12対1のオリエンテーション

 最近は歳をとってすっかり腰が重くなり、なにをするにも「よっこいしょ」が口癖である。

 自販機に100円玉を入れる時にも「よっこいしょ」と言い、缶コーヒーを取り出す時にも「よっこいしょ」と言う。最近は、財布から100円玉を取り出す時にも「よっこいしょ」と言ってしまう。缶コーヒーを買うのも大変なのだ。

 唯一の例外は、オシッコをする時で、なにしろモノが立派だから、「どっこいしょ、よいやさー」とかけ声をかけながらモノを出さなければならない。

 歳をとると何事も面倒なのだ。

 仕事も面倒になってきて、最近は打ち合わせにも出ないし、出てもしゃべらなくなった。発言しようとすれば、人の話を聞かなければならず、そのためには集中力が必要なのだ。そんなの面倒である。

 昔は、こんなんじゃなかったんだがなあ、と若い頃の自分を思い出す。

 そうそう、一番よく覚えているのは、「12対1のオリエンテーション、山岡第三ビルの決闘」である。とあるプロジェクトの競合プレゼンがあったのだが、二社競合だった。

 一応説明しておくと、まずオリエンテーションで仕事の概要が説明される。競合する会社が一緒にオリエンを受けることもあれば、一社ごとに行われることもある。次に、そのオリエンを元に、各社が考え出した提案をプレゼンテーションするのである。

 当時の私は、飛ぶ鳥どころか飛んでいるジェット機さえ落とすほどの勢いで、二社競合では負けるはずがなかった。

 だから、代理店の男から「すみません。例のオリエンの件なんですが、ちょっと他のとバッティングしてしまいまして」と電話があった時も、「プレゼンならともかく、たかがオリエン。私一人で十分です。あなたは、バッティングセンターで、ぜひホームランの看板に直撃させていただきたい」と引き受けたのである。

 当日、指定された会議室に入って驚いた。

 競合相手と思われる連中がずらりと並んでいたのだ。数えてみると12人である。一人ひとりスポンサーに名刺を差し出していて、結構お偉いさんも来ているようだった。

 おもしろいじゃないか、と私はほくそ笑んだ。12対1。望むところだ。数の差が戦力の差ではないことを教えてやろう。

「ええ、それではオリエンテーションをはじめさせていただきます。ご承知かとは思いますが、このプロジェクトは、我が社にとっては非常に重要なプロジェクトとなっております」

 担当者がそう言ったとたん、競合相手の12人が、深刻な顔つきで「うんうんうん」と頷いた。12人がいっせいに頷くと、なかなかの迫力である。

 負けるものかあっ、と私は全力で頷いた。12人が相手なら、多少のオーバーアクションは必要である。全身全霊を込めて私は頷き、最後には、額が股間にぶつかるほどの勢いだった。

「このプロジェクトが失敗したら、私はシベリア支局に飛ばされます」

 担当者が言ったとたん、12人が「ははははは」と笑う。

 こんなつまらんギャグに笑うとは、この幇間どもめ。と思いながらも、やはり負けるわけにはいかない。私は腹を抱えて笑い、涙まで流す迫真の演技を見せた。小学3年の時、浦島太郎のカメの役をやったその経験が活きた瞬間である。

 相手が一つ質問をすれば、私は三つ質問をする。一人が持っていたペンをクルリと回せば、私はペン回しの奥義「ドラゴン怒りの逆回転」を披露する。しまった、こんなことならハトを出すマジックの仕掛けを持ってくるんだった。

 こうしてオリエンは、私の圧倒的勝利で終わったのである。

 12人もいながら、たった一人の私に振り回された競合相手のディレクターが、悔しさをにじませた顔で私をにらんでいたことを、私はまだはっきりと覚えている。私はすました顔で、彼に向かって一礼をしたものだ。

 今となっては、懐かしい思い出だ。

 ふと、私は我に返った。

 昔を思い出しているうちに、ついうとうとと眠ってしまったようだ。思い出の余韻は、まだ私の内に残っていた。その余韻は、私に少しばかりの幸せを感じさせてくれた。

 しかし、と私は、頭を振る。そして、懸命に記憶をたどろうとする。だが、まるで時間をおいた夢のように、思い出したい記憶は薄れていく。何度思い出そうとしても、記憶は確実に遠ざかっていく。

 あの競合プレゼン、勝ったんだっけ?

 それだけが、どうしても思い出せなかった。


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