誰かに刺さらないように
気を付けている。
その呟き、刺さらない?
Twitterでなにげないツイートを投稿しようとする時、ふとこのツイートは誰かに刺さるんじゃないかと思い当たり、投稿をやめる時がある。
テキストベースでは言葉は容易にナイフと化す。
そのうえ、VRchatではクリエイターとユーザーの距離が極めて近い。
「新しく買ったアバターとても良い!いままで○○ちゃんを使ってたけど、これからはこの子メインでいこう!」
というツイートも、○○ちゃんのアバターの作者の目に入れば「うちの子はその子よりも良くなかったのか」と刺さってしまう。
「AイベントとBイベントが重なって迷ったけど、Bイベのほうに行こう!」
というツイートも、Aイベの主催者の目に入れば刺さってしまうだろう。
おそらくはどちらも軽傷で済むケースではあるが、悲劇だ。
発言元のユーザーは「傷つけるつもりなんてなかったのに」と落ち込み、
発言が刺さったクリエイターも「私の作品良くなかったのかな」と落ち込んでしまう。
誰も得しない。みんなが落ち込むだけの悲劇でしかない。
このように無意識のうちに人を傷つけることにならないか、という点は常に気を付けるべきだと私は思っている。
人を刺すなら、覚悟を決めて。
こういう話題になると誤解が起こりがちだが、
これは「批判はしないようにしよう」「不満を表明すべきではない」という話ではない。
批判はあって良いし、互いに改善点を見つけて高めあうのも大事なことだ。
ただ、それは意図的に行われるべきだ。
治療を行うためのメスは、「これより手術を行う」という覚悟のもとに振るわれるべきであり、休暇中の医師のカバンから無意識のうちにこぼれ落ちたメスは、ただの凶器なのだから。
みんなの顔を思い浮かべよう
この悲劇を防ぐのは簡単だ。
投稿前にフレンドや、知り合いのみんなの顔を思い浮かべればいい。
そのツイートを見たみんながどんな反応をするかと想像してみよう。
その中に眉をひそめる誰かがいたのなら、その投稿はよく考えるべきだ。
刺さる人がいるんじゃないか?刺さるとしたら、刺す必要があるか?
そのリスクを負ってまでして、投稿する必要が本当にあるのか?
考えよう。
私もそう考えて投稿を思いとどまったツイートは結構あるし、
考えて考えた末に、人を刺す決意の上で投稿したこともある。
大事なのは考えることだ。
無意識のうちに人を傷つけたとあってはそれは悲劇だが、
意識的にあえて人に挑んだのであれば、それは意味のある試合となる。
事故をなくそう
今回の話のまとめは、以下の通りだよ!
・そのツイートの内容が、誰かを傷つけないか考えてみよう!
・みんなの顔を思い浮かべよう!悲しい顔をしている子はいないかな?
・それでも言わなきゃならない時もある。いざ尋常に!
SNSの中でも、ツイッターは特にちくちく言葉が出やすい媒体だからね!
みんなも気を付けて、なかよしSNSライフをおくっちゃおう!
追記:何かを褒めるのに、比べる必要はない
大切なことを書き忘れていたので追記。
例えば、Aという素晴らしい作品があったとしよう。
その作品の素晴らしさを伝えたいのであれば、
「Aという作品は、素晴らしい!」と言えば良いのだ。
ここで「Aという作品は、Bよりも素晴らしい!」となると、厄介な問題が生まれる。
何かと比べれば、褒めたい作品が他より優れているという事を伝えられる。
確かに手軽で、確実な手法だ。
だからこそ、これは無意識的にやりがちな失言となる。注意したい。
本文の例でいうと、アバターが素晴らしければ「このアバターは素晴らしい!」で良いし、イベントAとイベントBで迷った末にBに行ったのであれば、「Bイベントに行ってきた。楽しかった!」で良いのだ。
大丈夫。心配しなくてもそれだけで魅力は十分に伝わるし、
作者や主催の目に入ればニヤニヤが止まらなくなるから。
あなたの素直な気持ちを綴れば良いのですよいやほんとマジでマジで。