![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/167826343/rectangle_large_type_2_d64e8c64b9e18b7291868098a7ef4a9e.jpeg?width=1200)
2023土曜講座「河川と人間①ー田越川の源流探しー」
1.はじめに
2023年6月17日(土)に実施した2023年度実施の土曜講座「河川と人間①」の紹介です。2023年度の「河川と人間」は三回分を企画しました。その記念すべき第一回目の講座です。講座のタイトルは「田越川源流探し~自称田越川ブリッジマスターを目指そう~」でした。当日は、9:00に学校に集合し、自己紹介や田越川について知っていることについて書き出してもらいました。その上で、担当教員より、田越川の事典的な説明と古写真を紹介することで、昔の田越川について知識の共有をはかりました。9時30分には学校を出発し、河口部から北上していきました。途中、逗子文化プラザにて図書館の郷土資料の活用法についてレクチャー。その後、田越川沿いを歩き、お昼休憩。今回は地域の町中華屋さんで、みんなでご飯。気持ちを新たにして、源流を目指しました。
主な目的は、
①「自称 田越川ブリッジマスター」を目指し、橋の情報を収集する。
②逗子フォト掲載写真などの古写真と現在の風景を比較し、景観を考える。
③古地図と現在の地図を比較し、地形を考える。
④田越川沿いの、地域の利用のあり方を考える。
⑤地域の食堂を利用することで、地域のことを考える。
*なお今回の授業実践にあたって、逗子市役所による「逗子フォト」を利用させていただきました。古写真は、地域理解を進めるにあたって、貴重な教育資源になると感じております。ぜひご覧ください。
https://www.zushiphoto.jp/
2.歩きはじめる前に
田越川は逗子開成生徒にとって身近な川です。登校途中に、目にする生徒がほとんどだと言っても過言ではありません。けれども悲しいことに「田越川」について、「何を知っているか?」と問われると答えることができない生徒がほとんどかもしれません。今回聞いてみました。
「田越川について知っていることってどんなこと?」
・橋が架かっている
・なぜか川の陸に近い方の表面が出ている
・結構短そう
田越川そのものに関する知識はなく、日頃見ている印象を記しているにとどまります。なお、田越川は、本校の場合、「清掃活動」において、学年全員が訪問する場所でもありました(雨天の場合は中止のため、訪問することのできない学年もあります)。もう少し質問を具体的にした方が良かったのかもしれません。「清掃活動の時に感じたことは?」「清掃活動の時に気づいたことは?」などが思い浮かびます。漠然と聞いてしまったのが失敗でした。ただ、田越川の歴史や田越川にかかる橋の名前が挙がることはありませんでした。参加者には、地元の生徒もいなかったため、仕方ない状況かもしれません。
こういった現状を確認して、辞書的な説明を行いました。以下は、『日本歴史地名大系 神奈川県』より抜き書きし、箇条書きに整理し直したものです。太字部分は強調して伝えた部分です。
・本流は、沼間の池山から流れ出す、横須賀線に沿って西流する部分
・本流に、池子の大池からほぼ京浜急行電鉄逗子線に沿って南西流する池
子川が桜山地内で合流する
・上記の流れに、久木地内から南流する久木川(旧名御縄川)を合せて、逗
子湾南端で海に注ぐ
・御最期(後)川・御菜川ともよぶ
・全長は五・七四㎞ある
・上流から矢ノ根川・烏川・清水川・田越川と名が変わる
・『吾妻鏡』には多古江河・多胡江河・多古恵川と記される。
・『平家物語』では六代御前の処刑の場所とされる。
・『承久記』には三浦氏の遺児が「手越」の河畔で九歳を頭に四人斬られた
記事がある。
・近世になって、浦賀道の往来が増え、河口の田越橋は半島名所の一つと
なった。
・田越橋は明和年間(1764~72)の間に架けられ、天明年間(1781~89)
に牛馬の通る橋となった。
・田越橋は小坪村・桜山村両村持ちで、修理保存の責任は両村にあった。
・以下は『逗子市誌』と地名辞典より
1795(寛政7)年 大破修理
1804(文化元)年 板橋を修築、
1812(文化9)年 大破
1814(文化11)年 新造
1819(文政2)年 破損、
⇒このとき橋修理のため、郡内の髪結床からの役銭を願出たが、髪結床のある村々から反対陳情が出て取止めとなる
1824(文政7)年 修復=長さ二十一間、幅九尺
1833(天保4)年 架替え
1838(天保9)年 小破修理
1844(天保15)年 洪水により大破
1851(嘉永4)年 橋修理のため橋銭徴収許可を願出る
1855(安政2)年 流失し、上流は清水橋を回り、河口は渡河または舟橋使用となる
1866(慶応2)年 古材で板橋をつくる
1869(明治2)年 普請=長さ二十一間、幅二間
1884(明治17)年 流失し、渡舟となる
1894(明治27)年 もとの田越橋の位置に新たに橋を架け、富士見橋とする
⇒田越橋はこの頃すでに本通りの現在の渡河点にある橋に移されていたと推測されている
1923(大正12)年 田越川本流の蛇行は水害の原因となり、大々的に改修
⇒関東大震災で河口が約一メートル隆起し、それまで上流清水橋辺りまで遡行していた舟も上れなくなった。この時、富士見橋は津波で流失した
これから歩く田越川の流路を地図とともに確認できました。あわせて、「橋」の維持が、どのようになされているかについて考える機会を得ることができました。小坪村と桜山村両村の管理であることや、髪結床の役錢をあてにした時期があったことなど。また、関東大震災後の隆起を考えると、それ以前の景観と現在の景観が異なることを知ることができました。
さらに加えて、生徒への配付しおりに写真22枚を掲載しておきました。本報告では現地の説明とあわせて、現在の風景写真とあわせて、以下にしおり掲載写真の一部も挿入していこうと思います。
3.田越川源流探し
河口部から歩く、歩く、歩く・・・のが目的です。写真をはさみこみながら、何を見て歩いたのか簡単に紹介します。
![](https://assets.st-note.com/img/1735537927-8wPRsJxCOH2hnBgLfY4diSTW.jpg?width=1200)
石原慎太郎の太陽の季節碑からスタートしました。『太陽の季節』といってもピンときていないようでしたが・・・この碑の左側が田越川の河口部分です。なお、下の写真四枚をみてみてください。特に昭和10年の写真はがきに注目してみてください。富士山が異なる位置に書き込まれていることがわかります。お~。現地に行って確認できることがなによりでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1735538339-tLwok4MGTn2rDpUJm6c5I1qO.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735538294-01EznsLDl3FBe2tKafwGu4Rd.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735538601-yYtDOmjQ32sZkMRfWGedbi70.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735538981-vbA7OrPG04jSsznmtVlyRKYd.jpg?width=1200)
とりあえず行けるところまで行ってみました。そして「田越川一橋目」の渚橋です。なお、当日は工事中でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1735539301-MEIKpCDauiOekNqHtXP7Uhdg.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735539361-rFlOpJP8mzs21YWaECciRD56.png?width=1200)
続いて本日のメイン橋でしょう。「2橋目の富士見橋」です。富士見橋は、江戸時代の「浦賀道(脇往還)」の要となる場所でした。浦賀までの道中にかかる橋の中では最も長い橋であったといわれています。地名辞典の記事でも、たびたびの破損や渡し舟が使われていたこともあったことが分かります。なお、現在の富士見橋は京都の五条大橋を模して1988(昭和63)年に朱塗りの橋となっています。当日は、古写真をふまえ、今の風景と比較しながら歩きました。
![](https://assets.st-note.com/img/1735541941-uN7xmqotChF5Jwre0zQAnIMT.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735541985-0drovbnt1UQqg7Iu3OhBpjzw.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735542696-I9KtMECgAFjVPDzi8wcSZWHR.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735542812-dLCmj1iSv69Kr8QJwz3gX0MG.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735542918-hlrtIEAKPJmVfziU74wsdvQ6.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735543090-VRIX8HUMekgPal4rt6GLmb0x.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735543047-nh15tSLyb3JCQrpuV8jUdIEM.jpg?width=1200)
ここで、参加生徒の同級生に会いました。このあたりに住んでいるということでした。川沿いの道について確認させてもらいました。そして、ここで今の「田越川」を考える際に印象的な方々に出会いました。SUPを楽しむ方々です。現代ならではの河川との付き合い方なのかと考えさせられました。
![](https://assets.st-note.com/img/1735543275-Y9MFr3kxe8hgCAwbjnqU4WiP.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735543365-C18XSnoMWK2qRxdpIB9mtFwQ.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735543524-QWqpBxdlAfERkN6wVLY8jMZh.jpg?width=1200)
ここで3橋目の田越橋です。1884(明治17)年まで、2橋目の富士見橋は元々「田越橋」と呼ばれていました。しかし、同年に橋が流されてしまったため、渡し舟となりました。そのため、今の場所に「田越橋」がうつされました。そんな視点でながめてみると、橋の付け根の曲線部分の形状が富士見橋と一緒であることに気付きます。
![](https://assets.st-note.com/img/1735544078-raguGZABIqNobnOhtPiKUXsc.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735544442-oNnczkm0xQRXIvCy5bfVS2dB.jpg?width=1200)
田越橋すぐの場所は、歴史的にとても貴重な場所です。そこは江戸時代の名主・石渡家の屋敷跡です。そして、その家の前には荷揚げ場があり、この場所で牛馬に積み替えて、陸路で榎戸湊まで運び、そこで船に再度積み替え、江戸まで新鮮な魚を運びました。三浦半島の南端をまわるよりも、こちらの魚荷道の方が早かったのでしょう。今からは想像できない舟運のあり方です。今の水量では想像もできませんが、関東大震災による隆起前の姿を想像してみたい場所です。
![](https://assets.st-note.com/img/1735544812-tELiVnOx3N1KIBuqZoCD2TWs.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735544858-hMsiz8oOkXFU0PuR2qJ9Lwjl.jpg?width=1200)
個人所有の?素敵な橋(通行不可)の脇には、徳富蘇峰の顕彰碑があります。御親族による碑文(平成20年)には「ここは、かつて小庭園を創り、魚楽園と名づけて両親や弟蘆花達と共に清遊を楽しんだ跡地である」と紹介されています。
![](https://assets.st-note.com/img/1735545219-cQOs0JohK3TLRAYmb6uEprf7.jpg?width=1200)
仲町橋(なかちょうばし)まで来てみると、橋のデザインもさまざまであることに関心がむかいます。それぞれをくらべてみると面白い。
![](https://assets.st-note.com/img/1735545470-6Awrhgnx7PS0L1tmCyiq5jIH.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735545568-nHKaMUoXSCt0k29FGW1Pg7pi.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735546290-wiA9UW8jDVxkuZt7EzMSqvaF.jpg?width=1200)
逗子フォトの清水橋とくらべてみると、その流量に驚かされます。逗子フォトの写真は、流量の多い時に撮影したものと思われますが、今以上に河川と水害がとなりあわせにあったことを考えさせられます。
![](https://assets.st-note.com/img/1735545903-6kxSgcYXCHW2jsK3ODue8V40.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735546410-yfNadsGbwFcUX3Y9EzRO5DC7.jpg?width=1200)
今回のフィールドワークは、ひたすら「橋」に着目することを目的にしましたが、カメやボラなどいたるところで出会いました。カメについては、外来と在来と二種類を見分けることができました。
なお、清水橋の手前では、逗子市文化プラザで逗子市立図書館の郷土コーナーに立ち寄りました。写真を引用させていただいた書籍の紹介、『逗子市史』、新聞資料等、郷土資料を活用する際に必要なものについて紹介しました。 調べ方のツールについて知ってもらいたかったからです。
ここからは、ひたすら歩きます。
![](https://assets.st-note.com/img/1735546740-H8fjPABpuXQaWobLFE29vmtC.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735546822-Vnp8AqCWF9PJ0hXTldBaZvRH.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735546903-VtbQDuf8e9sjoyY4ESJxGTW3.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735547106-s6QYRZcnLHkOgJuoEIWl3PVi.jpg?width=1200)
参加者男子たち、蛇に興奮。「へびがいるぞ へびがいるぞ」橋以外の生物についても楽しめました。
![](https://assets.st-note.com/img/1735547223-3aih1ML7luFbJAzeqykxoWZ8.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735547282-3rzPJGZMxcyW941CNTsH5UbV.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735547303-VwJjNsGp1oSaOQrl42x6In9b.jpg?width=1200)
途中、流量を確認するカメラや指示板を発見。ここでも水害があった時代のことを考えさせられます。
![](https://assets.st-note.com/img/1735547803-oN1cEGLHfmJiaUB90rgOhxpy.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735547867-EOUQLYf3WVuXJdtGPz9Blr8c.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735547930-HEfJ2qmknRigwBdWQajpczZ1.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735547997-KSipWBEdMFkmvyYuDIZrbl3O.jpg?width=1200)
淡々と橋の写真をとっていたため、少し飽き始めた生徒たち。「入っていいですか~。」「落ちないでね~」とりあえず記念写真をとっておきました。当然ながら水は飲めません。
![](https://assets.st-note.com/img/1735548177-p3aysXFSdi1khmDwJVBAEWv6.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735548353-OmFpnMRYbKQB5TV3fZ9CErex.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735548437-1EVpAifC3GtznKgyFWwdak8e.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735548537-knqv5RGpgAbTaNlY9F2JMi3E.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735548604-aeFrbiZ54SVpocqDlCM9Ahv7.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735548660-cbLelfWF8ACqTKXso4vDYyHm.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735548742-iQOfX57AklGWh8IqjbJoLV9M.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735549525-qeo4v8Y2KDwWf0C9trQEGdZl.png?width=1200)
ここで、やらかしてました。写真がない!23橋目の矢の根橋では、地域の方が、川沿いの雑草?を刈っていらっしゃた記憶があります。挨拶をしたことも。橋という認識なかったのか?忘れてしまいました~。しかも、その後の24橋目より26橋目までの写真が欠落。これは原因がはっきりしています。お昼ご飯処の目標が「康楽」さんでした。帰りにとればいいね!との容易なやり取りでそのままになってしまっていました。27橋目の法勝寺橋と28橋目の武道橋は帰りに押さえていたのですが・・・。
*「中華・生そば 康楽」で昼食をとらせていただきました!こ
その地域にしかない、地域の食堂に通うこと。さまざまな場所から通う逗子開成の生徒にとっては、「逗子」という土地を体験することの一つだと考えています。大切なことだと思っています。今回は、少人数だったこともあってみんなでお世話になりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1735554124-1AYz4LVy028hcJNlQ7HKUd6n.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735550760-pKfakyNB5MdIPCxnv2jthYus.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735550780-a3h9dQxICr4zV1NZj2Pc5J6M.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735551012-snWHqIOutjo5aQREMXb1wJmx.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735551233-Vjt4xTXdpeFhW5r7wfIGcDRg.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735551356-miXRONak5o1drUE3l2PFV6G8.jpg?width=1200)
さて、ここで問題が起こりました。田越川の源流探しもあと少しとの思いを参加者が思い始めたところでした。田越川を追うことが難しくなっていました。それは、田越川が、地元企業の敷地内の前を通っていることが分かりました。アポもとっていないので、流石に突然押しかけることは憚られます。ここで切り上げる方向性を思い描きましたが・・・・・。働かれている方がいらっしゃることに気付きました。急ぎ、地元の学校であることを伝え、許可をとったのでした。ご厚意に感謝をして、もう少し歩みを進めることができました。「いや~ここは行けないでしょ」という箇所も、源流探しの妙な熱意に押され、行けるところまで行きました。山登りは避けましたが、この先だね。というところまでたどり着き、参加者みなで満足しました。身近な田越川。けれども知らないことだらけなことが分かり、源流(本流)探しを終えることができました。
![](https://assets.st-note.com/img/1735552115-ToInyMGXsVBiN9a4WEqvfm1F.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735552158-fk4Lw0osn3rjWE9ivzTQFayt.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1735552205-O9XmZLkKC1Noge2dV8AlJHRs.jpg?width=1200)
活動中に、何人かの地域の方に声をおかけいただきました。温かい言葉をかけていただきありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
4.生徒が感じたこと
活動中のメモには以下のような記述がありました。
・上流の方が小川の様になっていたこと
・上流にはカメやヘビ、下流にはフグなどの生物がいたこと
・勝手橋と呼ばれる橋が田越川にも架かっていたこと
・川沿いには多くの店があったり、道が通っていたりと川を中心に街づくりがなされていること
・意外と長かった
・源流のところもコンクリートだった
・橋の密度が高い
・地域に密着した川である
事後に興味を持ったことや調べてみたいことについては、以下のような記述がありました。
・田越川の支流について
・田越川は三つの支流から成り立っているので、他の川とかはどのくらいの支流があるのか(多摩川など)
・流域の橋の数や密度、その規模を比べてみたい
・田越川の流域に歴史的な遺跡のようなものがあったかどうかについて
・田越川の水質について
・田越川の源流について
・田越川の生物について
比較の視点をもって、他の支流や河川への関心を広げてくれた点は大きいと思いました。実施できて良かったと担当教員として思いました。一方で、地域の方との交流や地名や寺社への関心などについては、あまり深まっていない印象も持ちました。
5.おわりに(今後の課題)
今回の目的は、河川を歩く際の視点や、どのような情報をもって歩くと良いのかといった視点を学んでもらうことに主眼を置きました。そのため、事前に資料(地図・地名辞典・古写真)を提示しました。その上で、図書館に立ち寄り、資料の所在や活用すべき書籍についても示しました。古写真という点では、冒頭に掲げた昭和10年の田越川河口の写真はがき中に描かれる富士山が、誤って書き込まれていることなどを現地で確認できました。これは、史料を見る際に注意すべき視点を、調査の中でたまたま明らかにできた珍しい事例だと思います。
最後に講座を担当した教員の視点で以下に今後の課題を示しておきます。来年以降に関心を広げ、引き継ぐことができると良いなと考えています。
1)今回の調査は「本流」のみでした。23橋目~26橋目までの写真をとり忘れています。どこかのタイミングで補いたいと思います。そして、支流二カ所が未調査です。池子大池からの流れと、久木川(旧名御縄川)とよばれる流れです。どこかのタイミングで「橋」を押さえにいかねばなりません。逗子開成生徒にとっておなじみの「東郷橋」は久木川にに含まれます。
2)「橋」一つ一つの名称には意味があるはずです。その根拠が分からなくなっているものもあると思いますが、もう少し橋の名称にこだわったり、デザインにこだわったり、「橋」のデータそのものもまとめれば良かったと思いました。
3)古写真の深い読み込み=景観を読む取り組みについて、もう少し丁寧に取り組み、記録を残しておきたいと思いました。
4)通り抜けた場所の一つに「沼間」(=「沼浜」)という地名があります。正倉院文書中にある文書に「沼浜郷」という地名があり、その場所として推測されている場所です。そして、源義朝の邸宅跡があったと言われている場所でもあります。じっくり寺社仏閣や地形をみて歩く視点があっても良かったかもしれません。
5)今回は、教員単独で案内しましたが、河川にまつわる町づくりという視点をもって、役所の職員や地域で町づくりに関わる方の協力を仰いでも良かったかもしれません。また、地域の「食」には、もう少し関わり方があるような気がしました。
*最後になりますが、本実践は 、河川基金助成事業2023「学校部門(河川教育助成)」採択テーマ「博学連携で考える河川文化の探究授業研究」によって実施させていただいたものです。