見出し画像

Light Years(106) : 夏の蜃気楼

 パシフィックオーシャン・ジャズフェスティバルの、今年の会場に選定されたひたち海浜公園に近付くにつれて、じょじょに交通量と人の数が増えて行くのに5人は気付いた。環太平洋に限定されてはいるものの国際的なフェスティバルでもあり、観客は内外から訪れている。東南アジア系の観光客も多く、盛り上がりは半端ではなかった。
「これ、会場まで行けるのか」
 思わずジュナは不安を口にした。しかし開催側はそんなことは承知の上である。
「出演者、関係者用のルートがきちんと1km近く手前から確保されてる。このパスが目に入らぬか」
 ミチルは、あらかじめスマホに送られて来ていた出演者パスを、葵の紋が入った印籠のごとく示してみせた。控えおろう。マヤがくすりと笑う。
「黄門様のお膝元だったわね、そういえば」
「いま言われて気付いた」
「茨城って言われて最初に思い付かないかな」
 そこから「茨城といえば」というお題の女子高校生大喜利が繰り広げられつつ、ダークシルバーのバンは混雑した道路をどうにか抜けて、警備が関所の番のように立つ関係者用のゲートに辿り着いた。
 ゆっくりとゲート正面に進むと、警備員が赤いライトセーバーで「止まれ」と指示した。ぴたりと止まったバンの窓を開け、小鳥遊さんが「出演者です」と告げる。ミチルがスマホでパスを示すと、表示されたアーティストのIDを警備員が紹介し、恭しく礼をして車を奥に誘導した。
「ザ・ライトイヤーズの皆さんですね、確認しました。奥の係員の誘導に従ってください」
 バンド名を言われて、ミチル達は身が引き締まった。ザ・ライトイヤーズ。すでに自分たちは、後輩たちが勢いでつけてくれたその名で、公式に認識されているのだ。

 関係者用の連絡通路を車で移動中、草原エリアに圧倒的な人の波が見えた。ここは本当に日本だろうか、と思うような光景だ。サンフランシスコあたりのジャズフェスと言われても違和感はない。草原の北側に設置された巨大なステージが見える。今から1時間少し後、ミチルたちもあのステージに立つのだ。関係者用の広い駐車スペースに行くと、赤いキャップの若い誘導係員がやって来て、パスを確認した。
「下ろす機材があれば、こちらのコンテナにお願いします」
 係が示したのは、頑丈そうなキャスター付きの巨大なコンテナ群だった。2台のコンテナを借り、積み込むと”ライトイヤーズ様”と油性ペンで書かれた札が貼られ、鍵がかけられた。別な係がバンの駐車スペースを案内し、小鳥遊さんは空になったバンを移動させた。
「楽屋テントはあちらの、てっぺんに小さい緑の旗がついている5つのテントになります。出演30分前から使用できます。ライトイヤーズさんは、4時40分くらいからの出演になるかと思われますので、4時過ぎくらいに声をかけてください。空いているテントに案内します」
 代表のミチルにコンテナの鍵を渡すと、いったんコンテナは共用の機材置き場に移動された。
「1時間か。30分くらいは、ステージ見学できるかな」
「あたし、共用ドラムのセッティング確認してくる!使いにくそうなセットだったらどうしよう」
 マーコが一人、不安そうにステージに向かう。すると、ジュナが叫んだ。
「おい、迷子になるぞ、方向オンチ!」
「じゃあついて来てよ!」
「仕方ねーな」
 ジュナとマーコが走り去る背中に、マヤが声をかけた。
「チェックしたらすぐ来なさいよ!まず着替えるんだから!間違っても屋台には近づかないこと!」
「わかってるよ!」
 ジュナの”わかってるよ”は3割くらいの確率でわかってない、もしくは確信犯の可能性があり、来て早々に頭を抱えるマヤだった。
「ミチル、私達3人は先に舞台衣装に着替えておこう」
「うん」
 マヤ、ミチル、そして棚卸しセールで2,300円の黄色いジャケットを羽織ったクレハは、着替えるためにトイレに向かう。楽屋入りしてからでは色々と面倒そうだからだ。空はすでに夕暮れの気配も感じられていた。

 同じころ、南條市内の純喫茶”ペパーミントグリーン”では、貸し切りでジャズフェスのTV中継鑑賞会が行われていた。南條科技高フュージョン部の1年生および3年生の計11名と、理工科の清水美弥子先生に竹内顧問、そしてミチルの弟ハルトとそのバンドメンバー3人、さらに店の常連の自称探偵、自称小説家の、総勢19人が急場に持ち込まれた60インチのテレビに見入っていた。
「ハルト、ミチルたちは4時半くらいの予定だったかい」
 手製のカレーブルストをハルト達のテーブルに運びながら、マスターの啓は時計を見た。今は3時半過ぎだ。
「うん。特に予定変更がなければそれくらいだって」
「しかし、いまだに信じられないな。ホントにあのミチルが、こんな人たちと同じステージに立つのか」
 あのミチルとは、ミチルが小さい頃から知っている叔父ならではの感想である。
「小さい頃のミチルって、どんな感じだったんですか」
 3年の佐々木ユメは、フライドポテトをつまみながら訊ねた。テーブルにはひと口サイズのサンドイッチやパンケーキ、コーヒーやソーダ等が並んでいる。啓は答えた。
「だいたい想像つくんじゃないかな。とにかく勢いで飛び出したり、作ったり、描いたり、歌ったり踊ったり。やんちゃ、っていうのとは違う危なっかしさがある子だったよ」
 昔を懐かしむように啓は天井を仰いだ。
「わかる。あいつが入部して間もない頃だけど、一人で”キャンディのサックスの音が出せない”って唸ってるんだよ。アルトサックス抱えてさ。最初は可愛い子が入って来たな、って思ったけど、だんだんひょっとしてヤベー子なのかなって思ったもん」
 田宮ソウヘイの感想に、フュージョン部の面々は誰も異論をはさまない。清水先生が吹き出した。
「わかるわ。私に突っかかってきた時も、この子何なの、って思ったもの。先生に突っかかって、あとあとまずい事になるとか考えないのかしら、ってね」
 すると、竹内顧問もコーヒーを置いて大きく頷く。
「そりゃ俺も同じですよ。あいつらが1年の時、文化祭でステージに立たせたんだが、確かT-SQUAREの曲だったか。ショータ、お前が冗談でやってみろって言った難しい曲を、あいつが先輩からの挑戦状だって受け取ってしまったんだよな」
 すると、ショータと隣のカリナが一緒に吹き出した。当時をリアルに知っているからこその反応である。
「ほんとに、こいつ何なんだって思いましたよ。1994年のアルバムの、”夏の蜃気楼”って曲なんですけど。マジで練習し始めたんで、まだお前たちには無理だ、って言ったんです。そしたら、言われたからにはやって見せます、って」
「ショータ、ほんとに一瞬マジでイラついてたよね。フォロー入れた方がいいかな、って思ったもの」
 カリナが当時をありありと思い出すと、反対側の席にいるジュンイチも一緒に頷いた。1年生とハルト達は、「なんか目に浮かぶな」「あの人ならマジでそう言うだろうな」などと口々に言い合った。
「けど結局、まあ完璧じゃなくても、75点くらいのレベルで演奏してみせたよね。あれはビックリした」
 ユメが遠い目をして呟くと、やはり他のメンバーも同調した。ソウヘイは、少し真面目な顔でテーブルに視線を落とす。
「正直、驚いたよ。っていうかあいつら、夏休みを境に突然チームワークが取れて来たからな。なんかウマが合わなそうに見えたマヤとジュナが仲良くなってて、バンドとしてもまとまってきたんだ。このまま練習すれば俺たちより上手くなると思った」
「それはあたしも思った。なんか、持ってるものが違うな、って。その1年後に、これでしょ。やっぱり凄いよ、あの子たち」
 ユメが、TVに映る巨大な野外ステージを見た。今は、カナダの40代くらいのギタリストのバンドが演奏している。モントルー・ジャズフェスティバルのような超大物ばかりが出るわけではないが、逆にこんなすごいアーティストもいたのか、と思わされる。そして、そのリストにミチルたちが加わったのだ。
「あと20年くらいしたら、スクェアみたいになってるかも知れないわね」
 それはユメの期待か、それとも何の根拠もない空想だっただろうか。少しずつ、後輩たちの出演する時間が近付いていた。

 トイレを済ませ、学校の制服に着替えると、ミチルたちザ・ライトイヤーズは楽屋裏手の芝生エリアに集合した。プロのミュージシャンが行き来する中に、制服姿の女子高校生5人がいるのは非常に珍しいようである。すでにライトイヤーズの存在は北米やヨーロッパでにわかに知られてきている事もあり、先輩ミュージシャンが英語で話しかけてくる事もあった。そのたびにクレハが通訳に回る。
「早く楽屋に入りたい」
 ミチルはぼやいた。時刻は夕方4時少し前。そろそろテントのひとつが空いてもいいのではないか。機材のチェックも終わらせたい。そう思っていると、なんだか聞き覚えのある女性の声が近付いてきた。
「いたいた!探してたんですよ!」
 ビジネススーツっぽい装いだが、なんだかジョン・レノンを思わせるミュージシャンっぽい長髪に、少し彫りの深い顔の女性。手にはボイスレコーダーを持っている。
「あっ!」
 ミチルは思わず指を向けた。この人は以前ミチルたちを取材に来た、音響芸術社・月刊レコードファイルのライター兼編集者、京野美織さんだ。
「お久しぶりです!」
「いやあ、みなさんとは会うたびに驚かされます!あの、夏の部室で取材してた時から、3カ月しか経ってないというのに!今や、ワンダリングレコードと契約した初の日本人アーティストですよ!」
「いや、契約っていっても、まだそこまで大きな活動は…」
「何を言ってるんですか!」
 京野さんはレコーダーを向けながら、身を乗り出してきた。
「ステファニーのオープニングアクトに、チャリティーコンサート。そしてこのジャズフェスですよ。もう十分大きな事をやってます!良ければ、定期的に取材させていただいて構いませんか?」
 その勢いは、「取材に行きますからね」という有無を言わせないものがあった。雑誌の編集者というのは怖い。ミチルが答える時間も与えず、京野さんはインタビューを切り出した。
「さて、このジャズフェスへの意気込みはいかがでしょうか」
「いっ、いや、意気込みも何も…突然決まって、1週間足らずで新曲の練習してここまでバタバタしてたもので、緊張する暇もないです」
「新曲!タイトルは!?」
「えっ?えっと…」
 ミチルはマヤの顔をうかがう。マヤは”さっさと終わらせろ”という表情で頷いた。
「えっと、”Twilight In Platform”っていう」
「おお~、なんだかバラードの名曲を感じさせるタイトルですね」
 5人はギクリとした。さすがジャズ・クラシック中心の雑誌の編集。タイトルから何となく予想してしまえるようだ。
「コスタリカのアルファロというバンドの代役で出演ということですが、それについては」
「あ、はい。アルファロさんからは、メッセージをいただきました。単なる代役だと思わず、神様が私達にくれたチャンスだと思って演奏しなさい、と」
「そんなやり取りが!うーん、深いですね。そうです、もうこれは大きく羽ばたくチャンスですよ!最近はライトイヤーズをパクったアイドルまがいのバンドもどきも増えてますけど、それについては」
 何を訊いてくるんだ、この人は。もうちょっと言葉を選べ。ミチルは冷や汗が流れる思いで、必死に言葉を選んだ。
「ええと、まあフュージョンというジャンルが再び注目されるのは良い事だと思います」
 うわっ、なんて当たり障りのないコメントだ。ミチルは自分で鳥肌が立つのを感じた。あんなパクリバンドは眼中にありません、と答えるべきだっただろうか。ジュナだったらそう答えていただろう。 
 そのあといくつか手短に質問に答え、また連絡しますね、と京野さんが立ち去った頃には、ちょうどいい時間になっていた。

 楽屋のテントの中は殺風景で、長テーブルとパイプ椅子が無造作に置かれていた。ミチルたちはすぐに楽器のケースを開け、準備に入る。ミチルはアルトサックスを手早く組み立て、音に問題がないか確かめた。さらに、しばらく吹いていないソプラノサックスも確認する。試しに、”TRUTH”のメロディーとソロのアドリブを吹いてみた。
「うん、大丈夫そうだ」
「ちょっと合わせてみようぜ」
「いいよ」
 ジュナの提案に、ミチルとクレハはアンプを通さない状態で”TRUTH”を合わせてみる。サビでEWIのような高音が出せないのでキーを下げるほかないのだが、ソプラノの独特の音色は久々で楽しかった。マーコもテーブルを手で叩いてリズムを取る。とりあえずサビまで吹くと、全員互いにうなずいた。
「いけるね。”Friends”の最高音はTRUTHほどじゃないから、キーを下げなくてもいいはず」
 今度は、本来EWIを使うオリジナル曲”Friends”のサビを吹いてみる。これは譜面どおりのキーのまま、問題なく吹く事ができた。EWIよりも柔らかな音色だ。
「演奏は問題ないね、みんな」
「寝ながらでも弾けるよ」
 ジュナが手をヒラヒラさせて自信ありげに笑うと、他の4人も一緒に笑った。
「よし、ちょっと早いけど」
 ミチルが右手の甲を差し出すと、全員がその上に手を重ねる。いつもの”儀式”だ。
「夏からここまで、色々あったね」
 数か月前の色んな出来事が、メンバーの脳裏に蜃気楼のように浮かぶ。
「ひとまず総決算の大舞台だ。みんな、いくよ!ライトイヤーズ、レディー…」
「ゴー!」
 少女たちの凛とした声が、テントに響く。ザ・ライトイヤーズにとって今までで最大のステージが、15分後に迫っていた。


いいなと思ったら応援しよう!