【技術を磨いた先にあるもの】
昨日は、大学サッカーに呼ばれたので、日帰りで仙台へ。
栃木で教員をしている同じ大学の先輩との車中トークがアツすぎた。
自分の中にいつも「問い」をくれる大先輩。
学年は被っていないけれど、自分が大学サッカー部で現役のときにOB戦にきてくださって以来のつながり。
今まであった人の中で、一番サッカーがうまい。
とにかくうまい。
間違いなく一番うまい。
自分が今もサッカーを続けているのはこの先輩がいるから。
どれだけ自分がサッカーをしていないのかを教えてくれる。
何より、この先輩自分が大学生の時から、合宿やOB戦に栃木から来てくれる先輩で。
スーパーだって聞いていたけれど、一緒にやったら衝撃で。
何が衝撃かって、大学の練習に参加してくださったとき、現役の僕らが練習を終えて、部室に戻る中、一番最後までグラウンドで練習していたのがその先輩だった。
OBで、しかも一番うまい人が、まだ練習しているのに俺は何をしてんだよって思って、いても立ってもいられなくなって、まだ関係性なんてなかったのに、「教えてください!!!」って頭を下げて、教えてもらって一緒に練習してもらった。
こんなチャンス年に数回あるかないなのに、いいのか??ってふと思ったんだよねそのとき。
それでなんというか重なるけれど、一番うまい人は、一番そのことに向き合って、考えて、行動してる人なんだってそのとき思ったんだよ。
あの先輩が練習しているのに、一度でも部室に戻った自分が当時の現役として恥ずかしい。
だからもうすぐ戻ったねw
で、あの時の一歩があったから今もその先輩とつながりがあるし、ありがたいことに可愛がってもらっている。
そして、あのときに「積み重ねる」がドンズバに刺さったんだよね。
やっぱり半端ない人は、半端ない努力量を積み重ねている。
今こうして、フェイスブックで文字を書く訓練を継続しているのも、あの時の一歩の延長線上なのだとも思う。
で、その先輩と車の中であれやこれやと、話したんだけれど、高校の先生としてもちなみに一流。
だから、教育哲学とか、部活のフィロソフィーみたいなものも自分と共通しているところがおもしろかったんだ。
サッカーの話でいうと、相手によって変えるとというところが一流だなっと思っていて。
その人めっちゃ点とるんだけれど、キーパーが動いたから逆に蹴るだって。これずっと言うんだけれど、あの一瞬でどんだけ見えてんだよって話。
パスもドリブルもスペースに抜ける動きも、相手の位置と動きで自分のやることが決まるって。やりたいプレーをするために引き出すこともあるけれど、後出しジャンケンが最強でしょ?って考え。ほんとオセロみたいにサッカーするのよ。
即興的にギリギリで判断を変えられること、それをプレーという行動にできるところの一流さね。
その土台にあるのが、「技術」だって。
狙ったところに止めれて、狙ったところに蹴れること。
これは部活指導の時も、基本は課題に対して自分たちで振り返らせて、改善を図るように促すらしいんだけれど、この「技術」は教え込むらしい。
つまり、究極に磨かれた技術があるからこそ、見えるものが増える。時間が生まれる。相手を見て判断を変えることができる。それでやっぱり、技術があるからその判断を行動にできる。
ほんで、その先輩にめちゃうまい寿司屋に連れてってもらった。
あの〜はい、普段魚べい推しの僕からすると、種目が違いすぎて。
同じ寿司という名前はついているものの、全くの別種目。
とにかく笑いがとまらないうまさ。
新幹線で寿司ってこないんだって思ったし、大将の手から握られてすぐ出てくるのかって思ったし、茶碗蒸し食べてもルーレットできなんだって思ったんだけれど。
冗談抜きで寿司史上一番うまかった。
#先輩ご馳走様です
#サッカーとか哲学とか努力とか尊敬するところあるけれど奢ってくれるところが結局一番すき
で、大将の話ね。
職人って人に出会ったね。まさにプロフェッショナル。
こういうその道の技を極めた人の話を聞くのはとっても面白くて、大好きで、ついついたくさん聞いてしまう。
そこでもやっぱり、即興力なんだよ。ギリギリで変えるんだって。その人によって。
この人手で食べるタイプなんだなって横目で見たら、ガリやシャリはフワッと握るらしい。
逆にお箸で食べるタイプだなって思ったら、ほんの少し崩れないように固め。
僕らは昨日客層に対して若めだったから気持ちシャリは多めにしているらしい。
それでいて外国の方は醤油をつけすぎてしまうことがあるので、シャリは固め。崩れないようにするんだとか。
出会ってその瞬間にお客さんの情報を集めて、寸前で相手にあったベストのものを届ける。
やっぱりその即興力の土台は「技術」。
磨き上げられた腕上がるからそこ、直前で変化できるし、技術が技能化されているから、お客さんと会ったらチューニングに専念できるし、相手にあったものを具現化できる。
さらに、仙台往復の運転中に、渡辺道治先生の『授業を研ぐ』の特典映像の飛び込み授業の様子を2回も見ることができたんだけれど、やっぱりここでも即興力。
その子その子にスポットライトがしっかり当たるんだけれど、
普通に「はい、どうぞ。」と指名する時もあれば、なかなか話さなかった子が話し出すときは、「はい、どうぞ。〇〇さん!」と名前をそえる。
勢いよくくる子どもに対しては、グッと温度を上げたリアクションをするし、ゆっくりめにノートを持ってきた子に対しては、感心するようなリアクションをする。
子どもが口々に話したそうな様子があれば、話させる時間をポンと作り、逆に話したそうでもここはリズムとテンポを崩さない方がよいととれば、拾いすぎることなく次へ行く。
こういった、本当に磨いた目があるから、相手の奥の奥まで見えているし、相手の需要をキャッチできる。
磨いた声があるから、需要にあった声の高さや大きさを使い分けて届けることができる。
磨かれた耳があるから、微かな呟きでも拾うことができる。
磨き上げられた教材があるから、それを土台に目の前の子どもたちに合わせて絶妙に変えることができる。お寿司にも、出てくる順に意図があるように、どこでどんな問いを出すか、映像を出すか、音を出すか、と全てに意図がある。
磨き抜かれたリズムやテンポがあるから、まるで一つのプレイリストを聴いているような、一つのライブを体感してるような、上がるときもあり、しっとりするときもあり、というようになんとも心地よく相手に届いていく。これも相手に届くためには?と問い続けた結果なのだと。
やっぱりその相手にチューニングを合わせる即興力がある。
そしてその土台には「技術」。
「技術」を極めたその先に、ギリギリで相手に合わせられる即興力やチューニングして届けるというプレゼント力があるのだと思った土曜日。
「技術」を磨いている人には即興力があるし、即興力がある人はやっぱり「技術」を磨いている。