あの日の事を
思い出している。
まだ薄明かり、夜の帳が上がる前。
朝と夜が切り替わる、ほんの数分にも満たないこの時間を宿の窓から見る度に、曇天の空立ち込めるかの荒地が目に浮かんでは消えている。
リーンの冒険者の宿に部屋を取り、時折こうして何か依頼が無いかと眺めに颯爽と走る冒険者だった頃を思い出す。
狼の牙。未だに思う事はあるが、私があの場所に身を置いたのは結果的に間違ってはいなかったと思う。
様々な人となりを見て、学んで。
闘技場で日々鍛錬し殺し合う……戦い抜くだけの日々を演じていた自分には、眩しいものだった。魔物を相手に物怖じせず、然して一人では敵わないから多数が協力し歩調を合わせて殴り込む。
闘技場という、一対一の真剣勝負だけで終ぞ叶う事は無かった新しい高揚感がそこにはあった。
それもまた、過去の話になった。
或いは、私だけが過去に投げ捨てて。
こうやって只々感傷に浸ってるのか。
それよりも更に昔。
闘技場のあった故郷を離れ、戦友と共に流された地での長旅と武者修行。斜め後ろに立つ彼女が放つ槍の一撃は最後に見た時も相変わらずの鋭く、朝焼けにも似た眩しいものだった事を記憶している。
いつだって私の戦い方が無法だ卑怯だと文句を言っても良いような目つきはしつつも、闘いではそれを言わずその槍の刃先に載せて放つ彼女が羨ましく、そして美しいと思っていた。
そんな記憶が、この大陸へと足を運んだ際に強く、強く、夢にまで出るのだから忙しないものだ。
それもまた、過去の話にしたかった。
或いは、私は過去に怯えてしまっていて。
揺れる自分の朱色の髪に八つ当たりするのだろう。
過去は何にもならない、そう思っていた自分は書きかけだった自伝を取り出して。
あの日の事を思い出している。
ガラギア荒地。
曰く、蛮族と人間の境界線にある城塞都市。
そして……蛮族に分類分けされる、高位の種族が支配する陰鬱とした都市。
討伐任務が専門の狼の牙から、羊のしっぽへ。
当時の私が依頼書を流し読みしてた時にたまたま目についた、都市の調査依頼。
簡単なもので終わると思っていた。
けどそれは早々に打ち砕かれた。
剣闘士として遊業しに来た体で都市に入り、その都市の闘技場に暫し身を置く事にした。
「吸血鬼」。かの存在が支配する街での滞在は、凡そここに書き記し切れない。
結論だけ言えば、様々な出会いと争いと、そして別れと道が入り組んだ冒険譚でもあった。
私にとって、一番大切な存在もできた。
私にとって、傍で成長を見守ろうと思える存在もできた。
私にとって、常に恩を報う誓いを立てれる存在もできた。
私にとって、まるで父の様な偉大な存在もできた。
友が幸せに居る事も、風の噂で聞いている。
彼らが幸せになれば良いなと、書きかけの冒険譚を眺めて思う。
それすら過去に投げ捨てようと言うのかと言われれば、
私はそれだけは出来ないと叫ぶだろう。
或いは、過去にしてしまえば忘れてしまうと泣き叫びたくないだけかもしれない。
曇天の荒地を抜け出して。大切な人と眺めた桜並木は、笑顔は、
開けた窓から眩しく光が差す。
夜の帳の役目は果たされた。朝焼けの空が広がり始めている。
この一年、自分は何をしていただろうか。
荒地を出た後、大切な人の故郷に行こうと決めて街を見て回る前に舞い込む他の依頼。
調査依頼を出した貴族からああだこうだと言われながら、数ヶ月は街について根掘り葉掘り直接聞かされ。
夏の季節は過ぎ去り、秋が過ぎ。冬が過ぎ。
気付けば荒地に来た頃の季節がまた巡る。
怖い。
大切な人の隣に今も立てるのか、自分が、と。
立っても良いのかと震える。怯える。
鉄の鳥と呼び、地獄の猫と叫び。深紅の夜霧だと名乗り荒地を飛び回った日々から季節が巡った。
鉄仮面は手入れを忘れて、気づけば錆が浮き始めて久しい頃合いにもなった。
戦斧も手入れをせねば、なまくらになる。
酒をここ数日買い込んで、宿の部屋から出ずに呑んで呑んで外を眺め。それを繰り返す内に自分の腕も勘も鈍く弱くなったのを感じた。
だからあの日の事を思い出して、
善き思い出と思い出の中に生きる彼等に想いを馳せる。
彼等はきっと、彼等の道を歩み進んでいる。
……盲目な兎と、賭博兎の2羽を特に強く想う。
弓兵と、不死狩りの女子を想う。
想うべき人が多過ぎる。多くなり過ぎた。
このまま、私は忘れられたいと想ってしまう。
私など居なかった、だがそう悲観しても。
悲しませる者が多過ぎる。土に還る事も許されない。
士道不覚悟を恥じても、己に絡みついた人々の鎖は断ち切る事は出来ない。或いは。してはいけない。
だから、その鎖の重みを噛み締めて握り締めて私は酒瓶を机の上に並べる。
嘗ての冒険の想い出。
そして、未だに燻る赤黒い痕。
未だに燻り、気を許せば口から漏れ出る深紅の霧。
己への憤怒が生んだ瘴気由来の霧すら思い出となる。
席を立つ。
別に、どうという訳では無いが。
「私の旅を書き終えるには、まだ」
冒険者手帳には、空白が多いから。
部屋の扉をゆっくりとノブを回して開けて、
階下の依頼掲示板を観に行くのであった。
誰も彼もが行末を知らない。
向かう先は決めていない。
ただ、戦いに出る程でも無いと想いを馳せる。
今は平和に過ごしたい。荒地に開いた小さな店の様に。
静かに、争いとは無縁な所に。
………自分が向けるべき刃先は、もうどこにもない。
その刃先は己の奥深くへと、時間をかけて突き刺さったから。静かに、ただただ静かに。
街を歩くか、馬車に揺られてまた遠くの土地に脚を運ぶか。
或いは。嘗て訪れた古い屋敷を訪れようか。
……記憶を辿る旅も、良いのかもしれない。
(クエストノーツ 久々に開いて旅でもするかという気合いをこめるものです つまりはSSであり意思表示)