Light Years(174) : Stimulator
その翌朝、マヤはついにゾンビゲームのやりすぎで自身もゾンビ化し始めたか、というような様相で部室に現れた。深夜何時までアレンジ作業をしていたのだろう、表情は虚ろで、目の下にはクマができている。隣でクレハが倒れないよう支えつつ、登校してくる始末だった。
マーコがエクソシストを呼ぶべきだと主張し、ジュナがマイケルのスリラーのモノマネをやらせよう、と言い出したタイミングで、マヤはUSBメモリを昔の某仮面ライダーの変身ポーズのように、ミチルの目の前に示した。
「アレンジをまとめてきた」
マヤがミチルのデモ音源をもとに、徹夜でまとめてきたアレンジは、およそひと晩で仕上げたとは思えないようなレベルのものだった。モニタースピーカーから流れる再生音を、バンドメンバー全員が真剣な表情で聴き込んでいた。
全体としてはハイスピードな8ビートの基本的なリズムだが、イントロは16ビートで、冒頭のあたかもファンファーレのような高らかなサックスのあと、鋭くかつ重量感のあるベース、シンセが入る。大昔のプログレ一歩手前といった印象のイントロのあと、空を裂くようにAメロへ導入するギターが入り、そこからミチルのメロディーへと受け渡される。
ミチルのメロディーはマヤのアレンジを得て、いよいよ完成に近付いた。Bメロではメインがギターに引き渡され、サビでサックスが爆発する。だが、間奏のメロディーは入っていなかった。ジュナが首を傾げると、マヤは無言でジュナを指さした。つまり、間奏はジュナのギターに任せる、ということだ。例によって、間奏明けでちょっとした転拍子が仕掛けられてはいるが、ほんのアクセント程度だ。
「うん、いいね。マヤ、お疲れ様。ありがとう。ジュナもね」
ミチルは、ふたりに向かって両手を合わせた。ジュナのアドバイス、マヤのアレンジがなければ、この曲は完成しなかったのだ。だがマヤは、重要な事を言った。
「ごめん、みんな。さすがに譜面まで起こす気力はなかった。つまり…」
「耳コピで仕上げないといけないって事でしょ」
クレハが、言いづらそうなマヤに代わって言った。マヤは眠い目をしたまま、申し訳なさそうに頷く。
「関係ないよ。どうせあたし、もともと耳コピドラマーだから」
こういう時、マーコは本当に頼もしい。譜面はまだ苦手だが、譜面なしで曲全体を把握してしまう能力は、実はバンドで随一である。ミチルは、楽曲を完成させるプランを即座に練った。
「まず、全員でマヤが作ってくれたデモを頭に入れよう。ストリートライブの時の要領だよ。構成はそんな面倒じゃないよね、マヤ」
「うん。間奏明けで4分の3拍子のあとブレイクが入るくらい。全体は8ビートで、構成は古典的なJ-POPとほとんど変わらないから、覚えるのはそんなに苦労はないはず」
「よし、私達はこの1曲に集中しよう。薫の作業はどうなってるかな」
ミチルは、今朝まだ会っていない1年の村治薫の進捗が気になった。ミキシングとマスタリングを任せているが、どこまで進んだだろうか。ジュナが「そういえば」と、斜め上を見ながら薫との会話を思い出していた。
「もう、あらかた作業は終わってるって言ってたけどな。例の手焼きCD-Rはどうすればいいんだ、って言ってたが」
「お煎餅じゃないのよ」
手焼きCD。ストリーミングの時代にあって、もうCD-Rでの音源販売というのは過去のものになりつつある。だが、ライブハウスで出会う30代、40代の大先輩バンドの人達は、CD-R全盛の時代を体験している。その話を聞いて、ミチルは自分でもCD-Rでの音源販売というものをやってみたくなった。
「大変だぞ。仮に予定期日までアルバムができたとして、ライブまでは1週間もない。その間に、CD-Rにアルバムを焼いて、レーベル印刷して、ジャケットも…」
ジュナがそこまで言って、全員が蒼白になった。ミチルが叫ぶ。
「ジャケット写真!」
「そうだよ!すっかり忘れてた!」
ミチルとジュナは、がく然として互いを見る。レコーディングの事で頭がいっぱいで、ジャケット写真の事をまったく考えていなかった。ミュージシャンはビジュアル素材も準備しなくてはならないのだ。それどころか、ビジュアルにはミュージシャンの個性が出る。ジャケット写真とは言うが、サブスクでもアルバムの画像は必要だ。
「なんかなかった!?」
慌てるミチルに、クレハは冷静に答えた。
「素材になりそうなものなら、あの子に訊けばいいんじゃないかしら」
長嶺キリカは、ミチルの唐突なリクエストに「待ってました」とばかりに胸を張った。
「そんなの、早く言ってくれれば良かったんですよ。昼休みまで待っててください。今まで撮り溜めてきた先輩たちのアーティスト写真、使えそうな構図のやつを見つくろっておきます」
ショートカットの1年生が、これほど頼もしく見えた事はない。そして、キリカは自らも提案してきた。
「アルバムを出すからには、PVも必要ですよね。私達に任せてもらえますか」
「おおー」
そういえばキリカとアオイ、サトルの3人は動画配信者だった。今までもミチル達の映像を音楽つきでアップして、好評を博している。もう時間がないので、何でもお任せします、という気になっていた。
ミチルは授業の合間に、改めてライブまでの予定を順序立ててまとめた。
・アルバム完成
・配信用音源データ、およびジャケット画像の準備
・レーベルに音源を手渡す
進捗はインスタグラム、ツイッター等で逐次伝える
・ライブ物販用のアルバムCD-Rの準備
記録用ディスクメディアの選定、書き込み、ジャケット印刷
・ライブ演奏の準備
アルバム収録曲の練習、既存の楽曲の復習
★アルバムリリース
サブスクリプション各サービスで一斉配信
★レコ発ライブ
南條市内ライブハウス”マグショット”にて
ざっとこんな所である。もちろん、このとおり進んでくれる保証はない。イレギュラーな要素が入り込んでくるのは、ザ・ライトイヤーズのお約束である。何もありませんように、とミチル以下全員が思った。
昼休み、ミチル達はダッシュで部室に集合する。すると、キリカを先頭に1年生が待ち構えていた。パソコンに、今まで撮り溜めてきたミチルたちの写真データを揃えておいてくれたのだ。キリカ以外の薫たちは単なる野次馬である。
「わー、懐かしい」
ひとつのフォルダにあったそれは、主に夏に撮影された写真群だった。市民音楽祭。雑誌の取材。そして。
「わあ!」
ミチルとジュナが揃って驚がくした。それは、喫茶店でバイトしているミチル達のメイド服姿である。
「あっ、やべ」
口ではそう言いながら全く悪びれる様子がないキリカが、あっけらかんと説明した。
「リアナに頼まれて盗撮したんです。ミチル先輩の叔父さんのお店に、3回行きました」
盗撮を自分からバラす犯人もそうそういない気もするが、いつの間に店にやって来たのだろう。ガラス越しに撮っているようだが、偏光フィルターを使っているのか、映り込みがない。もう盗撮のプロである。おまわりさんこいつです。
「ジュナ。罰として、リアナにめちゃくちゃハイレベルな課題出しておいて」
「任せとけ。アルバム収録終わったら楽しみにしとけよ、リアナ」
盗撮の首謀者であるリアナは、若干顔を引きつらせながら小さく「はい」とだけ答えた。
写真は他にも山ほどある。厳密にはキリカ達が撮ったものだけではない。ミチルたち自身が撮影したものも、一緒にまとめられていた。その中から一枚の写真を、キリカが推薦した。
「私は、このあたりがシンプルでいいんじゃないかと思うんです」
そう言って示した写真のフォルダには、なにやら水辺をバックに5人が並んだ写真が何枚もあった。服装を見るに、夏ではない。
「あっ、ジャズフェスの日だ!」
ミチルは懐かしそうに手を叩いた。そう、昨年11月、ひたちなか市の海浜公園で行われたジャズフェスに向かった際、道中スマホで撮った写真だ。マーコも懐かしそうにファイルを開く。ハンバーガーらしき包みを手にした、クレハとジュナが並んで立っていた。
「あー、なまずバーガー!どこだっけ、あの湖!」
「霞ヶ浦でしょ。大橋を渡ったところにあった道の駅」
マヤも、思い出しながら目を細めていた。マーコは次々に写真を再生する。
「わー、また行きたいな」
時間にすればせいぜい4カ月かそこらの話なのだが、だいぶ前の事に思える。霞ケ浦大橋を渡った時、小鳥遊さんが運転するバンの中では、ザ・リッピントンズのアルバムが流れていた。バンド活動はライブだけではない。移動中目にしたもの、触れた空気、全てがバンドとしての体験である。
「あの時倒れてた子、元気かな」
「元気だよ。最近バンド始めたって言ってた」
「あそっか、ミチルはLINE交換したんだ」
もう、当初の目的を忘れかけていたマーコとミチルに、ジュナが「おい」と言った。
「4カ月前を懐かしむのは、あらかた片付いてからにしてくれ。それで、どれにするんだよ」
そうだった。今はジャケット写真を決めるのだ。すると、キリカがひとつの写真を指した。
「これ、私すごくいい写真だと思うんです」
それは、霞ケ浦の水面をバックに、5人がジャンプしている瞬間の写真だった。マーコがポンと手を叩く。
「あー、他の観光客に撮ってもらった写真か」
「うん、悪くないね。湖と、青空がバックっていうのも爽やかでいい」
頷くマヤに、キリカが付け加えた。
「先輩たちって妙なオーラがありますけど、この写真は逆にオーラ弱めの、ごく普通の女の子、っていう感じがして好きなんです。どうですか」
キリカが、5人の反応を見る。ミチルは頷いたあとで、キリカと1年生全員に言った。
「うん。私達もこれでいいと思う。クレハ、レーベルに送っておいてくれる?」
「わかった」
すると、マーコが提案した。
「ついでに、CD-Rのジャケットにも使えばいいじゃん。これにタイトル入れてさ」
「あ、そうだね。そっちはマーコに頼んでいいかな。そういうの得意でしょ」
「いいよ」
なんだか、あっさり片付いてしまった。ビジュアル素材は用意できた。ミチルは改めて、薫に訊ねた。
「薫、何度も確認するけど、音源はもう大丈夫なのね」
「問題ない。あとは、最後の1曲を準備してくれればすぐに終わる」
薫も薫で頼もしい。オーディオ部の廃部という出来事はあったが、その結果、音響の知識を持った薫がフュージョン部に来てくれた。ここまでの活動で、薫に助けられた部分は本当に多い。
「1年生のみんな、ほんとにありがとね。みんなの協力のおかげで、驚くほど短期間に、アルバムの完成が見えてきた。本当に助かった」
ミチルの謝辞に、サトルは手をヒラヒラさせて言った。
「どうって事ないっすよ。っていうか、去年からやってる事の延長です」
「それはそうだ」
サトルとアンジェリーカのツッコミに、全員が爆笑した。そう、要するに去年の夏から、やっている事は基本的に変わっていないのである。それが今回はたまたまアルバム制作だった、という事だ。
「ようし、最後の曲、きっちり作るよ!」
ミチルの掛け声に、全員が力強く応えた。
そこからのレコーディング作業は、それなりには困難を伴ったものの、着々と進んで行った。まず、マヤの指示でドラム、ベースのリズム隊が、全体の構成を掴むことが優先された。その傍ら、ミチル、マヤ、ジュナのメロディーライン組が、それぞれのパートを覚える。ミチルは自身が作曲した事もあり、覚えるのにそれほど支障はなかったが、問題はジュナだった。
「間奏どんな感じで行けばいいんだ」
ジュナが、困ったという顔でレスポールを提げたまま、ミチルとマヤに訊ねた。
「こんな感じ?」
その場で、適当なフレーズを弾いてみせる。いつもの、ジュナのテクニカルで鋭いソロだ。これでいい、という気もするが、ミチルもマヤも首を傾げた。
「うーん」
「悪くはない…っていうか」
「十分いいんだよなあ」
それが逆に悩みどころだった。ミチルが聴くぶんには、十分いい。曲全体を引き締め、盛り上げるという、ソロの役割は十分果たせるだろう。だが、ここまで多くの曲のほとんどを事実上まとめてきた、ミチルとマヤには欲が出てくる。
「暫定、これでいいという事にするけど」
「うん。ジュナ、あなたならもうワンランク上を目指せる」
マヤは、ジュナの目を見据えて言った。ジュナは一瞬不満そうな表情を見せたものの、ミチル達がジュナを信頼している事を理解したのか、口を結んで頷くと、ヘッドホンをして一人作業に戻った。
「さあ、人に注文つけてばっかりもいられない。マヤ、そっちはどう」
「私はそんなに目立った仕事はないんだけど、イントロがね」
マヤは、自らデモ音源でまとめたイントロのキーボードを弾いてみせた。ジャーン、と冒頭で一気に掴むための展開だが、どうもうまく決まらないらしい。そこでミチルは提案した。
「とりあえず、適当なところで合わせてみようよ。でなきゃ始まらない」
新曲の初セッションというのは、なんとも言えない空気だ。何しろ最初なので、きっちり合わせる方が無理である。予想通り、最初はミスの連続だった。やっているうちに、いちおう曲全体の構成は見えて来る。だが、「とりあえず自分のパートの音を置いておきます」という印象になってしまい、とても音楽と呼べるようなものではない。
「ま、最初だしこんなもんでしょ」
何度か演奏を終えた状況で、ミチルはアルトサックスを置いてドリンクで喉を潤した。他のメンバーを見ると、クレハとマーコは特に問題なさそうだ。リズム隊が安定しているのはとりあえず安心材料ではある。
「私のサックス、なにか問題ある?」
「特にない。強いて言うなら、もっと感情を強めに表現してもいいかな」
マヤの感想からすると、自分の演奏はまあ大丈夫だろう、と思えてくる。とりあえず、曲全体として形にはなった。あとは、楽曲としてブラッシュアップするだけだ。ミチルは、自信なさげにネックを握るジュナを見つめていた。