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「兄弟の血の声が大地から叫んでいる」は、今のイスラエルに向けられた言葉
先週のパラシャに関して、ユダヤ教改革派の教授でコラムニストのロハマ・バイス氏が興味深いことを書かれていたので、紹介したいと思います。
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(haarets.co.il より)
1章27節を3つに分けると…
このパラシャ「ベレシート(はじめに)」のメインテーマは、もちろん天地創造。そしてその創造の最終段階・クライマックスが、1章27節になります。
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この1節は、上のように3つのパートに分けられます。
天地創造の総仕上げ+最も重要な核心部であることは、この3パート全てにおいて「創造した/ברא バラア」という動詞が出てきていることからも分かります。
しかし「神/אלהים エロヒーム」という単語に着目すると― 最後の部分には出てこず、神が自身を隠していることが分かります。
また3つ目に出てこないのは神の名だけではなく、神と被造物である私たちを繋ぐ「(神の)かたち/ צלם ツェレム」も姿を消しています。
これらにフォーカスを置きながら、この節の三部構成をまとめると、
神による、人の創造
神と人との関係の本質
神と分かれ離れる人
という、3つのステージを表していると言えます。
また「神」と「かたち」を欠いている3つ目のパート/ステージは、3章のエデンの園からの追放のフリ・伏線になっているとも言えます。
そして同時にこれは、私たちに対する使命でもあります
―神と神のかたちが離れているなか、
神から与えられた力・能力を用いてそれらを取り戻す―
これは、私たち人に与えられた試練でもあります。
ハマス=獣という、間違ったレトリック
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約10日前の10月7日、イスラエル南部では赤ちゃんをはじめ多くのイスラエル人が生きたまま焼かれるという、今までにはなかったハマスの残忍性を目にしました。そこからイスラエル社会やイスラエル側に立つ陣営の中で、
『獣』や『人のような動物』
というレトリックをハマスに対して使うのを、耳にします。
しかしこのような残虐性を、動物は持ち合わせていません。他の動物を殺さない草食動物はもちろん、肉食動物でもこんなことはしないのです。
彼らが行ったことは「獣によるわざ・所業」ではなく、間違いなく私たちのような「人」によるもの。
1章27節の2行目と3行目の間で人は『神のかたち』を失ったのですが、それをそのままにし取り戻そうとしなければ、人はそうなってしまうのです。
今回のハマスによる虐殺は、そんな一例なのです。
それを無視し、この邪悪な行いを「人ではなく獣」とレッテルをはり続けているのであれば…
私たちは人の本質を何一つ学んでいないことになります。
カインの罪に学ぶべき首相・政府
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エデンの園から追放され神のかたちを失った人類は、人類初の殺人を起こすことになります。ここまではよく知られた事実です。しかしこれは初めての殺人であるだけではなく、カインによる重大な『責任逃れ』という一面もあります。
弟アベルのささげ物は主の目にかなったのですが、カインによる大地の実りというささげ物は受け入れられず、そのためにカインはアベルを殺しました。
そんな直後の神とカインの会話を見てみましょう―
主はカインに言われた。
「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」
カインは言った。
「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」
神はアベルがカインによって殺されたことはもちろん知っており、神はこの質問をすることによって、カインに自身の犯した罪の責任を取るチャンスを与えました。
しかし神のかたちから遠く離れ、それを取り戻そうとしなかったカインは「私は兄弟の番人なのか」と発言し、悔い改めのチャンスすら逃してしまいました。
そしてこの発言によりカインは嘘をついただけではない、もう1つの重大な倫理的罪を犯したのです。
日本語では番人と訳されている「ショメル/ שומר」は、「守る者」という意味があります。
兄弟がお互いを守ること(ショメル)は、兄弟として当然の責任なのです!!
ここでカインは自身の罪に対して責任を取らなかっただけではなく、(兄弟はもちろん)お互いを守るべきという、人として最も重要な義務の1つすらを放棄してしまい、ここから神の怒りが爆発しています。
そんな神が発した言葉がこちらです―
主は言われた。
「いったい、あなたは何ということをしたのか。
あなたの兄弟の血の声が、その大地からわたしに向かって叫んでいる。」
そしてこの一節がシナゴグで読み上げられるちょうど1週間前、ハマスにより多くの一般市民が残虐な形で殺されました。まさに私たちの兄弟たちの血の声が、地から叫び声を上げていたのです。
あなたはなんという事をしたのか。
兄弟の血の声が叫んでいる―
この一節は、現在のイスラエル政府に対して向けられたものであり、彼らはこの聖句と真摯に向き合うべきです。
10日が経ち、ようやく軍の現場のトップである参謀総長や、スモトリッチ財務相から
「私たちは失敗した。
国民を守るという不文律を、
破ってしまったのだ。」
と、自らの過ちを認め、責任を感じているような発言が上がり始めました。
しかし政府を司る首相をはじめ、多くの閣僚たちは未だに責任を取ることから逃れ続けています。挙国一致内閣が樹立されたものの、この戦争に関してはネタニヤフ政権を評価するような声は支持者たちの間からも上がっていません。
多くの人道支援が兵士や避難してきた南部の市民に対して行われており、これは非常に美しい光景です。
しかし裏を返せば、民間のイニシアティブによる支援がメインになるほど、政府が全く機能していない証左でもあるのです。
そして、ロハマ・バイス教授は「ネタニヤフは退陣すべき」だと書いていました。
結語:イスラエルを愛するキリスト者として
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バイス教授のネタニヤフ退陣という結論については、イスラエルを愛するキリスト者の間では賛否両論あるかと思います。
「この緊急時に国を守れるのは、
(現役の政治家として唯一首相を経験している)ネタニヤフのみ」
との声もあるでしょうし、それは一理あります。
しかも戦時中の退陣は、かえって国に混乱を引き起こすでしょう。
しかしイスラエルの歴史を見ると、
1973年の第2次中東戦争(ヨム・キプール戦争)での、ゴルダ・メイア(メイール)首相
1982年の第1次レバノン戦争での、メナヘム・ベギン首相(リクード党)
2006年の第2次レバノン戦争での、エフード・オルメルト首相
と、予想外の攻撃で大打撃を受けた戦争の後、首相が辞任するというパターン・伝統があります。やはりイスラエルが戦時国家ということで、戦争における失態・失策の責任をとるのは政府なのです。
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そして多くのイスラエリーが今回の南部における惨劇を、73年のヨム・キプール戦争と重ね合わせており、イスラエルで1・2を争う政治評論家のアミート・セーガル氏(自身は右派的スタンスを持つ宗教的ユダヤ人)も、
「戦争後、ネタニヤフ氏が首相の座を維持できたとしたら驚きで、
イスラエル史上初の事例となるだろう。
(上記のような歴史的な例もあり)ネタニヤフの時間は、迫っている」
と述べています。
そして狂信的な支持者を除いては、右派・左派を問わずこれがイスラエルでは広く考えられていることだと思います。
ネタニヤフ首相が終戦後にどんな決断を下すかは、まさに神のみぞ知るです。
しかしネタニヤフ首相をはじめリーダーたちが、
いったい、あなたは何ということをしたのか。
あなたの兄弟の血の声が、その大地からわたしに向かって叫んでいる。
という先週のパラシャの聖句を読み、カインのような責任逃れをやめて悔い改め、神の前に正しい行いをするよう・・・
そのために執り成しの祈りをしたいと思います。