【行動選択】
「12月で学級が解散」となっても、それぞれが1人でやっていけるようになることをゴールイメージとしてもってやってみています。(この学校は単学級ですが)
集団として成長し、それに伴って個々の成長も著しかった2学期。
そして、これからむかえる3学期。さらには、次年度に向けて。漠然と「いいクラス」ではなく、しっかりと個が育っている集団でありたいと考えているところです。
社会に通用する1人の立派な「人」となるよう、みんなで伸びてきたものをまた個に返していきたい時期が12月です。3学期は、あっという間です。あってないようなものかもしれません。
だからこそ、この12月で全員が自信をもって「どこでも、いつでも、誰とでも、自分だけでも、やっていける。」と思えるように、子どもたちの背中を押していければと思います。
そこで一つ大切になってくるのが、行動選択の質を高めることなのかもと思っています。
(古舘先生のVoicyw聴いて)
「やった方がいいのは分かるのだけれど、、、」「頭では分かっているのだけれど、、、」
そうではなくて、「この方がいいよね!」「こうありたいよね!」「こっちの方がすてきだよね!」「この方が、なんだか気持ちいいよね!」と、迷いなくスパッと行動できることが大切なのだと思います。
これが、行動選択の質を高めるということ。
頭で分かっているというよりも、心がそうありたいと思っていることが何より大切なのかなと思います。
誰々がやっているからとか、自分だけじゃなくてとかではなくて、自分自身の心が、より良い行動に満たされるようなイメージ。
心がしっかりと変わっているからこそ、変な迷いもないような。
頭より、心(これが心でっかち?)
そういった意味でいうと、学年PTAの翌日の朝は、行動選択がすばらしいなあと感じました。
朝の支度を終えると、児童会室へ行き、椅子の片付けを始めている子たちがいました。
手型を乾燥させるため、会場の復旧は翌日になっていました。それを自らの意思で自然と始めていたのです。
「なんか、そうするものだよね。」のような心の動きだったのでしょう。
道徳では、ルールについてちょうど考えたとことろですが、今回の件でいうと「全員で翌日に片付けをします。」というきまりは、つくっていません。けれど、なんかその方がいい感じがするのです。それがまさに心が大きく育っていることなのかなと思います。だからこそ、行動選択の質が高くなるのかなと思います。
目に見えないルールのようなものは、きっと世の中に溢れています。
その中で、なんかその方がいい気がするなあという「感覚」を大切にしていきたいなと思います。
「ルールがあるから」ではない部分。ルールとして明文化されていないけれど、社会の中で生きていく上で大切な感覚。その感覚を支える心に目を向けて、残りの12月を過ごしていきたいと思います。