藤山愛子、幼少期について
こんばんは。少しずつ自分のことを
深堀りしてお伝えしていきます。
大阪市に産まれる
大阪市東淀川区。
父母兄4人家族、普通の生活を
してたと思います。
父は、電車ヲタクで
いろんなところに電車の写真を
撮りに行ってました。
いろんな場所へ連れて行ってくれました。
たびたび、理不尽に怒ったり、という
印象もありましたが
根っこはだれよりも愛が深い人、
そんな人です。
母は、専業主婦で、
いつでも完璧に家事をこなしていました。
その背景には【こうでなければいけない】と
いうのにとらわれていた人なのかなと
今になったら思います。
この母の人生を通しての体験が
後に私の背中を一押します。
兄、8個も上でしたので、
日々かかわりがあるという
感じではなかったけど、
兄はいつも私のことを親以上に
気にかけてくれていて、
仲良し、な部類なのかなと
思います。
当時はいたって平凡な兄でした。
(現在のぶっとんだヘビメタギタリスト)
苦しかった幼少期
私は、幼稚園の頃は
マット運動が大好きな
元気な少女でした!
とにかく友だちと遊んでいた記憶があります!
その後は
アトピーがかなりひどく悪化し、
小学校入ってからは、
手足を曲げるのも辛く、
体育や汗を掻くような
外遊びを避けるようになりました。
アトピー悪化
身体中痛くてつらくてかゆくて
日々生活するのも苦しくなっていました。
しかし、
たかがアトピーでしょ!?や
アトピー星人、など
わりとつらめな言葉もちょこちょこ
浴びていた気もします(あまりぐさっとはなっていなかった、それどころじゃないから笑)
そんな中母がアトピーに良い病院だと
高知県の病院を探してくれて、
通院することに。
母も一緒に高知へ。
私の人生がまず変わる瞬間でした。
広い海がほど近い民宿に1週間ほど泊まり、
その、アトピーに良いという病院に
毎日通院する、というかたちでした。
民宿の中はアトピーの人だらけで、
匂いも、薬なのかかさぶたが落ちまくっているからなのか、なんとも言えない異様なニオイ
だったのを覚えています。
(1〜2日で何故かなれちゃう)
1日目薬を塗ってもらい、
次の日にはかなりのかゆみが
引いていたのを覚えています。
また、大自然で、その地で旬のモノ、が
食事として出るため体内、外から
デトックスされ、
帰る頃にはスキップるんるんで
帰ったのを覚えています。
手足が痛すぎて、曲げられず
ロボットみたいな歩き方だったのが
1週間で、スキップるんるんへ
人生が変わった瞬間、でした。
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