セーターと南の島とプルースト
今日もあたりまえのように ルリナがうちに来た。
私とのお勉強が終わった後も帰ろうとせず、リビングのソファーでだら~んと寝そべってくつろいでいたりする。
最近はもう私の家を半ば自分の家みたいに思っているらしい。
私がキッチンで2人分のカフェオーレをつくってリビングに戻ってくると、ソファーの上に置いてあった私のセーターに、ルリナが顔をうずめて突っ伏していた。
「なにやってんの?」
と軽く声をかけてみたら、ルリナは一瞬ビクッとして顔を上げてから、恥ずかしそうに顔を赤くしてケラケラ笑った。
「先生の匂いがする…」
ルリナがそう言ってまた私のセーターに顔をうずめた。
「あ、ごめん。クサかった?」
私はそう言って、とりあえず謝った。
でも、そのセーターは洗濯してからそれほど時間が経っていないし、私はそんなに体臭が濃くないはずなんだけどな…と思いつつも、年頃の子が来るときはもっと自分の体臭に気をつけないといけないのかな…と反省した。
すると、ルリナはまたガバッと顔を上げて首を横に振って言った。
「違う。クサいんじゃなくて、すごくいい匂い!」
「加齢臭?」
わざと私は自虐的に言ってやった。
だけど、ルリナは「加齢臭」という言葉をまだ知らなかったらしい。
「カレーライス?
違う。そうゆう匂いじゃなくて、
なんか、こう、南の島の風、みたいな……」
ルリナがそんなことを言った。
なんだそりゃ。
「加齢臭」が「カレーライス」に置き換わっていることはもうどうでもいいとして、「南の島の風」ってどんな匂いだっけ。
思い出そうとしたけど、思い出せない。
しかし、そもそもルリナは今までほとんど旅行もしたことがないそうだから、南の島とかにもまだ行ったことがないはずだろうけど…。
ルリナの言っている意味がさっぱり分からなかったが、それでも私なりに頭の中で解析して理解しようと努めた。
「柔軟剤の匂い、かな?」
ようやく私はそういう結論に達した。
けれども、ルリナがまた首を横に振った。
その答えも違うらしい。
あくまでも私の匂いなんだそうだ。
「先生の匂い、おちつく…」
ルリナはそう言うと、私のセーターを手にとって、まるで酸素ボンベで吸入するみたいに鼻に押し付けていた。
見ていたら、なんとなく私のほうが恥ずかしくなった。
考えてみると、「匂い」って不思議だ。
匂いを嗅ぐだけで、自分の中で遠い記憶がよみがえってきたり、脳内にふわっと別の場所のイメージがひろがったりする。
マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』は、紅茶に浸したマドレーヌの香りからふと幼少時代のことを思い出す…という展開から物語が始まる。
ルリナが私のセーターの匂いから脳内に南の島の光景がひろがったということであれば、まさにそれもそういう「無意志的記憶」といわれるものなのかもしれない。
ルリナにとって私の匂いは、南の島のパラダイスに吹く風をイメージさせるのだろうか。
おそらく、それは自由で解放感に満ちた香り。
もしそうであれば、それは私にとってもちょっと嬉しい。