第29週:アハレイ・モット(死んだ後)
パラシャット・ハシャブアとは?→ こちら。
基本情報
パラシャ期間:2024年4月28日~ 5月4日
通読箇所
トーラー(モーセ五書) レビ記 16:1~18:30
ハフタラ(預言書) エゼキエル22:1~19
新約聖書 コリント第一 5:1~13
(メシアニック・ジューが合わせてよく読む新約の箇所)
柔軟な私たちの神
ヨセフ・シュラム
今週のパラシャは、アロンの二人の息子の死の記述から始まる。アロンは聖なる幕屋に入るため、個人としての自由を神によって制限された。神はモーセに言った。
ここで何が起こったか。アロンの二人の息子たちは祭壇に異なった火を捧げたため、主の御手によって死を遂げた。
ラビ的注釈によると物語の文脈から、ナダブとアビフは主の聖なる幕屋での奉仕の前にぶどう酒を飲んだために死んだと解釈されている。二人は訓練された祭司たちだったが、モーセの兄アロンの子である彼らは、不注意にも祭壇に異なる火を捧げた。それはぶどう酒に酔っていたから、という説明だ。
親子間の責任・罪に関する原則の変化
彼らの父アロンはイスラエルの初代の大祭司だが、主への奉仕を真摯に受け止めるよう子たちに教育しなかったことに関しては、父親であり上司である大祭司として責任がある。
こうして主は、アロンが会見の幕屋に奉仕のために行くときに関する制限を課した。この『特定の人のみに適用される制限』というのは、現代の平等な世界に生きる私たちには不公平に思えるかもしれない。
しかし私はここから、子供たちの行いや罪に対して父親と家族が有する責任について学ぶことができると感じている。
聖書には次のように書かれている。
そして神は数百年後に自身の心を変え、父の咎・罪が三・四代までも続くというこの原則を廃止される、と宣言された。神がこの原則をもはや実践しない、と言われたのはこれが初めてだ。
エゼキエル書18章では、この変更に関してが主題となっている。18章全体が、モーセの律法におけるこの大きな変更を扱っているとも言えるだろう。
ここに私たちは二つの原則を見る。
まず第ーに、父親は子供たちの行いに対しては何らかの責任を有するということだ。
それは常に直接的かつ100%の責任ではない― 例えば子供が成長して家を離れ、自分自身の生活と職業を持ってからは、親が子の責任を全面的に果たすわけではない。
しかし何かしらの責任があるという原則は、箴言にも述べられている。
この原則によると父と母は、子供がどのように育つか、全面的ではないが『限定的責任』を負っていることになる。もちろんそれは懲罰が伴う責任ではなく、両親に前もって示された信号のような警告だ。自分の子供が道徳心と信仰のある善き人として育つならば、その子供にとってはもちろん親や家族全体にとって良いことだ。まさに努力して蒔いた種を刈り取るようなものだ。
そして二番目のポイントは、子育ては子供の将来だけでなく、親にとっても責任を伴う大きなプロジェクトだということだ。
いけにえなしの食用屠殺という『革新』
今週のパラシャであるレビ記17章を読み進めると、先ほどの親と子の責任・罪と同様にユダ王国時代に変更された、もう一つの律法が見られる。
この変更については、申命記に記されている。
この章には、動物についての非常に明らかでとても重大な命令がある― 食用として屠殺される雄牛、牛、やぎ、羊などの動物は、神殿や幕屋での祭儀と同様、聖別された方法で祭司によって屠殺されなければならない。
そしてその肉の一部は祭司に与えられ、祭壇に捧げられる。
申命記はモーセによって書かれたのだが歴史の舞台から完全に姿を消し、かなり後代のヨシヤ王の時代(紀元前7世紀後半)に発見された。そしてその結果、祭司だけでなく人々が動物を食用として、屠殺することができるようになった。
私たちはここからも、とても重要な教訓を学ぶことができる。
神はシナイ山で、全イスラエルの前でモーセに律法を与えた。しかし神は律法や自身の命令を変えることができ、実際父の罪のために苦しむ子たちのためにも律法を変えられた。
聖書を信じるすべての人は、神が語られたことは御言葉だと知り、認識することが重要だ。私たちが変更したり何かを付け足ししたりする権利はない。
しかしイスラエルの、そしてこの世全ての王である全能の神は、ご自分が書かれた律法を必要と時に応じて、変更・修正する権利を持っている。必要に応じて― 代表的な例が、ツェロフハデの娘たちの場合だ。
この聖句に見られる『律法の変更』は、主の子たちである私たちに対する父である主の関心と深い思いやり、そして恵みだ。そして神が柔軟な心を私たちに対してお持ちであることを理解し感謝すことは、私たちにとって非常に重要だ。
神の心は律法の中に表現されており、究極的にはイェシュアの生涯と死、そして復活の中に啓示されている!
人の子らである私たちのためにこの地球を創造し、神の臨在と共に、そして救い主、神御自身の御子、主イェシュア(メシア)と共に永遠を過ごすために私たちを備えられている。そして地球と呼ばれる創造のパートナーとして、ここに置いてくださった。何と素晴らしい、生ける神であろうか。
紀元30年、ヨム・キプールに起きた大異変
レビ記17章から、先ほど触れた16章に戻ろう。16章の主題は、大贖罪日=ヨム・ハ=キプリームの儀式についてだ。
今日ユダヤ人には神殿も大祭司という地位も職務もなく、したがっていけにえの動物を捧げることもない。贖いのやぎも、ユダの荒野・砂漠に放たない。
しかし大贖罪日がユダヤ人社会にとって、一年でもっとも神聖な日であることは変わらない。私たちネティブヤのある、エルサレムにおいては特にそうだ。
一般的な調査ではヨム・キプール(ハ=キプリーム)の日、イスラエルのユダヤ人人口の70%が実際に25時間飲まず食わずの断食をし、50%が実際にシナゴーグを訪れ祈りを捧げる。私の父母は神を信じていなかったが、それでも大贖罪日のために特別な準備をしていた。彼らは断食はしなかったが、普通に食事はしなかった。今考えると、彼らなりに大贖罪日に対して敬意を示す何かがあったのだと思う。
さてこの章には、ヨム・キプールにおける様々な儀式の記述があるが、エルサレムに神殿があった当時には、もう1つの興味深い儀式があった。
緋色のリボンを2つに分け、その半分はエルサレム神殿の入口に、そしてもう半分は荒野に放つやぎ(スケープゴート)の角に結び付けるというものだ。そしてそのイスラエル全体の咎を背負ったやぎが荒野で死んだ時、神殿の入口に結ばれている緋色の糸が白に代わり、その咎が赦されたことが分かるというものだった。
この儀式については聖書に直接の記述はないが、イザヤ1:18のこの聖句はこれについての物だと考えられている―
しかし紀元後30年、この儀式に変化が生じたとの記録がある。
タルムード(500年前後に編纂、紀元前1世紀~5世紀にかけてのラビたちの議論を集録)は、エルサレム神殿崩壊の40年前の紀元30年に起こった事件を伝えている―
すなわち、ヨム・キプールにおける神殿で行われている贖罪における極めて重要な一部が、正しく機能しなくなったのだ。緋色の羊毛は白くならず赤のまま色が変わらず、人々はイスラエルの咎が許されたかどうかを確かめる術を失った。
そんな神殿とそこでの贖罪においての根幹が、機能しなくなった…
そして紀元後30年と聞けば、私たちビリーバーにとっては何を意味しているかは明白だ。
紀元30年、イスラエルとその神の関係性を大きく変える何かが起こった― これこそ、イェシュアだ。
兄弟姉妹の皆さま、イスラエルは未だに神による選びの民ではあるが、未だにこの緋色の紐が白くならない、正しくは未だに白くなっていないという事実に対する、イェシュアという答えを出せずにいる。しかし先ほどもお話したように、私たちの同胞の救いと罪の赦しのためのヨム・キプールにおける純粋な気持ちとおこないは、本物。
彼らがこれについて私たちと同様に気付くよう、私たちと一緒に祈って頂きたい。
日本の皆さまのうえに、豊かな週末があるように。
シャバット・シャローム!