3歳の娘と、公園で見かけた女の子の話
表情は固く、あまり感情のこもっていない声だった。
「もしイヤって言われたら、悲しくなっちゃうから、どうしよう、って思ったんだよね〜」
娘は唇を突き出して、眉を寄せた。
なんだかこの言葉が妙に胸に残って、揺れるバスの中でひとり思い返していた。
◇
3歳半を過ぎ、娘はお昼寝のタイミングが難しくなってきた。
平日の保育園ではお昼寝をしているけれど、お休みの日はそのまま夜まで過ごすことも多い。
家の中にいると、ブロック遊びやお気に入りの録画を見るのがメインで体力を使わない。すると、お昼寝をせずとも、夜寝る時間がぐっと遅くなってしまうのだ。
そんな、元気が有り余っている娘と過ごした年末年始。
体力を消費するため、近所の公園で3歳の娘と過ごす時間が多くなった。
◇
公園には、大きな遊具がある。
いつものように、子ども向けのボルダリングがはめ込まれている側面から、滑り台まで登る。
娘の背中には自信が満ちあふれていた。
3ヶ月前まではらはらしながら見ていたのが、ずっと昔のように感じる。もうこの遊具の前では、不安に思いながら娘の後ろ姿を見つめることはないだろう。そう思うと、たくさんの嬉しさと、スプーン一杯ほどの寂しさで胸が溢れる。
ふと、順調に登っていた娘が、目線を外して遠くを見た。
娘に注意を払いながら、その視線を辿る。
小学校低学年ほどの女の子が数人で鬼ごっこをしていた。
きゃっきゃと響く笑い声に気を取られたのだろうか。
気になる?と背中をさすると、首を横に振り、また真剣な顔つきで登りはじめた。
上に登りきった後、娘は公園を走るその女の子たちを上からじいっと見つめていた。
滑り台の順番を待つ子が現れるまで、娘は、その女の子たちに釘付けだった。
◇
昼食時になると、女の子たちは散り散りに公園から去った。
まだ公園に残りたがる娘。なんとか説得して、私たちも帰路につく。
昼食のオムライスをダイニングで食べながら、午後は違う公園に行ってみる?と聞いた。
うーん、と小さくうなった後、何か言いたそうな顔をする。
少し待っていると、ぽつり、と娘がもらした。
「娘ちゃん、お姉さんたちがやってた鬼ごっこ、いいなぁと思ったんだよね〜」
お、じゃあ午後はかかと鬼ごっこやる?
そう言いかけて、あ、違う、と思い直す。
お姉さんたちと、遊びたかったってこと?
そう問うと、「そうなんだけど、」と言いながら、娘はまた小さく、うーん、とうなった。
次の言葉を静かに待つ。
知らない人だったから、声を掛けることを躊躇したのかと思ったが、違った。
「もしイヤって言われたら、悲しくなっちゃうから、どうしよう、って思ったんだよね〜」
◇
公園で初めて会った子どもと遊ぶ機会はたくさんあった。
けれど、これまでは砂場に入った子どもたちがお互いのおもちゃを無言で貸し合うようなもので、ただ同じ空間にいるだけだった。
だから、これまで公園遊びといえば、娘ひとりで遊具に登ったり、私や夫と追いかけっこしたり、かくれんぼをしたりする場所だった。
少し前、たまたま公園で出会った保育園の”お友達”に、娘は歓声をあげながら駆け寄っていた。”お友達”も、その娘を見て歓声をあげた。
お互いに屈託の無い笑顔を向け、自然と手を取り、転びそうになりながらも精一杯走る姿は、太陽の光をあわせ眩しく映った。
そう、そんなことでさえも、私には眩しく映った。
娘は、私たち親以外に、一緒に遊べる”お友達”ができたのだ。
娘は今日、まだ”お友達”ではない、見知らぬ女の子たちの楽しそうな姿に、羨望を含んだまなざしを向けた。
声の掛け方は知っていたけれど、夢中で遊ぶ彼女たちから断られるかもしれない悲しさを想像して、ぐっと言葉を飲み込んだ。
そしてきっとその悲しさは、保育園の”お友達”を作る過程で経験したことがあるのだろう。
保育園で”お友達”ができた経験が、新しい出会いを前に、一歩引いたり、戸惑ったりする。
私は、親は、それすらも、大きな成長に感じてしまった。
だから、悲しそうな顔をする娘を見て、少し心があたたかく揺れてしまったのだ。
娘が言う通り、この先、一緒に遊びたいと伝えて断られることは、きっとたくさんある。
その理由を考えたり、YESをくれた人を大切にしたり、タイミングをはかってみたり、たくさん考えて、娘は人との距離を覚えたりするのだろう。
あとね、わかるよ。その気持ち。
娘の一言に、ぼんやりとそんなことを考えた。