見たかった景色
昨日、母校の高校の学院祭へ行ってきた。
コロナの影響で4年間一般客が校内に入ることができなかった。
なので自分も4年ぶりの学院祭だった。
お目当ては当然、軽音部だ。
本当は朝一から行きたかったけど午前中元気でない芸人なので、
午後の部から参加した。
会場となっている音楽室に行くと、現役生、OBOGがたくさんいて、
わざわざ駆け寄って挨拶してくれる子もいて、
もうそれだけでおじさんはグッと来てしまいますよ。
(言い方がマジおじさんでやだな笑)
夏の合宿で見た以来の現役生たちの演奏。
どこもかしこもみんなそれぞれ上手くなってて
この2か月ほどの間、たくさん練習したんだろうなあと
もうそれだけでおじさんはグッとry
その中で一番個人的に感慨深かったのが、
夏合宿の時、ギターが不参加だったバンドに急遽俺がギタリストとして
参加したバンドの演奏だった。
合宿の4日間ずーっとスタジオで顔を合わせ、音を出し合った仲
もうなんか親の気持ちですよ。
そしてね、合宿中に作った曲。
もう途中から遠慮はやめて自分のギタースタイルをモリモリに
入れまくった曲。
それを後継の現役生ギタリストが、ほぼ完コピしていたこと。
いや、人生初めてでしたよ。
自分のギターをコピーしてもらえたのは。
しかもよりによってその曲のギターソロは、
通常のスケール(音階)ではない、
わけわからないスケールで弾いたものなので、
(多分フリジアンスケールとハーモニックマイナーをごちゃまぜにした奴)
コピーするには難解だったんじゃないかな。。。
特に音源を録ったわけでも譜面に起こしたわけでもなかったので、
撮った動画を見まくってコピーしたんだろうなあ。。。
いや見事!
自分の曲ではないけど、ギターをコピーしてもらえるって、
こんなに嬉しいもんなんだねー。。。
「ギター上手いですね!」とか「いい演奏をありがとう」と
感謝の言葉を頂くのも本当に嬉しいんだけど。
自分のやってきた足跡を追いかけてくれるのも
非常に感慨深いものですね。
(まぁ曲をやる以上嫌々コピーせざるをえなかったのかもしれないけど・・・まぁ前向きに捉えておこうね!)
また、母校の学院祭では、生徒が作ったオリジナル曲をテーマソングとして募集し、採用されると学院祭準備中はずっと校内でかかってるし、
学院祭ラストの後夜祭では大ラスに野外ステージで演奏するのだ。
・・・なんかこう言うとおじさんの過去の栄光をひけらかすようで
書く手が渋るんだけども、、、
事実だから書きますが。
このテーマソングのシステムができた第一回目の採用曲が
自分らのバンドだったのだ。
この経験はマジで格別のものだった。
校内でずーっと流れる我々の演奏曲。
歩けば「あ、あのバンドの人だ!」って知らない生徒から顔を指される事もあったり、
何よりもその後夜祭での演奏。
これが完全に自分の人生を変えた瞬間だった。
野外ステージはダンスの団体が踊れるほどの広いもので、
そんな広大なステージ、野外、そして校庭を埋め尽くす現役生、
先生、一般客。
ガチで1000人近くいたんじゃないだろうか。
更には学院祭も終わるという高揚感からか、
客のテンションはMaxだ。
ただの高校生だったわれわれが、あたかも大人気プロミュージシャン
かのようにメチャクチャ歓迎され、
声援もすごく、演奏中はモッシュかの如く押し合いがあったりと、
完全にプロミュージシャンのフェス体験を出来てしまうのだ。
あの最高の光景。
あれ見ちゃったらもう音楽やめられませんって。
またあんな体験をしたい。
またあんなステージに立ちたい。
人の好奇心は抑えられるものではないよ。
ん?話が変わったかこれ?
まぁいいか笑
で、昨日はそんな後夜祭をステージ横から見ていたのだが。
俺の時代と変わったのが、
現役生全員にサイリウムのペンライトが配布されるのだ。
テーマソングを演奏するころにはしっかり太陽は沈んでいて、
会場いっぱいのペンライトが波打つ光景は、
ステージ横で見ていても圧巻。
またさー、今年の軽音楽部現役生のテーマソングが、
超絶いい曲でね。
普通にキャッチ―な口ずさみたくなるサビで、
更には演奏後半に客とのコールアンドレスポンスのパートまであって
「歌って一年生!」
「次は二年生!」
「次行くよ三年生!」
「もちろん歌えるよね?軽音楽部!」
「最後はみんなで!!」
と、まるでゆずのライブみたいに歌わせる人を
指定して回していくのが最高だった。
つーか曲づくりうますぎでしょ。
よく作ったなあんな名曲。
比べるもんじゃないけど俺らの曲の
何億倍もいい曲で、
嫉妬すらできない。脱帽だった。
とってもいいものを見させてもらった。
寿命5年くらい伸びたきがするわ。
後輩のOBと話していた時
「先輩方が、何年もずっと合宿や学院祭に来られるの、昔はなんでだろう?と疑問でしたが、OBになって分かりましたよ。これは卒業何年経っても来たくなりますね・・・」
と語っていたのがとても印象的だった。
また、顧問の先生とも話していて
「俺はOBOGたちが勝手に仲良くしてくれるのが好きなんだよ」
という話が、めっちゃくちゃしみじみした。
凄く心に残る言葉だったな。
これは一生残り続ける言葉だったな。
音楽というたった一つのものが、
世代を超えまくって人を繋いでいき、
どんどんと広がっていく。
自分は卒業して20年経つ。
コロナで中断されたものの、ずーっと軽音部には関わり続けている。
ここまでくるとさ、
もはや人生そのものじゃないか?
とも思えてくる。
自分は飽き性というか、
特別にやりたい事が、
仕事という形で無い。
なので、ころころ職を変えてきた。
ずっと美容師やってる人とか、
ずっとマッサージ師やってる人とか、
飲食でも事務仕事でも、
ずーっと何十年も続けている人をマジで尊敬しているし、
逆に自分にはそれはできないな、と思ってしまう。
人生=仕事
みたいな構図はあると思うんだ。
その仕事が、その人を作っている。
無いものねだりでそう思ってしまうのかもだが、
それが俺には無いわけで。
その視点だけで言うと「俺の人生なんなんだ?」
とよろしくない考えに至っちゃうわけで。
なので、一つの柱が見つけられた気がしたよ。
竹澤仁の人生は軽音楽部だ。
まぁそれはミクロな視点での1要素で、
マクロな視点にしたら「人生=ギター」なわけだけどね。
ただ、ほんと、好きで唯一ずーっと続いているものって、
自分はギターくらいしかないので。
変な話、勝手に自分が好きだからやってることなのにさ、
軽音部をはじめとして、普通に生きてたら得られないたくさんの仲間ができ
ギターパフォーマンスをすれば、
上手い!かっこいい!なんて褒めてもらえたり、
とてもいい演奏をありがとう、と深々感謝されたり、
自分のギタープレイを将来有望な現役高校生がコピーしてくれたり。
ギターを続けてきたから得られている、最高の光景だ。
あの後夜祭のステージみたいなところにまた立ちたい!
と思い、音楽を、ギターを続けてきたが、
残念ながら自分はそんなビッグなアーティストになれていないので、
あんなでかい最高のステージにはまだ立てていない。
しかし、周りを見れば、素晴らしい仲間たちがいる。
僕が音楽を続けて見たかった光景は、この景色の方だったのかもね。