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道具の「ペンとインキ壺」が競うH. C. Andersen


 ハンス・クリスチャン・アンデルセンは有名な童話をたくさん書いた作家です。「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「人魚姫」は、物語を知らない人はいないくらいに広く愛されています。
誰にとっても趣の深い物語で、社会の悲哀が込められたストーリーに反して処世染みたところがありません。どんな大人でも安心して子供に読める優しさが人気の理由でしょうか。
 代表作と呼ばれる作家の親しみやすい人気作と比べると、詩人の部屋にいる「ペンとインキ壺」は、作家個人のプライベートを書き起こした少し思想的な童話かもしれません。
 詩人の部屋の机の上には、詩人の使う、紙や、ペンや、インキ壺が置いてあります。詩人のインキ壺は傲慢で、紙に書かれる詩は全て自分の作品だと自慢します。ところがなぜ自分に詩を書く才能があるのか分からず、偉そうなペンに批判されてしまいます。しかしインキ壺はペンにビクともしません。インキ壺が詩人に使われ始めてから、その間にペンは何本も買い替えられていたからです。インキ壺からしたらペンは知り合いの孫の孫の孫の孫…ペンの祖父の祖父の祖父の祖父の代から使われているインキ壺と違って、替えの利くペンとインキ壺では格が違います。
 それでもペンは負けません。詩人はインクを吸ったペンで紙に文章を書くのですから、自分こそが詩を書いている源流だと退きません。
 ペンとインキ壺はお互いに言い合うだけ言い合うと、決着をつけずに疲れて眠ってしまいました。もしかしたら考えることの無いペンとインキ壺は、口喧嘩で体力を発散してやっと眠れたのかもしれません。
 ペンとインキ壺が寝ている間も、詩人は眠らずに心で美しい詩を考えていました。ペンもインキ壺も詩人の仕事道具でしたが、詩人の心は詩の材料ではありませんでした。詩人の心は詩そのものだったので、詩人は心に任せて詩を作りました。
 プライドを競ったペンとインキ壺は、詩を書く自分が誇らしくて、それで詩も自分で作った気になっていたのかもしれません。自慢したくなる仕事は素敵ですが、素敵な仕事をする心も素敵であったなら、ペンとインキ壺も詩の一つや二つは作れたかもしれません。
 詩人になれない気の毒な道具たちに、アンデルセンは自分ではない誰かを重ねていたのかもしれませんが、それぞれの心の違いを書き分けて競わせない作家の良心に人の心は動かされるのではないでしょうか。

「道具の「ペンとインキ壺」が競うH. C. Andersen」完

©2024陣野薫


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