自慢男と憑依男
オッサンは、自慢話が大好きだ。
今夜、私を飲みに連れ出した代理店の男も、やはり自慢話が大好きだった。競合プレゼンに勝った打ち上げのせいか、特に自慢話に拍車がかかった。もう、1時間ほど続いている。
私は、自慢話が大嫌いだ。
奥ゆかしい性格だからというわけではなく、単に自慢するネタがないからである。顔は不細工で、身長も低く、さらには金もない。父親から受け継いだ小さな印刷会社を経営しているだけの、冴えない中年男である。
「あの時は、やばかったなあ」と代理店の男は言った。
「おれ、ボクシングやってたでしょ。殴ったらダメだったんですよ。でも、あんまり相手が理不尽なことを言うもんで。結局、足腰立たないくらいにぶちのめしちゃって警察に御用ですよ。ま、相手がヤクザだったんで、二晩ほどブタ箱に放り込まれるだけですみましたけど」
私は、自慢話の中でも、ヤンチャ自慢が一番嫌いである。
むかし見た「竜二」という映画のラストに近いシーンが頭の中で蘇った。奥さんと子供のために堅気になった竜二が、また、ヤクザな世界に戻っていく悲しいシーンだった。
「名古屋の倉田組って知ってる? その若頭で修さんてのがいるんだけど、その人に可愛がられてよ」とヤンチャ自慢をはじめた同僚の男に、竜二は、相手の手の甲に火の付いたタバコを押しつけながら言うのだ。
「どうしたって言うんだよ、それが」
とてつもなく冷たく、相手を地獄にまで突き放すような声だった。私は、竜二のように「ブタ箱に二晩? どうしたって言うんだよ、それが」と頭の中でつぶやいた。
その瞬間、私に竜二が乗り移った。
過去に見た映画やアニメの主人公が、すぐに憑依してしまうのが私の欠点のひとつである。自慢することが何もない男の逃げ場所は、唯一、妄想することなのだ。最近は、妄想がそのまま表に出てくるようになってしまった。
「仕事の自慢だけにしておけばいいものを」と私の中の竜二が吐き捨てた。本物のヤンチャがどういうものか知りもせずに……。
「それは、大変でしたね」と私は、低い声でつぶやくように言った。竜二のような冷たい声だった。回りの空気まで一瞬に凍ったかのようで、代理店の男がブルッと背筋を震わせた。驚いたように私の顔に視線を向ける。
私は遠い目をして、さらに言葉を続けた。「……でも、8年間服役していた私よりは、マシですよ」
「え……服役? 8年?」
今度は、高倉健が憑依した。ここから先は、竜二よりも高倉健の方が適任だ、と私の深層意識が判断したのだろう。
私は、自分が言ったことに、今気付いたようなふりをして、あわてて首を振る。「いや、うっかり変なことを……。自慢するようなことじゃないんで。勘弁してやってください」
代理店の男は何も言わず、重苦しい沈黙が流れた。
私はわざとらしく笑顔をつくり、「いや、冗談ですよ。冗談」と言いながら乾いた笑い声を上げる。「そんなことより、ヤクザをぶちのめした話、もっと聞かせてくださいよ」
高倉健を相手にヤンチャ自慢をする男は、どこにもいないのだ。彼の自慢話は一切なくなり、その日の打ち上げは早めのお開きとなった。
それ以降、私を「ちゃん」付けしていた彼が、「さん」付けで呼ぶようになった。他の社員たちも、私を見る目が少し微妙である。応接室の椅子に座り、こりゃあ、営業的にはちょっとまずかったかな、と反省していると、事務の女の子がお茶を持ってきた。
「聞きましたよ、ムショの件」と女の子が笑った。
「うん。まずかったかな」
「大丈夫大丈夫。ほとんどの人は、信じてないから。まあ、彼は本気で信じてるみたいですけど。『一番怒らせてはいけないのは、ふだん大人しいああいう人なんだ』と何度も言ってますよ。本当に怖かったみたい」
「ああ、ちょっとね。高倉健のふりをしたんだ」
ぷっと噴き出したあと、彼女が急に真顔になる。「ねっ、今度デートしません?」
困った顔をしてみせ、「私の年齢を知っているのか?」とたずねる。
だが正直に言うと、心の中では、高級料理店に行くと思わせて庶民的で隠れ家的な店に連れて行き、その後、腕のいいピアニストのいるバーに流れ、最後は小さいが歴史のあるホテルに連れ込むところまでをシミュレーションしていた。
自分はがっつかないタイプですよと油断させ、しかし、きっちりとやることはやる。偽善的スケベエ、それが私の理想であり……。
「今、課長島耕作の演技してません?」と彼女が言った。
「はい。してました」と私は答えた。憑依した島耕作が、「いやあ、まいったな」と頭をかきながらそそくさと退散していった。
やっぱり生物学的には、女の方が上だなと思いながら、私は彼女が入れてくれたお茶をズズズッとすすった。
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