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【当たり前の質を上げる】



 2学期が始まって、1週間。あえて、ほめないでおこうという場面がいくつもあります。

 前も書きましたが、ほめられるために「その行動」をしていない子どもたちがいるわけです。
 自然に、ごくごく当たり前のこととして。

 これが「ほめられようゲーム」みたいになってしまうと、せっかくその子中で生まれた自然な素敵な行動の価値が下がってしまうように思うのです。  

 そればっかりではないけれど、この夏の学びの一つで、2学期のスタートに合わせて、その視点を上手に入れていくことで、本当の自律につながるのかなと思っています。


 やる気に火をつけるためには、まあまあの火力が必要です。私自身も、1学期は特に火力は強め。即時性、明瞭性、具体性、多様性を意識してたくさん素敵なところを「ほめ言葉」として届けてきました。

 2学期、子どもたちの様子を見て思うことは、もう十分自ら燃え上がっているということです。バーベキューで、炭に火がつくまではある程度の火力で熱しますが、炭に火が一度ついたら燃え続けらることに似ています。

 もう十分、火が灯っています。
 適宜あおいで調節する程度で良いのかも知れません。
 
 その分精度とタイミングが重要になりそうです。

 
 もう、ほめられるとか、ほめられないを超えて、「当たり前」のレベルになっている。
 至る所での行動の質の高まりを感じます。
 
 もちろん、あえてほめないとはいっても、何もしないわけではありません。
 
 学級通信に書くことや、少し時間をおいて最もその子に届きやすいタイミングで、また学級全体にも広がりやすいタイミングで言葉を届けること、そして温かな目線を送ることなど。

 ちゃんと見ているよ!という安心感を与えるようなイメージは、持ち続けています。
 
 最近、子どもたちと目が合うことが一段と増えました。
 逆に、「ノート配っていいですか?」など許可を取りにくることが減りました。
 
 子どもたちが「あ、これやるといいかもなあ!」と思ったときに目が合うのだと思います。一応の確認です。でも言葉はいらない。
 
 「大丈夫だよ〜☺️」と目線を送るのみで十分。

 そんな感じ。

 まさに、自分の足で歩き出そうとし始めているのだと思います。

 だからこそ、温かく見守り、その自分自身で歩み出す一歩目を応援したい思いです。

 背中を押したい思いです。

 連絡帳を書く、提出物を出す、学習用具を出す、ノートを提出する、、、。

 何気ない毎日ですが、どの程度まで当たり前になっているのでしょうか。
 
 当たり前の「質」が高い状態はどんな状態なのでしょうか。

 提出されたノートの角が揃う、素早い、相手軸がある、説明が1度で聴ける、椅子がしまわれてている、、、。

  当たり前の「質」が高まる2学期に。

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