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(思索の足跡②)扉の向こうにあるもの

どのように書き綴るか、悩んだ。
よくある、書評のように本を纏めるようにしようかと、始めは思った。

でも、何かが違うような気がした。
どうも、すっきりしない。

そうだ、ページをめくる度に私を立ち止まらせ、
  思索させる言葉を、書き綴ることにした。
そう、自分の思索の足跡を巡ろうと思った。

私自身は、すっきりした。
ただ、読む人にとっては、読みにくいかもしれないが。
その辺りは、ご了承を・・・。

責任(レスポンシビリティ)は応答(レスポンス)と結びついている。応答とは何だろうか。<4頁>

このまえがきの最初の文章が、いきなり私を立ち止まらせた。

何気に、“応答”という言葉を使っていたからか、
  この何気ない問いかけに立ち往生した。
首を傾げ、独り言をいい、その場で足踏みをした。

そのすぐ後に、応答と反応について触れられていて、
  先に読み進むことができた。

応答と反応の違い。

それは、“自分なりの仕方で”があるかないか。
そこに、“意志が働いている”かどうか。

このことに気づいた瞬間、國分さんの前著とこの本が一気につながった。
つながった瞬間に、
  この本を読み終えた後に、前著を読み直すことを決めた。
そして、もう一度この本を、読み返して深く言葉と向き合おうと。

その前著は、『中動態の世界 意志と責任の考古学』。

ここから、扉の向こうにある階段を一段ずつ降り始めた。

自分に向けられた行為や自分が向かい合った出来事にうまく応答できないとき、人は苦しさを感じる。<5頁>

苦しさを感じるのは、どんな時かを思い返した。
多くは、自分の意志がなく、誰かに言われるがまま、ただ反応していた時。

苦しいのは私ではあるが、どこかそこに、私はいなかった。
私はいないはずなのに、その無機質な世界に、
  独りぽつりと立っている私がそこにはいた。
私を上から見渡すと、周りには誰もいない。


一旦読み進めたけれど、気になってしょうがなく、
  ページをめくり直した言葉もあった。

日常は生きることの出発点ではない。それは生き延びた先にある。<6頁>

次の言葉が続いた。

われわれは、日常が破壊される時代を生きているのではないだろうか。<7頁>


ここまでのまえがきで、一気に本に引き込まれた。
階段の先にある暗闇に、吸い込まれるような気分。

その暗闇には息苦しさはなく、
  暗闇の先にある微かに感じるあたたかい灯を感じ、惹き込まれた。

その灯を目指して、さらに歩いた。

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