旅をしなくなった
20代の頃の私は、お金を貯めて時間を見つけては一人旅をしていた。
豪勢な旅行ではなく、可能なかぎりの低予算で海外に渡って動き回るという貧乏旅行。
つまり、バックパッカーというやつである。
当時はちょうどバックパッカーがブームでもあったし、高校時代に沢木耕太郎さんの『深夜特急』を読んで、そういうアウトロー的な冒険がかっこいいと思っていたせいもある。
旅をする自分自身に酔っていたのだと思う。
ところが、何度か旅をするうちに、あるときふと気づいてしまった。
(やっぱり自分には旅が合わない…)と。
貧乏旅行の醍醐味は、おそらく「自由」なんだろう。
気ままに放浪し、行きたいと思った場所に足を運び、居心地がよければそこに好きなだけ滞在する。
ときには現地でまる一日を無駄に過ごすこともあれば、行き当たりばったりのハプニングも楽しんだり、ツアーでは行かないような場所にも踏み入れてみたりする。
現地の人達と触れ合ったり、自分と同じようなバックパッカーと仲良く友達になったりする。
おそらくそういうことを楽しめる人間が旅には向いているのだろうと思う。
実際に動いてみると、私は違った。
行き先へのルート、交通機関の乗り換え時間、目的地までの所用時間…、全ての行程を分単位で調べておかなければ気が済まなかった。
しかし、貧乏旅行なんてものは、当然ながら何もかも計画通りに事が進むわけがない。
乗り換え時間に失敗したり、バスや電車が時間通りに来なかったり、降りてみたらとんでもない別の場所に来てしまっていたり、…なんてことは日常茶飯事だった。
そうなると、私は自分が立てた計画の練り直しのことで頭の中がいっぱいになってしまう。
それだけでものすごいストレスになった。
それに、旅には信じられないようなトラブルが付きものだが、私にはそれが全然楽しめなかった。
現地のローカルフードを食べてみたら腹をこわしたり、現地の優しそうな住民を信じたら騙されたり、安宿での不潔な生活で得体の知れない菌にやられて高熱を出してしまったり、心身ともに弱りきっているところを強盗に襲われて貴重品を盗られたり・・・。
景色なんかゆっくり楽しんでいられないほど、旅は次から次へと悲劇の連続になるのである。
そして、日本へ帰る頃には疲れ果てて身も心もボロボロになる。
それでも旅から帰国すると、私は「楽しかった!」などと見栄を張って知人や家族に伝えたりもしていた。
が、今から白状すると、やっぱりそれは 嘘だったと思う。
楽しめていたわけがない。
今では、もう海外を旅したいとは思わない。
世界中をこの目で焼き付けたいとも思わない。
背伸びせず、カッコつけず、他人の価値観に流されず、身近な自然や場所でゆったり楽しむことが、自分にとっては本当の癒しになるような気がしているからである。