Light Years(76) : 飛び込み案件
ワンダリング・レコードのマイケル・シューメイカー代表から、ミチル達の音源が配信されるのは10月から、という連絡が届いていたのは、夏休みもその日を含めて残り3日という日の早朝だった。その日、ザ・ライトイヤーズは改めて、イギリスで放送予定のTVドラマのテーマ曲コンペに提出するためのデモ音源のレコーディングに当たった。
デモ音源ではあるが、音響担当の村治薫によるミキシングはだんだん手慣れたものになっており、一聴するとプロの音源と区別がつかないほどになっていた。出来上がった音源はシモンズ氏の紹介という形で来月のコンペティションに提出される。
ミチル達が脚光を浴びた影響で、突然入部希望者が殺到している件については、1年生の希望によって、サックス担当の千々石アンジェリーカの入部を最後に締め切られる事になった。1年生は演奏チーム5人、音響担当1人という体制がここで決まる。
こうして、色々と溜まっていた案件はあらかた片づき、残すのは始業式のあとに控えるTV取材である。したがって飛び込みの案件がない限り、夏休み最後の2日間は何もなく過ぎ去るはずだった。
ここで、ミチルがボソッと「最後に海が見たい。泳がなくてもいいから」と呟いた事から、「伝説の夏」として語り継がれる日々の、最後の出来事が訪れる事になる。
「それなら、PV撮影しましょう!」
そう言い出したのは1年生の長嶺キリカである。プロモーションビデオ。インディーレーベルとはいえ、せっかく公式の音源配信が決定したのだから、PVを撮るべきだ。フュージョン部1年には動画制作チームもいるのだから。ということで、海を見に行くのと思い出作りも兼ねて、撮影が決まったのだった。
平日でもあり、しかも私用なので、さすがに今回は小鳥遊さんの運転は依頼できない。だが、大勢で電車やバスを乗り継いで移動するのは楽しかった。みんなハーフパンツだとかのラフな格好で、気分は遠足である。なんだかんだでこの夏は楽しかったな、とミチルは思いつつも、出発前の第一声は次のようなものだった。
「まさかそこまで持ってくるとは思わなかった」
そうミチルが呆れるのは、ジュナやサトルが背負ったり下げたりしている機材である。大型のポータブルスピーカー、アオイがいつも使っているデジタルパーカッション、玩具じみたショルダーキーボード、家に転がっていたという簡易ミキサー。誰もその場で演奏しろとは言っていない。ストリートライブでも開くつもりか。高校生11人が機材を担いで海へ移動する様子は、なかなか異様だった。
海水浴場は8月も終わりという時期で、わけのわからない海藻が浅瀬にわんさか生えており、そもそも泳ぐどころではなかった。それでも浜辺には人がそこそこいるため、PV撮影にはどうか、という話になり、少し離れた場所に移動する。
そこでマーコが、2時間ドラマのラストで唐突に出現する断崖絶壁を見つけて騒ぎ出した。
「ジュナ!あたし船越さんの役やるから、あんた崖っぷちの犯人役やって!」
「よし!」
ジュナは花柄のテレキャスターを抱えたまま、風吹き荒ぶ断崖に駆け寄った。マーコが叫ぶ。
「早まるんじゃない!」
「来るんじゃねー!」
「君には黙秘権と弁護士を呼ぶ権利がある!」
それアメリカのドラマや。あと飛び降りる時に、そんな派手なテレキャスターを抱える必要はない。そんな茶番劇も、キリカにはバッチリ撮影されていた。その後ろで、新入部員のアンジェリーカが「この人達何やってるんだろう」という顔をしている。大丈夫、ミチルにもよくわからない。それで正常です。
薫は薫で、「波の音を録音する」という謎の行動のため、崖の下に降りるルートを探していなくなった。こいつもオーディオマニアとしてブレない。なんでも、波の飛沫の音を3次元的にリアルに再生するのが目標なのだそうだ。そういえばさっき、駅に列車が入って来る様子も録音していた。まあ、楽曲のSEには使えるかも知れない。
マヤはというと、波打ち際を見るとファルコムの「イース」シリーズを思い出す、などとわけの分からない事を言い出した。なんかそういう、波打ち際がよく出て来るゲームなんですか。大自然を前にしてもゲームから離れられないらしい。クレハは一人白いワンピースで、風に吹かれて水平線の船影を見つめながらこう呟いた。
「あれ、客船かしら。コナン君が乗ってないといいわね」
そういう名前の男の子が絶対に乗っていない、という保証はないが、乗っていたらどうなるというのか。
「ゴルゴ13なら、この距離からでも船の中の標的を狙撃できるんでしょうね」
風に髪をなびかせた美少女に呟いて欲しくないセリフランキング、トップ5に入りそうなセリフである。
各メンバーが好き勝手に過ごしたあと、忘れかけていた本来の目的、PV撮影を始める事になった。水平線を見晴るかす崖の手前に、ザ・ライトイヤーズが陣取って演奏するという、危険ではあるがなかなか格好いいロケーションでの撮影である。
とりあえず海が見えるということで、オリジナル曲"Seaside Way"を演奏することになった。それなりに大きなポータブルスピーカーなので、地面に直置きするとけっこうな音量である。波の録音で姿を消していた薫が、いつの間にか戻ってきて演奏を聴いていた。
音はひどいが、ガールズフュージョンバンドが青空と水平線をバックに演奏するのは絵になった。時おりミチルのラッカー仕上げのサックスに、太陽が煌めくのも自然の演出だ。
そのあと、アオイとキリカの指揮のもと、あらゆる演奏風景が撮影された。あおり、俯瞰、各パート単独での撮影。サックスやギター、ベースはともかく、しょぼいショルダーキーボードとデジタルパーカッションはどうも様にならない、と演奏者は不満げだった。かといってキーボードとドラム一式を、岸壁に運んでくる気力はない。
せっかくなので1年生も、使うかは不明だがPVらしきものを撮影する事にした。といっても、やっている事が2年生の撮影と大して変わらない。PVなんてそんなものだろう、とミチルは思ったが、動画撮影の”本職”としては不満らしかった。
それでもキリカが、だいぶいい映像素材を撮れたとニコニコしながら、様々な自然のロケーションを撮影していた時だった。
「おっ、釣りかな」
少し遠い岸壁の端に、海に向かって立っている人影があった。背格好からして成人男性だろう。足元には、魚を入れるためのボックスらしいものが置いてある。
だが、キリカはすぐに違和感に気付いた。
「…ん?」
違う。釣りではない。岸壁の高さは20メートルはある。釣りにしては、いくらなんでも高すぎる。
「ねえ、ちょっと、アンジェリーカ」
キリカは、隣にいたアンジェリーカにカメラのモニターを見るよう促した。
「この人、何してるんだろう」
「え?釣りじゃないの」
アンジェリーカもその海のように青い目でモニターを見ながら、岸壁の端に立つ男性が不審である事に気付いた。
「ちょっと、サトルに薫!来て!」
仲良く水平線を眺めては、地球が丸い証明がどうの、と話し合っていたサトルと薫は、キリカのただならぬ様子に駆け寄った。
「どうしたんだよ」
「こっ、この人、海に飛び降りようとしてない!?」
「そりゃ、ダイブするのが趣味の人もいるんじゃねーの」
サトルがいつものチャラい様子でモニターを覗き込むと、その人影はしばらく立ちつくしていたが、おもむろに靴を脱いで、丁寧に足元に揃えて置いた。そして、何かを決意したかのように、海を向いて立ち上がる。もうこの時点でまずいと悟ったサトルは、血相を変えて走り出した。
「薫、警察呼べ!俺、止めてくる!!」
そう、フュージョン部は文字通りの"飛び込み案件"に遭遇したのである。
「飛び込み!?」
下の海水浴場から買ってきた焼きそばだの、とうもろこしだのを呑気に食べて寛いでいたミチル達は、薫からの報告に一瞬で蒼白になった。
「なんで!?」
「知らないよ!とにかく今、警察には連絡したけど…」
ここから市街地まではだいぶ距離がある。パトカーが運良く近くにいればいいが、そうでなければまずい。いや、仮にパトカーが到着したからって、飛び降りるのを阻止できるとは限らない。
どうするべきか。海水浴場にはレスキューの人もいるはずだ。彼らにも連絡するべきだろう。
「私たち、下に行って連絡してきます」
連絡係を買って出たのはリアナとアンジェリーカだった。ミチル達は頷くと、ともかく単独で飛び降りを阻止するために向かったサトルのサポートに向かう事にする。
だがその時薫は、アオイとキリカの2人を呼び止めた。
「ちょっと待って」
「早まんなって、おっさん!」
風が吹く中、サトルが叫ぶ。サトルの前方40メートルくらいの所に、裸足になって今にも海に飛び込もうとしている、50から60代くらいの男性がいた。
「邪魔するな!独りで死なせてくれ!」
「ふざけんな!人が死ぬの見捨てて帰ったら、気分悪ぃだろうが!」
だいぶ個人的な都合も含めつつ、サトルは自分なりに必死に説得を試みた。脚には自信はある。少なくともフュージョン部で、一番速い部類に入るはずだ。おっさんが隙を見せたら、即座に飛び掛かって押さえ込んでやる。
それにしても、さっきジュナ先輩とマーコ先輩が、2時間ドラマのモノマネを披露した直後でこれだ。だいたい、現役フュージョン部は何かと事件に巻き込まれすぎじゃないのか。もし、これでおっさんが海に飛び込んでしまったら、と考えて、サトルはゾッとした。
おっさん本人への同情ももちろんあるが、それを目撃して、かつ止められなかった自分たちも、後味の悪さと自責の念にかられるだろう。
だが、おっさんは「独りで死なせてくれ」と言った。だからこそ、こんな偶然でもなければ誰も寄ってこないような、岸壁を選んだのだ。
(俺がいる限り、この人は飛び込むのをためらうかも知れない)
サトルはそう考えて、少しだけ楽観的になる事にした。というより、無理にでもそう思わないと、自分が冷静さを失いそうだったのだ。
なんとか、隙を見付けなくては。サトルは、おっさんまでの地面を見た。向かって左側は草が生えていて、ダッシュするにも足を取られそうだ。右側の土が露出した面でないと、おっさんまで一瞬で接近できない。サトルは、ゆっくりと右側に移動した。
「近付くな!飛び降りるぞ!」
そう叫ぶおっさんに、サトルは不謹慎だがつい吹き出してしまった。
「死にてえのか、死にたくねえのかどっちなんだよ!」
「なっ…なんだと!」
いいぞ。怒ってこちらに反応を見せた。そうだ、こっちに来い。とにかくその崖から、1メートルだけでも離れろ。サトルはそう願った。
だが、おっさんは海を振り向いた。――まずい。この勢いは、もう自暴自棄で飛び込む気だ。
(終わった)
サトルはそう思った。
だが、そのとき視界に入ったものがあった。
(!)
それは左手方向、崖の下の岩場になっている場所だった。見覚えのある5人の人影が見える。この2ヶ月、サトル達を驚かせ続けてきた人達だ。そう、フュージョン部2年生にしてガールズフュージョンバンド、ザ・ライトイヤーズの5人である。
何をやってるんだ?サトルは思った。先輩たちはこの状況で、楽器を手にしているのだ。よく見ると、先輩たちの横にはポータブルスピーカーとともに薫が陣取っている。
おっさんが今にも、崖の下の岩が突き出る海面に飛び込む挙動を見せようとしたその瞬間、それは起こった。
「!?」
驚いたのはサトルだけではない。おっさんも驚いて振り向いた。その岩場に鳴り響いたのは、日本人なら誰もが知っている、おなじみ「名探偵コナン」メインテーマである。そう、先輩達はこの状況で、音楽を演奏したのだ。まったくもって意味不明だが、とにかく、おっさんが呆気にとられて動きが止まったのは確かだった。
サトルは、その一瞬の隙を逃さなかった。コナンのテーマが流れる中、脚に全力を込めておっさんに接近する。
「でえりゃああ―――!!」
おっさんの脇に出ると、ローリングソバットの要領で、側面から巻き込むように蹴りを入れる。
「ごええっ!!」
嫌な悲鳴とともに、おっさんは乾いた草地に投げ出された。サトルは無我夢中でおっさんに飛びかかり、刑事ドラマでよく見るような組み伏せを試みた。
「あぎゃあ!」
ちょっと予想していた反応とは違うが、とにかく痛みで走る気力はなくなったらしい。そのあと、最終的にキャメル・クラッチの要領でおっさんをホールドした。観念したのか、バンバンと地面を叩いてギブアップを示す。完全にプロレスである。取り押さえる技術なんか持っていない。嫌なら飛び降りなんか考えるな、バカ。
そこへ、コナンのテーマが流れる中、薫以外の1年生女子4人が駆け付けて、おっさんの拘束に力を貸してくれた。さすがに5人がかりでは身動きもできず、おっさんはようやく観念してくれたようだった。
あとコンマ1秒遅ければ、この人は飛び込んでいた。それを思うと、サトルは心底ゾッとするのだった。
相変わらずコナンのテーマが流れる中、ようやくパトカーが到着する。っていうか、もう演奏しなくていいだろ!サトルがツッコミを入れる中、警官が駆け付けたところで、その無駄に見事な演奏が終わったのだった。
ミチルたちフュージョン部の活躍で飛び降りるのをやめた(やめさせられた)おじさんは、近藤さんという59歳の自営業の人だった。飛び降りようとした動機は、経営難とかの話でもなければ、女性関係だとかの話でもなかった。その理由は、揃えた靴の隣にあった、クーラーボックスの中身である。クレハは、やばい金が入っていると思ったらしい。
「これ…漫画?」
警官たちと一緒に、クーラーボックスの中身を見たミチル達は、その意外さに驚いた。漫画、正確にはコピー用紙に鉛筆で描いた漫画のコンテ、いわゆるネームが、ぎっしり詰められている。ざっと見て、五千枚以上あるだろう。
「おじさんが描いたの?ひょっとして」
状況から見てそうだろうな、と思いつつミチルは訊ねた。おじさんが力無く頷く。
おじさんは10代の頃から漫画家を目指していて、あちこちに投稿したり、WEBに掲載していたのだが、何をどうやっても人を楽しませる事ができない事に絶望したらしい。このまま絶望の人生が続くくらいなら、自分で終わらせてしまおうと思った、ということだった。そこまで思い詰めるという事は、よほど漫画家になりたかったんだろうな。というか、それだけ描いて読んでもらえなかったというのは、そんなに作品が面白くなかった、という事なのだろうか。認められないのに作り続けるという精神力はすごいなと思う。
それについて、ミチルは何も言えなかった。その人の気持ちは、その人にしかわからないからだ。ただ、サトルが叫んだように、目の前で死なれたらこっちも困る。
おじさんは、情けない姿でクーラーボックスと一緒に、警察に連れて行かれた。こういうのは、法的にはどういう罪になるんだろうか。小鳥遊さんなら即答してくれるだろうが、とにかく10代の少年少女は、目の前でおじさんが死ななくて良かった、と思うだけである。おじさんがどう思っているのかはわからないけど、いつか漫画描いて来た努力が報われるといいね。
そのあと警察からは、ミチル達もさんざん聴取を受けた。そして警官と同じ調子で、サトルも訊ねた。
「なんであのタイミングで演奏したんすか!?」
まあ訊かれるだろうな、とミチルも思ったが、実はこれは薫の発案で、とっさにキリカ、アオイと3人で放置してある機材を抱え、先輩たちを「人間より音波の方が速い」という謎理論で説得したのだ。飛び降りを制止するのは状況からして普通だが、崖の下でバンド演奏を始められたら、誰だって訝しむだろう。そこに、救出の隙ができる、かも知れない。何の確証もないが、薫とミチル達はそれに賭けたのだ。
さらに言うと、薫が崖下をわざわざ選んだのは、岸壁と海面によるホーン効果によって音圧を上げるため、だそうだ。これももちろん、薫の音響知識の活用である。これが崖の上だったら、音は散乱してろくに届かなかったはずだ、という。
「なんでコナンなんすか!?」
サトルも引き下がらない。警官が「まあ、落ち着きなさい」となだめる。これはもう「誰でも知っていてすぐに演奏できる曲」という、フュージョン部の合言葉で決まっただけで、特に意味はない、というのが実情である。だが、「笑点」のテーマをやるよりはマシだろう、と説明したら、しぶしぶ納得したようだった。しかしミチル達が到着した時はキリカとアオイに両サイドから抱きつかれての賞賛を受けており、傍目には美味しいポジションに見えなくもなかった。そもそも、女子9人と海に出かけてる時点でだいぶ美味しいんだぞ、お前。フュージョン部が女所帯なのもあるけど。
そんなこんなでフュージョン部の「伝説の夏」は、最後にとんでもない事件に遭遇しつつも幕を閉じた。そのあと予想通りマスコミの取材があり、自殺を阻止した少年が噂のガールズフュージョンバンドの後輩という事もあって、結局最後の最後まで、1秒たりともゆっくりできない夏が、ようやく過ぎて行ったのだった。
秋は、もうすぐそこまで来ている。
(伝説の夏編/完)