韓国文化の呪い
大学時代の恩師の告別式から戻ってきた。普通の恩師ではなく若い時分随分と反抗的な僕を溝から救ってくれた恩人でもある。今も当時も韓国社会は混迷していて、社会の医者を目指していた僕は厄介な学生だったはずだ。自慢ではないが、「要注意学生」名簿が教授たちの間で共有されていたようで何と僕の名前が一番上にあったとか。今振り返ると笑い話だが、当時は真剣そのものだった。詳しいことはここでは書かないが、2年生のときは最も嫌われ、4年生のときはもっとも深い信頼を得ることができたまさに「恩師」であった。
葬式では実にたくさん泣いた。泣き止み、思い出してまた涙。復路の機内でまた泣いた。数日間は何もできなかった。茫然自失。人間の定めをどうすることもなく、追っていきますと約束するのみだ。
4月となった。こんな気持で講義できるだろうか。しかも、今期の受講生の名簿を見るとほとんど知っている学生がいない。馴染みのない名前ばかりだ。それに社会人受講者が3名。4〜5年前のゼミ卒業生の妹さんが申請した。とうとう受講を決心したか!
僕の授業はかなり難しいと感じているようだ。悪名高い(?)のでかなりマニアックな学生が多い感じだ。今の学生が「楽な授業」を取りたがるのはもちろん知っているが、「僕が学生なら取りたい授業内容」で講義内容を変えていない。
外部講義で「韓国文化論」があるがこの授業が僕にはもっともやりづらい?したくない?講義だ。Kpopの話は最後の最後で「文化産業の効能」という感じでちょっと述べるだけで、授業内容はかなり韓国の社会と文化の構造的な側面を述べることが多い。今の韓国は、大統領選が終わり、当選者のとんでもない理不尽な大統領府移転問題でもちきりだ。日本でも韓国でもメジャーなレガシィメディアでは全くと行っていいほど報道されてないが新大統領当選者は本人の母方と妻方が霊媒師に深い関わりを持っている。日本でもほとんど報道されないのを見ると「国民の知る権利」「言論の自由」の問題は二の次であるような印象を受ける。日本のマスコミでは隣国への「配慮」のせいだろうか、大統領当選者が占いや冷媒に没頭しているといわない。
やはり、マスコミの報道をどう読むのかは読者の「読み取る力」に依存していると強く思う。日々経験する事象をどう読むかは読み手の感性・深読み能力に大きく左右されるのだろう。
新大統領当選者は「空間が意識を支配していると信じている」とカメラの前で明言した。「歴代大統領の悲惨な末路の原因は青瓦台(大統領府)の風水が悪い」「なので、一日たりとも青瓦台で勤務したくないから自宅マンションから通勤する」「国防部に入るから国防部は5月8日までには移転しろ」「移転先は自分たちで決めろ」などと何の突拍子もなく、次から次へと暴言・妄言が乱舞している。
「こんな理不尽な要求が通るはずがない」と無視していたら、意外や意外!連日全国紙や新与党の国会議員たちは「無条件に賛成」しているようだ。呆れて言葉が出ないが、これが韓国社会だ!ということはもっと真剣に考える必要があろう。「存在するものすべては、①一定の仕方で存在し、②固有の得意性を持つ」とデュルケームがいったように、韓国だから起き得る現象なのだ。日本ではこのような妄言・暴言が出るはずもない。韓国だからこうなるのだ。これが社会であり、このような文化なのだ。朝鮮半島に延々と流れる「文化の呪い」の川が今日なお姿を変えることなく流れているのだ。憤慨した学者が言う。韓国政治の未熟さは地方分権ではなく、中央集権だからだ。だから地方分権制にすべきだ!!と。ゲルマンモデル、アングロ・サクソンモデルと云々しながら、だから韓国はドイツのような地方分権制にすべきだ!と叫ぶ。この学者は韓国で結構名の知れた名士らしいが、果たしてそうだろうか。僕は全くそうは思わない。
この学者(仮にKと称す)の主張そのものが至極韓国的なのだということを指摘せざるを得ない。かつて、朝鮮王朝を無気力症に陥れた士族の両班階層が「性理学」に没頭し、孔子孟子よりも本物の儒教の直輸入に励んだ姿と同じだ。日本のように宣教師が命がけで布教に努めたのではなく、朝鮮半島の人間は「自らが清の都まで出向き、聖書を持ち込んで自らが広めた」史実は明らかに韓国的だといわざるを得ない。
徐々に書くつもりではあるが、朝鮮半島の文化の受容の仕方は教条的なのだ。昔も今も教条的なのだ。西洋か大国に文明のテキストがあり、それを自身の意志で直輸入して朝鮮半島の事情に合わせて根を下ろさせるのではない。変形はまったく許されない。原型のままで100%ピュアーな姿を強く思い描くのだ。だから、韓国人を苦しめるのは「正しい道」「正しい解釈」をめぐる絶え間ない論争なのだ。「あれでも先生?」という攻撃は日本でも中国でもあり得るだろうが韓国で問われるのは「真の先生の姿」なのだ。海外での先進(?)事例がいくら良くても、つまり種が良くても、種が植えられるのは「韓国という土壌」なのだ。土壌は種を選ぶはず。いくら海外でいい成功例があるとしても、根を下ろす場が朝鮮半島なのだ。半島を生きる人間の営み、つまり文化を無視した処方箋が乱舞しているのを見ていると「文化の呪い」を感じずにはいられない。文化って実に恐ろしい。人間を固く縛って話してくれない。やはり、フロイトがいうように「人間は自分の精神の持ち主ではない」のは明らかだ。韓国人よ!!!目を覚ませ!!!人間と社会について深く勉強しろ!
国には国の文化、家庭には家庭の文化があり、人間は自文化の支配から自由になれない。勉強し少し角度をずらすことしかできないはずだ。
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