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「なんて楽しくて愉快で自由なんだろう」とうらやましく思いました。

2018年4月のある朝、私は会社のトイレの個室でうずくまっていた。二十数年の人生において経験したことのない、信じられないほどの激痛が下腹部に走ったのだ。やっとの思いで立ち上がり、オフィスに戻って会議資料を作り終えたところで、私の痛みは限界に達し、

「すみません・・・。腹痛が酷いため早退します。部会に出席できずすみません・・・」

と部長に言い残し、手すりをつたいながらなんとか歩いて、近くの内科に向かった。

その病院には日頃から世話になっていた。その頃の私は、仕事のために酒を飲み、ストレスを溜め、日常的に嘔吐を繰り返していたため、胃炎及び逆流性食道炎の薬をよくもらいに行っていたのだ。

医師の触診を受けたが、どこを押されても痛かったため原因は特定できず、

「なーんかいつもより激しいね?ここでは原因を特定できないから、大きい病院に紹介状を書いときます。あと、もう立てなさそうだから救急車呼ぶね。」

と医師に言われ、私は救急車で運ばれた。

「消化器系に問題あり」として紹介されたため、私は大きな病院の消化器科に搬送されたが、痛みでまともに喋ることもできなくなっていたため、まずは痛み止めを打たれた。

「5分くらいで効いてきますからね〜もう少しの我慢ですよ〜」

と看護師に言われたが、5分経っても痛みは変わらず、追加の痛み止めを打たれた。

「これ膀胱か・・・?」
「いや、それにしては大きすぎるよな・・・?」

検査中、医師達のそんな会話がうっすらと聞こえた。

検査の結果、医師からは

「おそらく婦人科系の病気です。ここでは診ることが出来ないので、他の病院に行っていただきます。救急車を呼んでいますから、ちょっと待っていてください」

と言われ、救急車で病院をはしごした。そして到着したのが婦人科の最高峰、順天堂大学病院だった。

早速MRIをとることになったが、あまりの痛みに私はじっとしていられず、

「一旦出しまーす。麻酔追加しますねー。」

と一度MRIから出された後、大きな注射を見たところで私の記憶は曖昧になった。

意識が戻ってきた頃に再度問診と触診(と言っても麻酔中のためほぼ意味なし)を受けた。

「明日の朝に再度検査をしますが、チョコレート嚢腫で間違いないと思います」

「チョコレート・・・?えっ・・・?」

人より生理痛は軽い方だったし、出血量も普通だと思っていた私は、まさか自分が婦人科系の病気にかかるとは思っていなかった。チョコレート嚢腫なんて単語も初めてきいた。翌日、再度検査を受けて、午後には手術を受けることになった。

その頃の私は、仕事で大きな企画を1人で抱えており、取引先20数社と毎日細かい確認や打ち合わせを行っていた。チョコレート嚢腫と診断された日の夜に会社に連絡し、申し訳ない気持ちでベッドの中から引き継ぎを行った。

手術後、医師から説明を受けた。子宮や卵巣の摘出までには至らなかったが

「正直に言いますね。チョコレート嚢腫にかかる前のA氏さんの生殖能力を100とすると、今回の発症及び手術を受けて、それが100でなくなったのは事実です。でも妊娠ができなくなったわけではありませんから、安心してください」

と言われたのをはっきりと覚えている。

私は結婚願望もなければ子どもが欲しいと思ったこともないため、特段何も感じなかったが、妊娠を望む人がこれを言われたらどんな気持ちなんだろうと、ふと考えさせられた。

この時に私は「人生には自分でコントロール出来ない何かが突然起こって、自分の予定や希望が叶わなくなることがある」ということを実感した。

退院後、すぐに夏になり、誕生日を迎えた私は自分に何を買おうか迷っていた。

「思いっきり髪染めたいな」

という思いがふとわいた。

「私の人生、やりたいと思ったことはなんでもやってやろう。」

そう思って、自分への誕生日プレゼントとして、全頭ブリーチを敢行し、髪色をオリーブアッシュにした。3時間以上の大工事だった。今まで見たことのない自分の髪色を見て、心からワクワクした。久しぶりに日常に「生」を感じた。


2022年の夏、退職にあたりお世話になった取引先の方々に退職メールを送った。長年の夢だった日本語教師の試験に受かったこと、全くあてはないがそれを持って憧れのプラハにワーキングホリデービザを持って住むこと、そのために3年ほどチェコ語を勉強していたことなどを書いた。もちろん、企画でお世話になった20数社の方々にも送った。たくさんの方から温かい返信や「飲みに行きましょう!」というお誘いをいただいたが、あるメールに目が止まった。

「A氏さん、大変ご無沙汰しております。退職されてミッションをクリアしに行かれるとは!なんと素敵な時間の使い方でしょう。全面的に応援します!どうぞお気をつけてご出発ください。そういえばA氏さんといえば、体調を崩されて、戻っていらしたと思ったら、髪の毛が緑になっていて『なんて楽しくて愉快で自由なんだろう』とうらやましく思っておりました。ぜひ人の2倍3倍、楽しんできてください。」

思わず声を出して笑ってしまった。髪の毛を何色に染めても、特段誰からも何も言われなかったため、誰も何も思っていないと思っていたが違ったようだ。髪の毛を緑色にしただけで、私の「やりたいことは何でもやってやろう」という思考が周囲に漏れ出ていたようだ。そしてこの方はそれを尊重し応援してくれていた。それが私には嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

日本の社会において、髪を染めるという行為は常に何かに縛られていると感じる。それは例えば、校則だったり、世間の目だったり、社会人としてのルールだったりするのだが、果たしてそれらは何の根拠に基づき私たちを縛り、あるいは縛ろうとしているのだろうか。ルールを守ることは大切だが、なぜそのルールが存在するのか問うことの方が、社会においては重要だと私は考える。もしそれが誰かの趣向や気分に基づいたものなのであれば、そんなものは全く無意味でむしろ無くすべきである。髪を染めても私の仕事のクオリティは変わらない、むしろ好きな自分でいられることによりクオリティが上がる可能性の方が高いのに、それでもそれを縛るというのは、縛られる側のストレスと縛る側の無駄な労力を思うと、かなり非生産的である。

引き続き、私は「楽しくて愉快で自由な人間」と言われたいし、そんな人間も生きやすい社会になって欲しいと、心から願っている。


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