶりである。
「夏はいろいろとお世話になりました」
「とんでもない。こちらこそ、皆さんのようなバンドと仕事ができて楽しいです」
ちょっとだけ意外な事をガタイのいい短髪の黒服さんに言われて、思わずミチルとマヤは吹き出した。
「そういえば、まだお二人の名前、聞いてませんよね」
「そうそう。もう付き合い長いんだから、教えてくれてもいいでしょ」
もう、マヤはタメ口である。すると運転席の、少し細身で髪を後ろにきれいに流している方が、進行方向を向いたまま言った。
「わたしは小鳥遊探偵社の探偵で、桐島翔といいます」
「同じく、花園万里生と申します。今更ですが、よろしくお願いいたします」
ようやくわかった二人のフルネームだが、その蝶野正洋の一歩手前といった風貌で、「はなぞのまりお」という響きが面白すぎて、またしてもミチルとマヤは笑ってしまった。
「ごっ、ごめんなさい」
「まりちゃんって呼ぼうか」
「やめろ!」
マヤがミチルの頭をはたくと、全員ケラケラと笑い出して、もう今から何をしに行くのか一瞬忘れかけてしまった。