「刀剣男士の電報略号」(その5)
本当にいろんな刀剣男士がいるなあと改めて思います。
107 髭切
(ひげきり)
(ヒケキリ)
「源 ヒケ」
(ケシヒケ)
太刀。平安末期の源氏(源)重宝の刀。満仲が2振セットで打たせたものといい、実作者は諸説あり判然としない(奥州文寿とも、三条小鍛冶宗近の弟子の有国とも言われる)。切れ味の試しに罪人を斬ったところ、その髭もきれいに切れたという逸話による名だが、鬼丸と混同されたり鬼切とされたりと文献により揺れが多い。後白河法皇から頼朝に下賜されたのちは来歴も諸説で不明だらけだが、「安綱銘を国綱と切り直された鬼切」は北野天満宮に現存している。
所属については、源氏にゆかりのある・由来を求められる刀剣について「源」とし、「げんじ→ケシ」とする。
112 膝丸
(ひざまる)
(ヒサマル)
「源 ヒサ」
(ケシヒサ)
太刀。満仲(源)が打たせたもう一振。切り付け銘には「■忠」とあるがこちらも作者に諸説あり、また名前についても持ち主につれて幾度となく変わっている。髭切同様、試し斬りの際に両膝もスパッと斬ったことに由来するのが最初の名とされる。京都・大覚寺所蔵となっているが、確実なことはわからない状態のよう。
まあ、900年を数えんとする時代を超えた伝承なので、そんなもんといえばそんなもんなんでしょう。
116 大倶利伽羅
(おおくりから)
(オホクリカラ/オオクリカラ)
「伊 カラ」
(タテカラ)
打刀。伊達家伝来(伊)。正宗門弟の広光作。表面に大きな倶利伽羅龍が彫られていることから呼ばれる。大倶利伽羅広光とも。徳川将軍家から江戸城石垣の改修の褒賞として伊達政宗に与えられた。現在は大阪府の法人蔵。展示の機会なども稀で、先年公開時に審神者が押し寄せて話題となった。
伊達家ゆかりの刀剣をグループ化して「伊達組」とする慣例から「伊」、「だて→タテ」を用いる。
118 へし切長谷部
(へしきりはせべ)
(ヘシキリ ハセヘ)
「黒 ヘシ」
(クロヘシ)
打刀。信長から黒田官兵衛へ贈られた(黒)。建武期の長谷部国重による作。あるとき信長が茶坊主の失敗を諫めようとしたが台所の膳棚の下に逃げ隠れられ、刀を振り上げられず棚にあてがったところ、棚ごとまとめて圧し切ったという(棚の隙間から斬ったという話もある)。以降黒田家に伝わったが、昭和末頃に黒田家ゆかりの財物とともに福岡市に寄贈され、福岡市美術館蔵。
黒田家ゆかりの刀剣も「黒田組」とされるため、「黒」、「クロ」を用いる。へし切長谷部の場合、織田より黒田の所有が長いのもあり、黒田組と扱う。
120 不動行光
(ふどうゆきみつ)
(フトウ ユキミツ)
「織 フト」
(オタフト)
短刀。織田信長(織)の愛刀として歌われた。作刀は相州藤三郎行光で、異説はあるが粟田口派の新藤五国光の子・相州正宗の父とされる。不動三尊(不動明王、矜羯羅〈こんがら〉、制多迦〈せいたか〉)を彫り込んであるため呼ばれる。森蘭丸または信雄を経て豊前小倉藩小笠原家(のち小笠原伯爵家)に伝わり、現在個人蔵。
織田家ゆかりの刀剣も「織田組」とされるため「織」、「オタ」とする。
122 獅子王
(ししおう)
(シシワウ←シシオウ)
「源 シシ」
(ケシシシ)
太刀。平安末期の大和の刀工作、らしい。源頼政(源)が帝(近衛天皇または鳥羽天皇)から怪鳥「鵺(ぬえ)」を退治した恩賞として下賜されたという。頼政は二条院の禁中でも鵺退治を任されたと伝わる。当時の鞘に獅子の螺鈿細工があったことにより呼ばれたが、この鞘は失われて、現在は黒漆太刀拵。その後に頼政後裔に伝わるが、関ヶ原後に家康が斎村政広より没収、改めて後裔土岐氏に与え、明治期にはついに皇室に戻った。戦後移管され、東京国立博物館蔵。
124 小烏丸
(こがらすまる)
(コカラスマル)
「平 コカ」
(ヘイコカ)
太刀。同名の刀や異伝異聞がいくつかあるが、ここでは平家伝来(平=ヘイ)、現在皇室所有のものが登場しているものとする。名前の由来は不詳ながら、鋒両刃造(きっさきもろはづくり)という古い形で、これを称して「小烏造」ともいう。伊勢平氏の伊勢氏に伝来し、明治初めに同じ平氏後裔の対馬藩主宗伯爵が買い取り、明治天皇に献上された。
(126 抜丸)
記事「その8」に記載
128 同田貫正国
(どうだぬきまさくに)
(トウタヌキ マサクニ)
「肥 タヌ」
(ヒコタヌ)
打刀。肥後(肥)菊池郷同田貫(どうだぬき、現熊本県菊池市)を拠点とする刀工集団が同田貫。加藤清正のお抱え刀工。「子連れ狼」の拝一刀が胴太貫(どうたぬき)とされるがこれは創作上のもの(ゲーム内で「冥府魔道」に言及することがあるため、同田貫一派の刀の逸話の内に含めて考えることもできなくはない)。明治19年に明治天皇の伏見宮邸への行幸があり、その天覧催事の内「鉢試し」で直心影流の榊原鍵吉が同田貫正次により兜に見事切り込みを入れ、伏見宮から報奨金を賜ったという(兜割り)。実戦刀としての矜持が高いキャラクターとして描かれる。
130 鶴丸国永
(つるまるくになが)
(ツルマル クニナカ)
「伊 ツル」
(タテツル)
太刀。伊達家伝来(伊)の御物。小鍛冶宗近の弟子とされる平安末期の刀工・五条国永作。鶴丸の名は来歴不詳だが、一説には国永の別の作と混同の末に呼ばれたとも。もと平惟茂所持、のち安達貞泰から執権北条貞時に渡る経緯(霜月騒動)は大変血なまぐさく、一族滅亡後の貞泰の墓を暴いてまで副葬品の本刀を手にしたともいう。江戸前期、経緯は不詳ながら伏見・藤森神社の神事に使われるなどしつつ、本阿弥家の鑑定・代付けがある。のち伊達家に入り、明治34年(9年とも)の行幸に際して明治天皇に献上。
132 太郎太刀
(たろうたち)
(タロウタチ)
「柄 タロ」
(マカタロ)
134 次郎太刀
(じろうたち)
(シロウタチ)
「柄 シロ」
(マカシロ)
ともに大太刀。この2振は合わせて記述。
真柄親子・兄弟(柄)が「姉川の合戦」にて使ったとされる。真柄は朝倉に加勢した越前真柄庄の国人衆で、真柄直隆、弟・直澄、子・隆基。
熱田神宮蔵「真柄太刀」、同「千代鶴國安」、白山比咩(しらやまひめ)神社蔵「太刀 銘行光」の3振があり、最も大きいものが太郎太刀とされるが、いずれも公称としてはいない。
歴史というのは深遠にして不可思議なものですねえ。確かなことが分からないからこそ、ついつい知りたくなってしまう。
さて後半戦も酣。まだまだごった煮は続きますよ。
[続く]
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