「刀剣男士の電報略号」(その4)
さあだんだんごった煮になってきますよ。
まとまってるのは左文字(ササ)(マイナス1)、沖田組(オキ)、兼定(カネ)、堀川(ホリ)、虎徹(コテ)あたりです。
79 江雪左文字
(こうせつさもんじ)
(コウセツ サモンシ)
「左 コサ」
(ササコサ)
太刀。正宗十哲の一人、左文字派(左)左安吉(さの・やすよし、法名を源慶)の作。北条氏政家臣の板部岡江雪斎(いたべおか・こうせつさい)所持により呼ばれる。のち家康から紀州徳川家に伝わるが昭和初期に離れ、長尾、日本刀装具の両美術館から企業経由で福山市に寄贈、ふくやま美術館に寄託される。
81 宗三左文字
(そうざさもんじ)
(ソウサ サモンシ)
「左 ソサ」
(ササソサ)
打刀。左安吉作(左)。所有していた三好政長の隠居後の号、半隠軒宗三にちなむ名だが、刀剣としては武田家を介したその後の所有者・今川義元からの「義元左文字」で通る。義元からは信長が分捕り、秀吉・秀頼、家康以降代々将軍と渡ることで天下人の象徴とされた。本能寺の変では無事だったが明暦の大火で焼け、再生されている。明治天皇が信長を祀る建勲(たけいさお)神社を東京と天童に創建、東京から京都に遷座した際に奉納された。
83 小夜左文字
(さよさもんじ)
(サヨ サモンシ)
「左 サヨ」
(サササヨ)
短刀。左安吉作(左)。名前の元は西行法師の歌「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」(新古今集収録。大意は「年老いてまた越えることになるとは思わなかった小夜の中山、命あってのことだなあ」)であるが、逸話として遠州掛川の鍛冶師の復讐譚(割愛)があり、当時の掛川城主山内一豊から細川幽斎が譲り受けた際に復讐譚と西行の歌をかけて名付けたとされる。孫の忠利の代に領地小倉が飢饉に陥り、救済のために売却した財物にこの刀が含まれた。様々な所有者を経て現在は蒐集企業の蔵。
なお「小夜の中山」は静岡県掛川市内の峠。東海道の難所であったが、現在は国道1号バイパスのトンネルが通っている。
(補記)復讐譚についてはこの刀が関係しているように伝わるが、実際のところは不明。関係するという記述の初出は「享保名物帳」であるという。
85 加州清光
(かしゅうきよみつ)
(カシユウ キヨミツ)
「沖 カシ」
(オキカシ)
初期刀5振の一つ、打刀。先述の通り、沖田総司(沖)が池田屋事件の際に用いていた刀として知られる。現存しない。
加州清光は刀工の名でもあり、沖田の佩刀はその作刀の中の一つに過ぎない。その意味において、ゲームに登場する刀剣男士としては集合体としての側面も無視できないと言える。
87 大和守安定
(やまとのかみやすさだ)
(ヤマトノカミ ヤスサタ)
「沖 ヤス」
(オキヤス)
打刀。同じく沖田総司(沖)の用いた刀として登場するが、こちらも刀工の名である。刀工安定は江戸初期の生まれで、いわゆる新刀の打ち手。
89 歌仙兼定
(かせんかねさだ)
(カセン カネサタ)
「兼 カセ」
(カネカセ)
初期刀5振の一つ、打刀。刀工2代和泉守兼定(兼)の通称「之定」(のさだ)とは、切付け銘の「定」の字の下の部分が「之」の字に似た形である特徴から。
91 和泉守兼定
(いずみのかみかねさだ)
(イスミノカミ カネサタ)
「兼 カサ」
(カネカサ)
打刀。上記兼定の系譜である11代和泉守兼定(兼)の作刀で、新撰組副長土方歳三の用いた刀として登場。兼定は4代から会津で活動している。日野市・土方歳三資料館所蔵品は作刀時期から12代作と推定されるとのこと。「カサ」は大包平との重複回避。
93 陸奥守吉行
(むつのかみよしゆき)
(ムツノカミ ヨシユキ)
「土 ムツ」
(トサムツ)
初期刀5振の一つ、打刀。刀工名同じ。土佐藩士(土)坂本龍馬の刀として登場。刀工吉行も土佐藩に召し抱えられていた。なお司馬遼太郎作品では龍馬が姉にこの吉行をねだったことになっているが、史実では当時既に姉は他界していて、実際は兄だったとの話。
龍馬没後は坂本家で管理したが、北海道釧路移住後に火事で焼け、鞘も失われたが再刃されて京都国立博物館へと寄贈された。
95 山姥切国広
(やまんばぎりくにひろ)
(ヤマンハキリ クニヒロ)
「堀 マハ」
(ホリマハ)
初期刀5振の一つ、打刀。刀工国広は100を超える弟子を持ったといい、その流れを堀川派という(堀)。この国広氏もなかなかラジカルな経歴持ちのようで。
97 山伏国広
(やまぶしくにひろ)
(ヤマフシ クニヒロ)
「堀 フシ」
(ホリフシ)
太刀。堀川国広作(堀)。日向在住時に山伏をしていた頃に打ったもの。刀身に不動明王の彫り込みがある。
山伏となったのは主家伊東家が島津に侵攻されたことによる。大友宗麟を頼り急峻な山間を逃げ延びるが、次代当主となるはずだった伊東マンショが神学を志向しキリスト転向したため失職、山伏に……という流れの模様。主家再興を期してこれを打ち、その後は叶わなかったものの、のち大正期の所有者が「国広会」に出品したところ、子孫の伊東氏が買い取ったという数奇な巡り合わせもある。現在は別の個人蔵。
99 堀川国広
(ほりかわくにひろ)
(ホリカハ クニヒロ/ホリカワ クニヒロ)
「堀 ホリ」
(ホリホリ)
脇差。堀川国広作(堀)のものが、和泉守兼定とともに土方歳三の愛用刀として登場。土方の脇差は戦後の進駐軍の接収に遭ったとされるが、土方歳三資料館の記録にはないという。
101 蜂須賀虎徹
(はちすかこてつ)
(ハチスカ コテツ)
「虎 ハチ」
(コテハチ)
初期刀5振の一つ、打刀。いわゆる虎徹(虎)の作。虎徹は長曽根興里の法名だが、「虎」の字は後期になると異体字の「乕」を切り付けていたという。幼少時に故郷の地・長曽根を関ヶ原の戦の影響で追われ、金沢で甲冑師として活躍したが、50歳になって江戸に移り刀鍛冶を始めた。刀工としての初期は古い武具を溶かして使ったことから「古鉄入道」と名乗り、後に虎徹に改めたとか。
103 浦島虎徹
(うらしまこてつ)
(ウラシマ コテツ)
「虎 ウラ」
(コテウラ)
脇差。虎徹の初期の作(虎)。刀身に浦島太郎のような人物が彫り込まれていることによる……のだが、近現代の研究者によると浦島太郎には見えないという。亀もいないし釣り竿も持っていないし、裏には蓮華に乗る倶利伽羅龍が彫られているとのことで、一体何者なんですか虎徹さん。
伝来としては鳥取藩の頃から池田家に代々伝えられたが、現在は個人蔵。
105 長曽祢虎徹
(ながそねこてつ)
(ナカソネ コテツ)
「虎 ナコ」
(コテナコ)
打刀。切られた銘から虎徹の作(虎)とされ、新撰組局長近藤勇が愛用した刀として登場するが、どうやら真に虎徹作のものではないという。大変丈夫な刀で近藤も虎徹作と信じていた様子であるが、ゲーム本編中では「贋作」と名乗る。ではどの刀工の作なのか、というと……?
この辺でようやく折り返した感じでしょうか。
もっとシンプルな表も用意してますからね。いまさら言うことじゃないけど。
[続く]
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