結婚の挨拶

6年前の秋、父と夫が初めて顔を合わせた。


堅苦しくならないよう、けれど、なんとなく落ち着いたところがいいかなと相談して、昼食の時間に和食の料亭を予約した。

私たちは10分ほど前にお店に着いた。街路樹の前で、ぽつりぽつりと話しながら父を待つ。お店の中で待っとくって言えばよかったね。大丈夫?トイレ先行っとく?とか、そんな感じで私ばかりがしゃべる。少しおどけてみたけど、「そういうのやめて」という言葉にピシャリと遮られた。夫は視線を落とし、足元にあった枯葉を、くしゃりと踏む。そわそわしているのは私だけなのか。

少しして、遠くから歩いてくる父の姿が見えた。私が手を振ると、父は、「おう」と右手を挙げて応えた。夫は、ぺこり、と頭をさげる。



「予約していた○○です」私の苗字を伝える。この苗字を誰かに伝えるのは、あと何回だろう。夫と相談して、姓は夫のものにすると決めた。入籍は結婚式と同じ日に、あと1年後にしたいと考えていた。

「こちらにどうぞ」と、仲居さんが引き戸を開ける。間接照明がうっすらと灯るこぢんまりとした個室。父と向かい合って座る。実家の家族4人で過ごしていたとき、父の隣は私の指定席だった。母と弟、父と私。家で座るときも、外食をするときも、決まって父の隣。今は、なにも言わず、夫の隣に。そしてきっと、これからも。



黄色いお新香。ポリ、ポリ、ポリ、ポリ。ゴクリ。静かな咀嚼音が私の頭に響く。夫は口下手で、気の利いたことは言わない。父だってそうだ。ふたりは似ている。

先ほどから夫は、運ばれてくる料理を一口食べては、「うん、美味しいですね」と父に向かって声をかける。3つ目の料理は天ぷらだった。さくり、という軽い衣の音の後にでた、3回目の「うん、美味しいですね」にげんなりする。

このまま、運ばれてくる料理の感想がメインの食事会でいいんだろうか。ただのランチではない、顔合わせだぞ。いいのか、これで。父と夫、どちらに水を向けても、静かに、ポツリ、ポツリ、と、相槌なのか、返答なのかわからない会話が続く。時折、どちらかが、すこし笑ったりする。その度小さく安堵するが、いやいや、その笑いはどんな笑いだ。大丈夫なのか。大丈夫って、何がどうなったら大丈夫なのか。

わかっている。ふたりが出会った理由は、私なのだから。場を繋がなければいけないのは私なのに。背中に、つう、と冷たいものが垂れる。



せめて夫がネットで、「顔合わせ 会話」とか調べておいてくれれば。いや、夫は絶対にそんなことしていない。
おおらか、物事に動じない、優しくて他人の意見を尊重できる、という夫の長所。この日この場所で、間に挟まれた私にとっては短所となった。いつもはこんなこと思わないのに。

盛り上がらない会話に、ぎりぎりと心の歯を食いしばり、自分を責めていた矛先が、徐々に夫へと向いていた頃だった。



「夫くんの気持ちを聞かせてほしいな」

空気が、ピン、と張り詰めた。きっと私の周りだけ。夫はどんな風に答えるんだろう。

ぽつり、ぽつり、と、話出す。学生の頃の私との出会い。社会人になってから、美味しいものを食べに行くのが楽しいと知ったこと。1度、結婚について大きな喧嘩をして、たくさんの話をしたこと。お互いの気持ちを、すり合わせる方法を模索していること。

声がかすれて、何度か咳払いをする。私は、どこを見たら良いかわからず、ウロウロと目線を漂わせる。デザートのアイスクリームが、器の下に小さな水溜りを作っていた。

父は時折、うん、うん、とうなずく。

それで、ええと。少し言い淀んだあと、夫はもう一度咳払いをした。父と、夫の視線がぶつかる。一瞬、私は居場所をなくしたような気がした。

「結婚の承諾を、いただけませんでしょうか」



外まで仲居さんが見送ってくれた。「ごちそうさまでした」3人で揃って頭を垂れる。さて、と前を向きながら、父が言う。

「今度、よければ夫くんとふたりで食事に行きたい。夢だったんだよね、娘の彼と、ふたりでお酒を飲みながら話をするの」

「ぜひ、行きましょう」

嫌なことはすぐ顔にでるはずの夫は、なんだかにこやかだった。店を出た後、すぐに並んで歩く後ろ姿を見ながら、違和感を覚える。あれ、もしかして、会話が盛り上がっていないと思っていたのは、私だけなんだろうか。


夫は口下手で、気の利いたことは言わない。父だってそうだ。ふたりは似ている。

そう、似ているのだ。

本が好きなところ。特に、海外の推理小説が好きなところ。洋画のサスペンスが好きなところ。少しレトロな車が好きなところ。おしゃれで、細身で、イギリスっぽい格好が好きなところ。中でも、靴が好きなところ。


そしてきっと、私のことを、愛してくれていること。


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にわのあさ
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