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【藤山愛子】つらいだけじゃない。



私の8年前の投稿笑

つらいつらいって笑


本当に人生で一番2番争うくらいの
辛さだったとは思う笑
(snsに残すのはどうかと思ったけど
8年後振り返られて良し笑]



こんなつらいつらい時期にも、
人生においての
おおきなであいが3つあった。


  1. 子育て支援センターの先生

  2. 関西出身のママたち

  3. 子育て支援団体


今でも私の活動の基盤になっている
3つの出逢いである。


1.わたしは、前のノートのとおり、
毎日9:00〜11:00、14:30〜16:00あたりくらいまでは
子どもと遊ばないといけなくて笑
住んでいる市内のありとあらゆる
子育て支援センターへ出向いた。

そこで出会った先生、Y先生。
今ではなかなかお会いできないが
今でも、その先生のことを思い出す。


その先生は、いつセンターへ出向いても、
優しかった。
テンションは高いわけではない。
いつでも同じようなテンションだ。

その後、その先生と働きたくて
同じ保育園で働くことになるのだが、
その時も、人にアドバイスをするときも、
感情的ではなく、
淡々と話す。
そんな先生だった。


抱っこしてほしいときは、してあげればいいんじゃない?いつかはしなくなるわよ。

双子だからって同じモノを共有してはだめよ、その子を大切にしてあげてね。


など、当たり前だけど
話すとどこか抜け道はあって、
とても安心できる話ばかりだった。
私の千葉の母親と言っても過言ではない。



2.関西出身の友だち
子育て支援センターで出会った
関西出身のママたち。

皆上の子が同い年、
実家が遠く、
旦那がハードワーク、
当時みんな専業主婦

であり仲良くならない理由はなかった。
お互い心の支えとなった。

 一緒に遊ぶのはもちろん、
子どもをみててもらったり、
初めて子ども預けて夜出かけたり

つらい時期をともに過ごしてきた戦友で
皆関西に帰ってしまったけど、 
今でも実家に帰ると連絡する仲間である。


3.子育て支援団体との出逢い

アパートの一階上に
子育て支援団体の主宰の方が
住んでいて、
誘われた。

そんな団体苦手やねんけどな…
と思いつつ
声かけてもらったしなと
参加した。


愛ちゃん、



子どもが産まれてからであったら
だいたい〇〇ママ、と呼ばれるけど
ここは違った。

私のことを私の名前で
呼んでくれた。


そして、子どもが泣いていても
嫌な顔一つされなかった。


ママたちはそれぞれ抱えているものがあったが、
1000人近く集客する
子育てイベントなど
パワーがすごかった。


食べ物をおすそ分けしていただいたり、
嬉しかった。


ココでであった方はみんな
今も様々な活動をしている。


どんな環境でも
頑張れる気持ちは
ココの出逢いで培われたのかもしれません。



私は、この出会いで、
次、保育士になることを決意したのです。

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