ゆらぎのある暮らし。
たまに、こんな人がいる。
ルールを自分にとって、都合よく解釈していく人。
それも、ルール違反を平気でする人が。
こういう人は、何でも拡げていく。
両手に一杯なのに、ますます拡げていく。
気づくと、中身がなく、元となっていたものから離れていく。
だから、こんな人もいる。
ルールを都合よく解釈できないように、より明確に限定しようとする人。
ルール違反などをすると、厳罰を求め与えようとする人が。
こういう人は、さっきとは反対に何でも狭めていく。
両手で握りつぶすように、どんどん狭めていく。
気づくと、身動きとれず、息苦しくなって殺伐としていく。
極端に、上下に左右に“分ける”。
いつしか、向き合うことを止める。
いや、実は向き合っている。
背中同士が向き合って、“別れる”。
どちらの言い分も、よくわかる。
かつての私が、両方を持ち合わせていたから。
40代ぐらいまでは、狭める人だった。
会社を退職して、反対側に住んでいた人たちと出会い、話し合い、
理解しあうことで、拡げる人になった。
しかし、今はどちらの世界にもいない。
いや、いない訳ではない。
住民票がないだけで、両方の世界を行ったり来たりしている。
住民票がないからといって、呼び止められたり、
拘束されたりすることもない。
訪れた世界で、うまいことやっているみたいだ、昔からずーっと。
少し前に、ある本を手に取った。
SNSで紹介されていて、「これだ!」と思って。
『混沌からの秩序』
この本は正直、難しい。
科学と化学から秩序を生み出す方法を、
抽象的と具体的の両方から解いていく。
頭の中を、ゆらゆらと揺すぶられる感じがする。
ときには、そのゆらゆらが睡魔を襲う。
その感覚が、どこか心地いい。
最近、気にいっている言葉がある。
「ゆらぎ」
大木をみると、仰ぎみて、圧倒される。
でも、風になびく草花をみると、心が和み、落ち着く。
私にとってのレジリエンスとは、「ゆらぎ」。
歳をとったからかもしれないが、ゆらぎのある暮らしを願っている。