【新?曲】『還らないのを君も見てる。』【二次創作?】
どこから話せばいいのやら。
まずは曲の動画を
とりあえずは自作曲紹介なので、上梓した動画を貼り付けておく。
2パターンあるので、もう片方も。冒頭のオルゴール音を省いたバージョンというだけだけども。
さすがに全曲通して7分超は長いなと思ったけど、オルゴール部分は30秒足らずなので結局6分40秒はある長モノになっていた……。
概要というべきか経緯というべきか
この曲、タイトルを『還らないのを君も見てる。』と申します。よろしくお願いします。エントリのタイトルにもある通り、二次創作的経緯をもつ作品となっています。
原典は、同タイトルの漫画作品であるけれど、1996年初出・1998年単行本収録という”かなり昔”のものになる、、、上に、成年誌掲載、成年コミック収録のR-18作品であるので、真っ向から紹介しにかかるのは些かの躊躇いを伴う。しかし、自分の作詞作曲ライフの中でもかなり大きい比重を占めた作品になってしまっているので、そこを措いて言及せねばならない。
それだけ自分は下記に述べる原典に感銘を受け、なおかつ自分で作詞・作曲まで行い、そうすることで更に作品への思いを深めていったのである。
四半世紀以上も。
原作者 水原賢治氏
著者は水原賢治氏。愛知県豊田市出身、アニメーターを経て漫画家になった御仁で、ほとんど成年誌で活躍しているために一般にはあまり知られていない(……と思われる)。代表作……は現行最新単行本の『少女紀行』を挙げておくとします。作風としては漫画家人生を通して「少女」が大きなテーマとなっていて、繊細な画風で思春期の少女が触れる性をデリケートに詩情豊かに、時にコミカルに描くことに長けている。
近年はコミック「L.O.」でもお仕事をしていることも多いようなので、そちら方面に興味がある方には特にお勧めである。
水原さんこのあたりはこのくらいで勘弁してください。
ちなみに水原さんご本人からタイトルをそのまま使用してよいというお許しを頂いております。ご寛恕に大感謝。
原典作品に触れるには
所収の単行本「夢で逢いましょう。」は、書籍としてはワニマガジン社から出版されていたが、現在はおそらく電子書籍でしか購入できないのではないかと推察する。Kindle Unlimitedにラインナップされていたりするので、電子書籍としての試し読み的には手を出しやすい所にあるといえばあるのかも知れない。同じワニマガジン社刊行だった「はちがつのうさぎ」「日曜日に彼女は」もあるため、興味を持たれた場合には、是非。
あ、『恋ヶ窪スケッチブック』も収録されてる!?
これは「中1コース」という学研の学年誌に掲載されていた全年齢OKのお話ですんで、安心して勧められます。登場人物名が一部の人には大変面白いことになってるけど……。ていうか本当に偶然からこの初回掲載本誌を見て「!???!!?」ってなって水原さんを知ったので……。
(学年誌っていうのももはや20世紀に置いてきてしまった文化だなあ……。同時に連載されていたのは岩崎つばさ氏だったかな……)
原典『還らないのを君も見てる。』
そして原典である『還らないのを君も見てる。』は、少女・亜理沙が新月の夜に出会う「残留思念」たちとのふれあいを描く、R-18としては異色の情緒あふれる作品である。オカルトものと言えばオカルトものなんだけど、どちらかというとファンタジー寄りになっているのは水原氏の作風ゆえだろう。
舞台は水原氏の出身地でもある豊田市に比定される。作中に名古屋鉄道三河線の上挙母駅と、かつて同駅から分岐して岡崎市内を結んでいた「大樹寺線」(史実では挙母線だが、岡崎市側の終着駅・大樹寺の名を借りたものと思われる)が出てくるので、その前後(豊明市じゃないよ)の住宅街も豊田市中心部に程なく近いエリアと見てよいだろう。とはいうものの、描かれた背景が実際の街並みをモデルにしたものであるかは定かでない。
亜理沙が遭遇する残留思念はぼんやりとした亡霊のようなものではなく、その場に留まったとても強い「思い入れ」が、当時の姿そのままに状況が再現され、亜理沙はそこに引き込まれてしまうのである(この辺がオカルト要素)。
原典への所感
正直、歌詞でネタバレになってしまっているのでここで止める意義は薄いのだが。
やはりすべて語ってしまうのはダメなことだと思うので、ここで留めておきたい。長くなるし! できれば原典たる作品を読んでほしいし!! ノベライズやってるわけじゃないんですよ曲できあがったからそのために書いてるんですよ!
ちょっと細かい感想を脱線気味に述べさせてもらうと、冒頭のパーティの主役である山崎さんの表情がとてもよい。山崎さんは中年男性である。水原氏はいわゆる成年向け美少女コミックを重点に活動する漫画家さんではあるが、男女問わず幅広い年齢層の描写をきちんとしていると感じられる。同時期の一般少女漫画誌で活躍していた漫画家さんたちは、およそ半分以上「老壮」の人物の描写ができていなかったように思う。最近はどうかよく知らないが、カワイイを中心に描こうとすると渋みや年齢を重ねた深みとともに現れる表層というものは技術面から省かれやすいように感じる。その点、水原氏の作中における老若男女はきっちり描かれており、安心して読める要因となっているのだろうと、そう思うのである。
また大枠な感想として付け加えると、この作品の重要なファクターである「残留思念」を語る上で外し得ない要素、「かつてそこにあったものたち」という部分。「廃墟」「廃線」といったもの。自分はそもそもこれらに強く惹かれる性分であるので、今はもう運行されていない廃止路線の電車であるとか、人が生活していた痕跡を遺していなくなってしまった場所といった場面が登場、精緻に描写されているのがとても染み入る感じがして、そのような描写を読む喜びを感じるのである。水原氏のTwitter(X)の投稿写真を見てもその辺りは近しい感覚をお持ちのようで、そうした要素で喜ぶことのできる諸氏はご覧になるようお勧めしたい。
水原賢治(@Tirumu)さん / X (twitter.com)
ま、誰だって好きなジャンルやテーマに沿った作品は、程度の差こそあれ好きなものになると思う。そういうことである。要素として説明はするが、好きなモンは好き。なのである。
だから、自分の脳のどこかを刺激して、曲としての『還らないのを君も見てる。』を生み出すことができたのだろう。
曲『還らないのを君も見てる。』
同じタイトルにするとこういう時に困るのよね
『ZABADAK』で学ばなかったのかよ。そう自分に言いたい。
でも無理だった。このタイトルのフレーズ自体が既に「詩」で、感化された人間には不動の価値を持つものになっているのだ。「亜理沙の涙」とか、「今はもういないものたちへ」とか(クラフトエヴィング商會かよ)それっぽいフレーズにすることもできるけど。歌詞に固有名詞入れてないしね。
偉そうなことを言っていますが、これは降伏宣言に等しいです。オマエも詩/詞ィ書くんちゃうんかと。
歌詞です。歌詞は自作です。
よろしくおねがいします。SCP-040-JP
曲になるまで四半世紀
この曲の形が自分の頭の中に固まったのは、おそらく1998~1999年頃まで遡ることになると思う。当時所管していた個人ホームページで歌詞を公開していたし(滅亡済み)、確か2001年あたりに催行された、当時集っていた音楽サークルの内輪ライブで自己歌唱により披露した記憶がある。多分その時に一緒に参加した仲間の中にはまだ生演奏生歌唱音源を持っている人もいるのではないかと思うけど、諸事情により確認は不可能である。自分でも録音していたけれど、媒体がMDでぇ……それもどこにやったかわかんなくなっちゃってぇ……。
まあ、結局は軽く四半世紀頭の中で熟成させてしまっていたというのが実情。他にもあったねーそんな曲。
本当に技術の進歩とは有難いものですね
今回ボーカルを務めてもらったのが、SynthesizerVによるA.I.シンガー弦巻マキ嬢。発声発音としてはNeuteinoのめろう嬢の方がより自分のイメージに近いのだけど、いざボーカルデータを出力してみると、圧倒的にマキさんの方が安定感があったので採用させてもらった。
ちなみに弦巻マキさんはココアシガレットP『何でも言うことを聞いてくれるアカネチャン』の動画で間奏のギターソロを弾いているお嬢さんです。実際に弾いている訳ではないけど。いやこれももう古いか。確か声の中の人も交代しちゃってたみたいだし。
マキさんに歌ってもらうのも若干苦労した。何しろ細かいいじり方は分からないままなので、ひとまず打ち込んでみたら「母音から始まる音節」の前にしゃっくりみたいな喉の詰まり的な音が挟まるのだ。声門閉鎖音にしてもきつくないか? いくらAIだからって、そんなとこ人間的にならなくても……とは思うが、耳につくのでしゃっくり音が出ないように音の長さを調整してみた。また発音上の特色なのだろうけど、一部の母音のみの音が実際の音符の指定より短くなる部分があり、それも気になったので前後の音を調節して、なんとかいい感じに歌ってもらった。その程度。
ここまでしてもまだ少々のわだかまりが自分の中には残っているのだから、結局は自分で歌っちゃえば? ということにもなるのだが、まあそこはそれ……。住宅街の木造家屋に居住している悲哀でござる。武士の情けじゃ、許せよ。
そして編曲は自力だけど、機械ながら演奏までこぎつけたのはFlatとMuseScoreというアプリケーションのおかげ。どちらも五線譜にオタマジャクシを並べていくだけでその通りに奏でてくれるものだから、まともに楽器ができないくせに楽譜や曲の楽器構成、楽器の音の出方に関して感覚を蓄えている人間にとって重宝この上ないツールなのだ。
かつてはピアノロールエディタという形式のMIDIファイル作成ソフトを使っていたけれど、慣れちゃうと五線譜で落とし込んでいく方が楽な気がしている。
楽器構成について(完全に自己満足的な話)
この一応の完成形が固まったのは2024年1月になってからのことだ。
使用している楽器はピアノ、アコースティックギター、エレキベース、バイオリン、チェロ、ストリングス、ドラムセット、ミュージックボックス(←短縮バージョンでは省いているオルゴール音)。
本当はここにブラスも入れたくて、仮データにはずっとブラスセクションを組み込んでいたのだけれど、結局どうにも組み方がスッキリしなかったのでキャンセルさせてもらった。その代わり、単品でバイオリンとチェロを入れることにより前間奏部あたりでの音を補強することに成功した。
「時には捨てることも大切」とは亡き吉良知彦氏も言っていたと思うが(『なかなかおわらないうた』でそんな歌詞があったし)、長年抱えてきたものから外すと実際に形にしやすくなったのは自分でもちょっと驚く。
きっと手慣れた人はこういう構成ももっとうまくやってしまうんだろうけど。自分には五線譜8段分くらいが限界みたいだ。
最終的に大きくいじったのはピアノの上の段である。曲自体が悲哀をベースにしたエピソードを持っているので、それを強調するのにピアノの高音部を足してみた。昔から不思議には思っていたんだ、ジョージ・ウィンストンやリチャード・クレイダーマンとか坂本英城氏が哀愁系の曲を弾く際に出せる風合いというものが。今になってそれ系の片鱗をちりばめられるようになったのは、成長なのか誤魔化しなのか。
ツイッターで演奏動画を流してくれる人が多くなったことも影響しているかも知れない。実際の演奏を観察することで、音の動きの理屈みたいなのはたくさん呑み込んできているとは思う。それが形にでき、活きてくるのは結構嬉しいものだ。
だいたい語ろうと思うことは語った
作詞上の技術面(本当にあるのか?)でのことも語ろうと思えば語れるんだけど、さすがにやめておく。聴いて頂いて、受け取った方がどのように解釈するか。それはこちらが押し付けるものではない。そうできるように言葉を組んだのだから。
というあたりで、この曲に関してのお話を終わろうと思う。
あれ、6000字超えてるね……。長くなったね……。
ここまでお付き合いいただいた方、本当にありがとうございます。
くわえて陰の功労者的に存在している旧友、Ahくんにもここでお礼を述べたいと思います。昔、まだ茫漠とした状態の曲のデータを聴いてもらった時に、オルゴールの音を作って送ってくれたのが、これに還元されて活きています。あの一種完成された揺らぎが、長く自分の中でこの曲を支えてくれたのも事実。また会ってお話などもしたいなあと思いつつ。友よありがとう。
そして何より、この曲についてオールOKという形で受け入れて下さった水原賢治様、本当に本当にありがとうございます。何よりあなたの作品があったからこそ自分もこの曲を生み出すことができました。そして聴いて頂けたことが自分の中での大きな達成点になりました。また、心を震わせてよいものを作っていただきたいですし、自分もそのようにしたいと思います。
すべての「想い」が、「還るところ」を見出せますように。
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