
【子どもたちが教師の自分をどう見ているか】
丸一日の瀬戸SOLAN小学校へ学校視察。
渡辺学級に1日張り付き。
これ以上学べることはない。そう言い切れるほどの1日。
そのあと懇親会からの、まさかの渡辺先生のご自宅へ。
一番の受け取ったメッセージは、「子どもたちが教師の自分をどう見ているか」を想像し、考え続けること。
子どもたちは教師の神馬をどう見ているのかってこと。
これがわかると、また大きな一歩が踏み出せると思う。
その理由の1つ目は、チューニングが合うから。
これがうまくいかないと、自分がやりたいことにただただ力を
注いでしまう。
自分を見つめ直すとは、自分ってどんな人なんだろうとぼんやりと悩むのではなく、相手は、子どもたちはどのように自分を見ているのかの視点をもつこと。
すると、求めたれている強みに気づくことができるかもしれない。
と、同時に子どもたちから見える僕の弱みも発見できるかもしれない。
それってきっと自分が思っている強みとか弱みよりも深いところで、
「子どものため」を一番に考える上で、きっと完全に想像し切ることはできないかもしれないけれど、それを問い続けることで磨かれるものがあり、価値があることなのかなと。
渡辺先生の人間らしい部分を知りたくて、たっくさん強みや弱みの話を質問していたときに、「どうしてもっと自分に興味をもたないの?」と言われて思いきりハッとさせられた。
人のことばかり気にしているけれど、自分はどうなの?って。
なんだかものすごく自分がちっぽけに思えた。
だからこそ、本当の意味で自分い向き合うために、自分ってどんなやつなのかをもっともっと突き詰めて考えていきたい。
もう一つの理由は、自分は自分しかいないから。
自分が優れた実践者の授業を真似をしても完全再現できないように、僕のやっていることをそっくりそのままできる人もいない。
それは調子に乗っているとか、自意識過剰とかそういうことじゃなくて、そういうものだってこと。
それが前提だってこと。
今目の前にある子どもの成長は、自分が行ってきたことの積み重ね。
その自分がやってきたことの中にこそ、自分の強みが詰まってるし、弱みも詰まっている。
でも少なからず、目の前に成長した子どもたちの姿があるのならば、それは他の誰でもない自分の何かしらがそうさせたということ。
それなのに、僕は他に他にとなんか特効薬的な解決策、優れた実践に飛びつきたくなる。
でも、自分は自分しかいないんだよって思った。
自分にできることは、自分にしかできない。
「子どもたちの成長」を考えて、自分がこれが必要だって思ったら
、必要。
自分が子どもたちの立場になって、想像したときにこれを望んでいるんだろうなっと自分が思って、そうしたいものは、そうするだと。
自分は自分しかいないから。
子どもたちは教師の神馬をどう見ているのかと考えながら、珍しく夜更かしをしている今。
名古屋のホテルにて。