「人が変わった」というが、本当に変わったのだろうか
この文章は、約5 年前の2014 年3 月に、以前使っていたブログに投稿した内容。このブログを載せた翌々年の2016年2月に、「変わったのはなく・・」の答えを友人から贈られた。それを最後に追記したい。
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今朝(2014年3月)、少しふと思ったことを綴ってみたい。
「人が変わったね」ということを耳にする。
私も「変わった」と言われる。
しかし、本質的に「変わった」のだろうか。
言われた本人は首を傾げて、(別に変わっていないよ)と心の中で思う。
本当に「変わった」(正しくは「変われた」)人もいる。
でも心の中で、(特に変わっていはいない)と思っていないだろうか。
そう本当は、心の奥の隠していた自分が「顕れた」だけかもしれない。
本人の潜在意識にはあるから、「変わっていない」と思うのかもしれない。
本人は知っていても、
周りが気づいていなかった(知らなかった)姿をみて、
「変わった」と言っているだけかもしれない。
人は潜在能力を半分も出していないと言われるように、
潜在意識も出していない。
ではどうすれば、それを出せるか。
そもそも、なぜこんなことを思ったのか。
昨日(2014年当時)、開催中の「未来を変えるデザイン展」に行ってきた。
笑っている顔に見える鏡と悲しい顔に見える鏡を覗いて漠然と、
「この違いは何だろう。」と思ってしまった。
物理的には屈折などを使ってのみせ方だとは思うが。
いろいろと考えていると、その人の奥にあった姿を知りたいとふと思えた。
カウセンリングでよく「あなたは変われる」などのキャッチコピーを聞く。
これも実は、違っているのかもしれない。
頭が冴えだすと、たまにこういう言葉の違いについて考えたりする。
それを突き詰めるのも、案外面白い。
ここまでが、当時のブログの内容。これからが、追記の内容に。
2年が経った冬のある日(確かちょうど今頃)、友人と話をしていた。
彼に、「○○さん(友人)と出逢ってからいろいろ変わった。」と。
すると彼は、言った。
「変わったんじゃないよ。本来の自分に戻れたんだよ。」と。
この言葉を贈ってもらった時、なぜか救われた気がした。
なぜ救われたと思ったのか。
それは、いい意味で「変わった」と言われると、
それまでの自分を否定されている気がしたから。
戻ったという表現には、何も否定していないから。
そんな気がしたから、救われたと思えた。
人は鎧をまとい、どんどん武装していく。
社会で生きていくために、いや正しくは、勝つために、生き残るために。
まとい過ぎて、身動きできなくなる。
一度まとった鎧を脱ぐのは難しい。
鎧を脱いでいくことで、本来の自分に戻れた。
鎧を脱げたから、本当の意味の自由になれた。
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