10/7:アラブ人がユダヤ人を救った物語
日本時間では8日になっているかと思いますが・・・
イスラエルは10月7日と、あのハマスによる攻撃・虐殺から1年が経ちました。
ここ3・4日ほどは10.7に関する証言・ドキュメンタリー番組がいつも以上にあり、イスラエルに住む多くが番組を見て涙しながら、1年前のあの日を思い出すという日々が続いています。
そんなドキュメンタリー番組のなかには―
ハマスのテロリストがキブツの年配の女性宅に侵入し、彼女のスマホを取り上げてFacebookから殺害した様子の動画を投稿。それを見た娘が、気が動転しながらも電話している様子。(受話器の向こうからはそれを見てしまった、孫たちの叫び声が)
ベエリの自宅にあるシェルターで助かった、50代の女性。甥っ子がレイームのノバ音楽祭に参加していたがテロリストの侵入の知らせを聞き、叔母である女性に「今から行っても良いか」とメッセージ。しかしベエリにも「数分のうちにテロリストが侵入する」との情報があったため、彼女は甥っ子に「近くの簡易シェルターかほら穴などに隠れた方が良い」と助言。結局彼は、バス停にあるシェルターで息をひそめて隠れていたその他30人と共に殺害される。
自身は自宅のシェルターに居たことで生存したため、あの時の甥への助言を悔いているという動画。茂みに隠れていたが、テロリストが生存者が居ないかを確かめるため近くに乱射。ある女性が銃弾を受けて負傷した際、叫び声を上げてしまって見つかる。そこで撃たれても声が出ないよう、着ていたシャツで口を固く縛ったことで生存した20代の男性。
など、「誰にもチャンネルを変えずに見てもらえるよう、重くなり過ぎないようにした」との制作者による配慮があったとは聞いていたのですが、毎日1時間以上にも渡って視聴するには、かなりの精神的パワーを使う内容でした。
しかしそんな数多くの証言・ストーリーの中で日本の皆さまに紹介したいのが、ガザ地区から約4キロのキブツ・ゲビームにあるガソリンスタンドでの出来事です。
アラブ人が逃げるユダヤ人たちをシェルターへ
10月7日、このガソリンスタンドとスタンド内にあるコンビニのシフトを担当していたのは、ベドウィン(アラブ系遊牧民族)系イスラエル市民のマスアッド・アルミラットさん(23= カバー写真)でした。
ガザからのロケット弾が絶え間なく飛来しサイレンが鳴り続けるなか、すぐ外の国道にライダーたちがバイクを停めているのを見たアルミラットさんは、(サイレン中は着弾の危険があるにもかかわらず)逃げ場のない彼らのもとに走って行き、コンビニ内の事務所兼シェルターへと誘導。
その後もサイレンの鳴る中やって来た人々をシェルターへと連れて行っていたのですが、国道で事故に遭ったと思われる車両が目に入ったため、アルミラットさんは救出に向かうことにしました。
駆け寄ってみると、車の中の負傷者から、
「(400mほどの距離にある)交差点でにテロリストが。頭にバンダナをして銃を乱射していて、撃たれたんだ」
との説明が。そんなやり取りをしているなかテロリストの1人がアルミラットさんたちに気付き、車に向けて発砲。
アルミラットさんらの足を銃弾がかすめるなどまさに命の危険があるなか、彼らもコンビニまで逃げることができ、こうして計11人がコンビニの事務所・シェルターに避難したのです。
そんななかアルミラットさんは、冷静に対応。11人に対してシェルターから出ないよう指示し、自身はコンビニの扉と鍵を閉め、アウトドア用のガスボンベが置かれた陳列棚を入口を塞ぐように置きました。
そしてシェルターに入ってロックし、パソコンの画面を防犯カメラに切り替えたのですが、その直後にはテロリストたちがガソリンスタンドに。
そこでアルミラットさんはガソリンスタンドの地域責任者に電話し、テロリストたちがガソリンスタンドに侵入し、ドアを突き破ってコンビニの中に入ろうとしていると報告しました。
イスラエルのデリケートな部分を象徴
そしてコンビニの正面や背後・周囲に設置された複数のカメラを確認し、テロリストがコンビニの扉を蹴ったり、鍵の部分を銃床で壊そうとしているのを目にたアルミラットさん。
取材者が、なぜアラブ人なのにヘブライ語での祈りである『シェマ・イスラエル(聞け、イスラエル)』という言葉を選んだのか、と聞くとアルミラットさんはこう答えていました。
この1コマは、イスラエル社会に内在するデリケートで複雑な部分が凝縮されているように感じます。筆者自身も10月7日の直後はアラブ人やアラビア語に対して無意識に敏感になっていた所もあり、またアラブ人側もそれを感じていたのだと思います。
例えば1月後の11月に家族で週末タクシーに乗る機会があったのですが、エルサレムで週末にタクシーを呼ぶとなると、8・9割は(安息日には休むユダヤ人も多いため)アラブ人ドライバーになります。
私たちがタクシーに乗ると、ドライバーはアラビア語のラジオ番組を聞いていました。私たち一家は気にせずに車が走り出した直後に家族で話し始めたのですが、そのヘブライ語を聞いてドライバーは「あぁ、ごめんね」と言って、アラビア語のラジオ局からヘブライ語のラジオ局に変えたのです。私たちは「気を遣わなくても、そのままで良いよ」と言ったのですが…
彼の反応を見ると(ユダヤ人が何を話しているか分からない)アラビア語の番組をそのまま流していると、ハマスやイスラム過激派に対して共感しているのではと実際に疑われる、または疑われる恐れを感じているのだなと、感じました。
南部から遠く離れた11月のエルサレムですら、そういった見えない緊張感や若干の疑いがあったのですから、10月7日の朝のあの極限の状況においては、それがどんなものだったのか・・・
想像しか出来ませんが、そんな状況下におけるアルミラットさんの心遣いに感嘆しつつ、お互いに疑いの気持ちや不安が(無意識のうちかも知れませんが)拭えないというイスラエル社会の現実を突きつけられたように感じました。
希望の1コマ
しかしそんななか、希望の一コマもありました。
それが、こちらです。
命の危険や重圧・不安に耐え切れなくなり、机の下に潜り込んだアルミラットさん。
すると彼の近くに居た若い男性と女性が、セキュリティーカメラの映像を見ながら優しく彼の方に手を置いています。
筆者の感情に浸った解釈かも知れませんが、これはお互いに対してあった不安や疑いが無くなったことを象徴する瞬間ではないかなと。
(これまた筆者が感傷的になったかも知れませんが)お互いに手を取り合って歩むという、未来への希望のようにも映りました。
助かったと思った瞬間の、緊張と緩和
そしてその後テロリストたちが諦めてその場を離れ、国境警備隊の特別部隊がやって来るまでの間、12人は無言でモニターを見ながらシェルターの中で息を潜めました。
画面からテロリストたちが消えるとアルミラットさんは、(外にまだいるかも知れないので)外から見えないように地面を這いながら商品棚まで行き来して水や食料をシェルターに届けたり、トイレが必要な人を誘導したりしたようです。
そして大きなバンがガソリンスタンドに停まり、国境警備隊の兵士たちが車から出てくる様子がカメラに映ると、皆は助かったことを感じて安堵しました。そこでアルミラットさんが定員として出て行き国境警備隊に事の次第と、他の11人がシェルターに隠れていることを説明することになったのですが…
ここで一つの恐れがありました。
こうして2人で出て行ったのですが、兵士たちはアルミラットさんがアラブ人であると分かると銃口を向け、手を挙げるようにと叫んで警告しました。そして1人の兵士が近くまで来、私が無防備だと分かると付けていたフェイスマスクを外しました。
すると彼は、このコンビニでよく『ノブレス』というイスラエル製のタバコを私から買っている、顔見知りだったのです。
こうしてアルミラットさんを含む12人は無事、10月7日の虐殺を生き延びることができました。
この「アラブ人がその勇敢な行為で、ユダヤ人をハマスの殺戮から救った」というドラマは、直後にメディアでも取り上げられ、生存者たちがアルミラットさんがコンビニで働いているところを訪れての『再会』なども感動を呼びました。
イスラエルを愛する(クリスチャンをはじめとした)方々は10月7日と聞くと、殺害に強姦などの残虐な行為、または多勢に無勢で戦ったキブツのメンバーや兵士たちなどといったところを、連想される方が多いかと思います。
しかしそんな悲劇・死や戦場でのヒロイズムに隠れがちにはなりますが、このユダヤ人とアラブ人の間の目に見えない緊張関係とそれを越えたドラマこそが、イスラエルの現状を凝縮し、またイスラエルの未来を照らすものではないかと思います。
ということで、長文・乱文になってしまいましたが…
日本の皆さまに知って頂ければと思い、投稿させて頂きました。
今日2024年10月7日からの1年が、もう少し希望に満ちたものとなりますように。
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