『金色ののはら』
オリジナル曲を先ほど公開しました。
岩本隆雄先生の著作『鵺姫真話』に寄せる曲として出来上がったものなので、一種の二次創作にあたるものでしょう。
脳裏に閃いてから、曲として形になるまで多分15年以上かかりました。曲自体の構成はもうかなり早い段階で固まっていたものの、自分自身の音楽制作技術がへろへろだったりなんだりしてつい最近まで塩漬けもいいとこでした。気が付いたら『星虫年代記2』が出版されてたのも知らぬ間に版元在庫切れとか……。書下ろしエピソード……なんで1だけ電子化されとるん……。
NEUTRINO様様様です
しかしこうして形にできるようになったのも時代と技術のおかげとありがたく感じます。
初めてNEUTRINO様のA.I.シンガーを使ってみました。なんというか、贅沢なことをさせてもらっている感じがしてしまいます。
歌ってもらったのは、「めろう(MERROW)」と「東北ずん子」の2名になります。落ち着いた曲調に合わせた声質を選んだのですが、これがなかなか難しく。
めろうは全くの合成音声で、声としてのイメージは目指すところに近いんだけど、いざ歌ってもらうと結構伸びが弱い。
ずん子は声優の佐藤聡美さんの声をベースにした合成音声で、基本的にはかわいらしい声質。ほかのシンガーも試しましたが、中で一番落ち着いた歌い方ができるのがこのずん子でした。しかし子音の発音に難があることがあり、その辺りをめろうとツインボーカルにすることで補っている感じです。
ちょっとお金を払えばアオイチャンやアカネチャンにも歌ってもらえるんでしょうけど、購入するバージョンが同じ使い方かどうかわからないので……とりあえずできるようにやってみた、という所です。
なお声について言うと、曲データ書き出しの段階で少しだけ歪みを重ねています。本音を言ってしまえば「新居昭乃さんのような声質」に寄せたかった、という。それも昭乃さんの影響が強い曲だと思うからなんですけれど。
曲について少し具体的に。
編曲面では、到底追いつかないけど保刈久明さんの影響って大きいんだろうなあと思うには思うんですが、まあ最低限自分の思うような形に作り上げることができたのは僥倖と言えます。
曲としての大きな特徴は、ほぼ曲の全編にわたってマリンバが鳴っている、それに隠れるようにしてシロフォンもいるんですが、その反面ドラム、太鼓の類を使っていません。リズムはそれにベースがいるだけになります。
またサビ部分で転調します。実際に歌おうとするとその辺が難しいんだろうなあと思う訳ですが、なにしろ作った本人は素で歌えてしまうので人の苦労なんか知ったこっちゃありません。AIシンガーがいてくれてよかった。手持ちの機材で自分で近いものを作ることはできるんですが、まあ前例の通りで。録音環境と機材と思い切りがないと宅録もみじめなものになるのです。
歌詞のことにも触れておきます。
著作者なので何の問題もなくここに書き込めます。原典はつよいのだ。
あ、鵺姫の二次ですけども!
『金色ののはら』歌詞
鏡のようなひとひらの画を見上げた
時の流れもさざめく声もどこか揺れる陽炎
風が撫でてくる
穂波押し寄せくる
たしか知っている懐かしい律動(リズム)
夢にみた金色ののはらへPsi-trailing
美しいとこしえを探して
遙か過ぎ去る未来
天ゆく舟は山の彼方に沈んだ
絵空の国も虹の欠片もすべて逆巻く螺旋
影がのびてゆく
高く抱き上げてくる
遠い星にいた記憶みたいに
呼び留めた不可思議の扉にPsi-trailing
やわらかい幼子の目をして
ふわり抱える翼
いつか そこに たどり着く
風はそよいでた
影は抱き上げていた
知り得ないはずの懐かしい律動(リズム)
夢にみた金色ののはらへPsi-trailing
美しいとこしえを探して
あなたを護る
あなたに護られる
画に見上げた金色ののはらへPsi-trailing
美しいとこしえを描いて
ここに扉が開く
歌詞にまつわる細目
『鵺姫真話』を読んだことのある方なら大体のことは解説不要かと思うんですが、それでも必ず説明が必要なワードが一つあります。
「Psi-trailing」というのは、カナで読むと「サイ・トレイリング」となります。直訳すると「心的追跡」とでも言いましょうか。現象として語るのは難しいですが、解釈として「帰巣本能」という語句が当てはめられるかなとも思います。
ここでZABADAKと先述の新居昭乃さんが出てくるんですが、1993年のZABADAKのアルバム「桜」に『Psi-trailing』という曲があります。作詞が新居昭乃さん、作曲とボーカル担当は当時ZABADAKのメンバーだった上野洋子さん。とても美しい曲なので皆さんもぜひ。
歌詞の一部を引用いたします。変換等の表記揺れについてはご容赦ください。
渡り鳥や一部の動物は、「知らないはずのところ」に「帰る」ことができます。鮭が生まれた川を間違えずに遡っていくのもそのような力ですね。
そうした不思議な力、現象について、どう感銘を受けたのか、昭乃さんはとてもやわらかい言葉で歌詞に著しました。
実際すごい能力だと思います。「そうして生きてきた」、言わばDNAに刻み込まれたかのような、過たぬ探索。
それを、Psi-trailingという言葉で表すというのも、その言葉をきっちりあてはめて使うというのも、また不思議な力です。
というところが、『鵺姫真話』の冒頭の部分に繋がるわけです。
ヒロインの純が故地・高牧の高校に戻り、授業の一環として美術館に赴いた際に見た大きな大きな一枚の画。そこには何故か純の姿が描かれていた。
その題名が『金色ののはら』。
「揺れる陽炎」というフレーズはここで触れておくといいのかな。まあ端的に言えば周囲のざわざわも時間感覚も吹っ飛んでよくわからなくなっちゃってる純の心象風景を言い表してみたものです。
話のネタバレみたいになるのもアレなのでナニしますが、まあとにかくその描かれた光景は純にとって「知っているけど知らない」ものだったのです。そして、ストーリーが進むと実際にその描かれた場所にたどり着く。そこははるか過去の時空なわけですが、いろいろ、本当にいろいろあって、きちんと元の時代に帰って来ることができます。そうして、「知っているけど知らない」が「確かに知っている」に変わるんですね。
ということで、自分の中で『鵺姫真話』と『Psi-trailing』は繋がってしまったわけです。
なお「天ゆく舟」「絵空の国」「虹の欠片」は『星虫年代記』として共通する世界のキーワードになります。『星虫』『イーシャの舟』で読み取ってください。「すべて逆巻く螺旋」なのはそれらが全部つながって不可分であることを指します。
「美しいとこしえ」というのは、具体的に指し示すものがある言葉ではないのですが、この『鵺姫真話』という話のとんでもない絡め取り方、それと『星虫年代記』という世界すべてに繋がる、どれひとつ欠けても成り立たない遠大な不思議を、永遠・永久不変の絶対的現象・存在としてあらわす言葉を探したものです。これは、何もこのお話に限らず、どんな人の身の回りにもあるものなんですけれどね。
説明するべきはこんなところかな。
岩本隆雄先生に向けて
かつて一度だけお目通り叶った岩本さん。
わたくし、今はもう消えてしまったファンサイトを構築していたものです。自分にもっと運営力があれば残していけたかもしれませんが、そうなりませんでした。また新潮社宛にA4二枚のくどい綴り方のファンレターを送ったのもわたくしです。あの頃は学ランを着たガキでしたが、今はただ外側が変わっただけのガキです。
またサイトをご縁として、ファン代表みたいなツラで拙い質問や僭越に過ぎる色々なことをぶつけることになりましたが、その節はご迷惑をおかけしました。お付き合いいただいたこと、本当に感謝しています。
「先生」とお呼びするのはNGとされていらっしゃいましたが、いちファンとしてはやはり先生です。
岩本先生、あなたの作品からこういうものを生み出すに至りました。これをお伝えしたいだけなんですが、どこからどう伝えられるか分からないので世界中に放流します。
私も、先生が初めて作品を世に送り出した年を越えました。そうしてようやく、自分の中にくすぶるように抱え続けていたものを外部化できました。多分、自分自身も岩本先生と同じように、多くを作り出すのに向かないけれど、その「自分の中に眠る要素」をしっかり穿り出して形にすることに執心する方かと思います。その結実です。
とにかく、もしこれが先生の目や耳に届いたなら、「こういう形のものができたんだ」と思っていただければ、それで幸いです。
岩本隆雄様
Hequisen(碧泉亭)敬白
みんなも自己満足しようぜ!
というところで、今回のエントリはまたどうしょうもないくらいの自己満足をぶつけたものになりました。
また似たようなことはやると思いますので、要らねえよと思った方はちょっと道端の小石がぶつかったくらいに思っといてください。多分小石だと思ったら犬猫のフンだったみたいな事象でしょうけど。おあいにくさまです。
思い残すことはいっぱいあるので、まだまだ「なんかやる」ですよ。