数値の信用性
数値(事実)には客観性があるから、
第三者も数値をみて判断できると思われている。
よく根拠を示せと言われると、
文章で説明するよりも、客観性のある数値的な根拠を示す。
しかし実は、発表される数値には主観性(思惑・意図など)が入っていて、
正しくは判断できず、根拠があるとは言い切れない。
また、主観性は数値や表には表れにくいから、
主観性があることを知らず気づかない。
実際の公表数値には、みせたい情報だけみせ、
みせたくない情報はみせずに隠している。
これは何も、会社だけの話では決してない。
数値を発表している多くに共通するのが、情報のみせ方。
不正などが発覚してから、発表していなかった情報を開示することがある。
発表しなかった理由を訊かれ、次のように答えている。
「隠していた訳ではない。発表する必要はないと、判断したまでです。」
この判断は、客観的に判断したのだろうか。
いや、何をみせ何をみせないかには、主観的な思惑をもって判断している。
実は、財務情報から経営を読み解いているようで、
読まされている方が圧倒的に多い。
これは何も財務諸表だけでない。
よく私たちが目にするアンケート調査などもそうだ。
対象者に偏りがあることで、同じ質問でも傾向が変わる。
アンケートの問いの順を変えるだけでも、結果は変わる。
それを意識して、問いの組み立てをしたりする。
目にする情報には、目に見えない思惑や意図などが隠れ潜んでいる。
時には氷山のように少しだけみせ、多くは隠している。
このように読まされている財務情報だけをみて信用することには、
大きなリスクが潜んでいる。
二〇世紀末からの多くの粉飾や不正に金融危機などを振り返ると、
発表されている数値からだけでは信用できないことは明白な事実。