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前にあるもの、先にあるもの。

高い所が、苦手だ。

初めて、高所恐怖症を自覚したのは、確か小学生の頃だった。
友だちが住む団地に遊びに行った時、
  2階の廊下から真下を見下ろして足がすくんだ時だ。

その他に、歩道橋を渡る時も、足元が見えるような建物も、苦手で嫌いだ。

高い所が好きな人には、決してわかってもらえない。
特に嫌なのが、高所恐怖症であることを知ると、からわれること。

「下、下」と煽られる。
足がすくむと、追い立てられる。

ただ、山から眺める景色は好きだ。

一度だけ、パラグライダーをしたことがある。
始めは拒絶していたけれど、いざ飛んでみると、
  一番はしゃいでいたらしい。
下にいる友達から、そう言われた。

でも、いつだっただろうか。
パラグライダーをした後だった。

本当に高所恐怖症なのかどうかが疑わしいことを知った。
気づいたのは、歩道橋を歩いていたとき。

歩道橋は、真ん中を歩く。
向こうから人が来るなら、怖がっていることがわからないように、
  真正面を向いてゆっくり歩を進む。
歩くというより、歩を進めるという感じ。

何が怖いのか。

真下に吸い込まれるような怖さ。
もっというなら、悪魔の誘惑だ。

歩道橋の下を走っている道路に落ちたら、車に轢かれたら、
  と想像した瞬間に怖さが襲ってくる。
想像しなければ、怖くない。

「○○したら」と勝手な妄想が、怖さを引き起こしていった。

もっというなら、怖さや恐れに引き寄せられる感じが、怖い。

パラグライダーの時も、怖さや恐れは始めだけ。
いざ、飛んでみるとなくなった。

「このまま延々と飛び続けたら、どこまで行けるだろうか」
「あの山を飛び越えたら、どこに行くんだろうか」

というワクワク感に変わっていた。

だから、下に降りたくないと思って飛んでいた。
わずか、数分の飛行だったけれど、何十分にも感じていた。

怖いと思わなければ、怖いことを想像しなければ、怖さはやってこない。
いつからだろうか、怖いと思わなくなった。

年を取ったからか、想像力が乏しくなったから。
それとも、楽しいことだけを想像するようになったからか。

きっと、想像する色が変わったのだと思う。

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