①引きこもり時代
Twitterでは書ききれなかったことを箇条書きで書いていこうと思います。
とあることがきっかけで挫折し自宅に引きこもるようになった。
眠くなったら寝て、腹が減ったら飯を食うという感じで生活リズムがなくなる。
起きている時間はテレビをラジオ代わりにして、一日中スマホでゲームか動画を観ていた。スマホをいじってる時間は現実逃避出来て楽しかった。
次第に風呂にも入らず、歯も磨かなくなり部屋がゴミ屋敷となる。風呂は月に2回か3回。そのついでに歯も磨く。洗濯は1ヶ月に1回するかしないか。着ているものが汚いかな?と思ったらする感じだった。はたから見たら汚くても、自分では気づかないというか気にしない状態であった。
買い物は10日間分くらいの食材を一度に買い、なくなったらまた買い物に出かけていた。食材がなくなってくるとなぜか気分も落ち込んでいった。外に出るのは面倒だけど、外に出ると気分が良かった。買い物に出かけるのは外が暗くなってからが多かった。一日の中でなぜか夜は心が落ち着いた。朝が来なければいいと思っていた。
買い物を終えたあとは食材がある安心感から気分が良かった。
お金を節約するため、自炊は行っていた。何をするにも面倒だが生きるための最低限度のことは行っていた。
生活費は貯金でやりくりしていた。昔から酒、タバコ、ギャンブルは一切やらなかったのでそれなりのお金は持っていた。
月末に家賃を大家に振り込む度に貯金が減っていくのを実感し、心が不安で押し潰されそうになった。
このような生活を約3年ほど続けたが、ついに貯金が尽き自殺を考えるようになった。
この時なぜかTwitterを始めた。今思えばこのTwitterを始めたことが自分にとっての転機であったと思える。
Twitterを始めた理由は「自分が死ぬことを誰かに知って欲しかった」だと思うが、潜在的に「誰かに助けてもらいたかった」のではないかと思っている。
アパートを夜逃げする時、手持ち金は3万円ほどだったと思う。ゴミ屋敷のまま逃げ出し、保証人である親に迷惑をかけてしまうことだけが気がかりであった。
ここからの詳細は自分の心境を含め毎日ツイートしていくことになる。
アパートを夜逃げしてからはホームレス生活となった。日中はコンビニのイートインスペースやパチンコ屋の休憩スペースや図書館などお金がかからないとこで時間を潰し、夜の0時頃になったらネットカフェを利用し寝床を確保していた。お金がなくなったら自殺しようと思っていた。カバンの中には首吊り用のロープを用意していた。
このような生活を約3週間程続けた。
最後の方は心身ともに疲労しいて地獄だった。
フォロワーさんから生活保護の提案をされていて、自殺と並行して生活保護のことも考えるようになった。
当初自分の考えでは生活保護は精神的、または身体的病気により働けない状態でなければ受給できないと思っていた。しかしこれは間違った認識であると後からわかった。
いよいよお金が尽き自殺するか、生活保護を受給して生きるかの選択を迫られた。死の痛みの恐怖と、家族を悲しませることの2点から最終的に自殺をやめ生活保護を選択肢した。その日の夜に母親に3年ぶりに電話し自然と涙が溢れた。