「刀剣男士の電報略号」(その1)
ここからは電略の成果物と、ちょっとした刀剣の「刀剣男士として」ではない側面を書き付けておきます。
まずは以下の三刀派から。
・三条派(サシ)
・三池派(イケ)
・青江派(アヲ)
3 三日月宗近
(みかづきむねちか)
(ミカツキ ムネチカ)
「三 ミカ」
(サシミカ)
太刀。三条派(三)、小鍛冶宗近作。天下五剣。作刀時に三日月のような刃文が現れたことから呼ばれる。東京国立博物館蔵。
5 小狐丸
(こぎつねまる)
(コキツネマル)
「三 コキ」
(サシコキ)
太刀。三条派(三)、小鍛冶宗近作とされる。能の演目「小鍛冶」で稲荷明神(お狐様)の相槌により打たれたとされる刀。
7 石切丸
(いしきりまる)
(イシキリマル)
「三 イシ」
(サシイシ)
大太刀。三条派とされ(三)、有成の銘がある。大阪・石切剣箭(いしきりつるぎや)神社蔵。こちらは「石切さん」と地元でも親しまれ、近鉄線の駅名にもなっている(奈良線石切駅、けいはんな線新石切駅。本社は新石切駅が、上ノ宮は石切駅が最寄り)。
9 岩融
(いわとおし)
(イハトホシ←イワトオシ)
「三 イハ」
(サシイハ)
薙刀。三条派(三)、小鍛冶宗近作とされる。「義経記」では武蔵坊弁慶の薙刀「岩透」として名を知られる。岩をも溶かす(透かす)ほどの切れ味という意味か。
11 今剣
(いまのつるぎ)
(イマノツルキ)
「三 イマ」
(サシイマ)
短刀。三条派(三)、小鍛冶宗近作とされる。「義経記」では源義経が最期まで愛用したとして知られる。当時における「現代風(今様)の刀剣」という意味か。
13 大典太光世
(おおでんたみつよ)
(オホテンタ ミツヨ/オオテンタ ミツヨ)
「池 テン」
(イケテン)
太刀。三池派(池)、三池典太光世作。三池典太の最上作との意味で「大」をつけて呼ばれる。天下五剣。加賀前田家に伝来。東京・前田育徳会蔵。
「ン」使っちゃいました。
15 ソハヤノツルキ
(そはやのつるぎ)
(ソハヤノツルキ)
「池 ソハ」
(イケソハ)
太刀。フルネームは「妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」。三池派(池)、三池典太光世作。初代征夷大将軍・坂上田村麻呂の宝剣「騒速剣(そはやのつるぎ/そばやのつるぎ)」を写したものとして知られる。けど、奈良時代の伝承で、3振あって、どれがその名を持つ剣か確定できないものを、平安後期の人がどうやって、とも思うんですが。なお「妙純傳持」は室町期の僧・斎藤妙純が所持していたと伝わっている、の意。家康の所有から静岡・久能山東照宮蔵。
17 数珠丸恒次
(じゅずまるつねつぐ)
(シユスマル ツネツク)
「青 シユ」
(アヲシユ)
太刀。青江派(青)、後鳥羽院御番鍛冶青江恒次作。天下五剣。日蓮の所有と伝わる。そのための数珠名か。兵庫・本興寺蔵。
いやあ、拗音「ユ」も登場です。まあ、識別できるのが大事なので。
19 にっかり青江
(にっかりあおえ)
(ニツカリ アホヱ/ニツカリ アオエ)
「青 ニカ」
(アヲニカ)
脇差。青江派(青)の作。元は太刀だったものを大磨上(おおすりあげ)しているため、後から付加した金象嵌も少し削れている模様。石灯籠にいた子連れの女幽霊を斬ったという伝承があり、その幽霊が「にっかりと笑っていた」というのが名の由来。香川・丸亀市立資料館蔵。
お次は粟田口軍団です。
[続く]
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