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言葉から音を感じる。

最近、言葉を“添える”ということを意識している。

今仕事の中で、気になることがある。
よくある、コミュニケーション。

Slackなどのツールがあって、
  一見コミュニケーションを取っているように見えるが違う。
コミュニケーションとは程遠い、メッセージツールだった。

言葉が事務的で、何故か機械的なカタコト。
言葉がすごく省かれていて、ムダをなくした簡略化された言葉。
説明をせずに、一方通行のやり取り。
そのくせ、時に感情的なやり取りになってしまう。

メッセージの向こうから、タイピングの音が聞こえてくる。

使ってみてわかったのは、よくあるSNSと何ら変わらない。

ビジネスにおいて求められる
  効率性・生産性が凝縮されたツールではあるが、ただ何か物足りない。

コミュニケーションツールといいながら、
  コミュニケーションになっていない。

何が物足りないのか。

言葉が添えられていないのだ。
ほんの少し言葉が添えられていればいいのにと、思うことがたくさんある。

よく、寄り添うという言葉を口にする。

「添える」

似たような言葉に、「備える」がある。

備えるもどこか、事務的で少し嫌な音が聞こえてくる。

なぜ今社会で、「添える」という言葉が求められるかが、
  改まって分かった気がした。

言葉を音から聴くと、いろいろなものが聴こえてくる。
最近、特にそれが強くなってきた気がする。

異質な音も、機械的な音も、いろいろ聴こえてくる。
昔工場などから聞こえる音は、機械が生んだ音だったが、
  今の音とはどこか違う気がする。
どこか懐かしく、温もりを感じる。

そこから何かを探りたくなってくる。

音のない世界。

見えない世界のダイアログ・イン・ザ・ダークには、
  過去何度か大阪と東京の両方に行った。

聞こえない世界のダイアログ・サイレンスにも、
  日本で初めて開催された時、東北旅行の帰りに行った。

目が悪く、耳のいい私にとって、音のない世界は少し怖く不安だった。
しかし、心からはしゃいで楽しかったのは、音のない世界。

聞こえない音を追うことは止め、
  ただ見えているものから音を感じようとすると、
    ワクワクが止まらなかった。

見ようと、聞こうとするから、疲れてしまう。
ただ、心で、身体で感じようとすると、楽しくなってくる。

今は、今だからこそ、そういうことが大切な気がする。

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