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資本主義 “が” ダメなのか、それとも
この文章は、5年以上前の2013年9月に、以前使っていたブログに投稿した内容。改めてnote用に文章や言葉をリニューアルにしてみることに。
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以前から気になっていたことを綴ることに。
様々な問題の原因に、「資本主義が悪い」とよく言われる。少し前まではそう思っていたけれど、最近そうは思わなくなった。その理由は、二つ。
一つは、天邪鬼の性格だから。
周りがいうことに対して、「自分は違うことをする」と逆の思考や行動をしてしまう。昔から、「右向け右」とみんなが右を向いても、ひとりだけ左を向いているタイプ。
もう一つは、「本当にその意見は正しいの?」と疑問をもつ性格だから。
本当にどうでもいいことでも、ふと気になってしまう。資本主義が悪いと耳にするたびに、「資本主義って何?」「悪いのは何が?」「いいところはないの?」と、疑問がどんどんあふれていく。ある意味、好奇心に近い。
資本主義がなければ今の発展がなかったこと、これは明らかな事実。確かに発展しすぎ、自然を破壊したり、傲慢になって争いを起こしていること、これも事実。
いろいろ考えた末に、次のように思うようになった。
「資本主義が悪いのではなく、資本主義を使う(?)私たちの側に問題があるのではないだろうか。」
お金を稼ぐ仕組み、制度などがダメなのではなく、稼いだお金をどう使うかという行動の問題。稼いだお金を自分だけでなく、社会にも還元(分かち合う)できるような仕組みがあれば、問題はなく、誰も文句はいないと思う。
経済格差が様々な格差を生んでいること、これも一つの事実。だからといって、資本主義が悪いと言い切れるのだろうか。
今回(2013年当時)のアベノミクスも方向性は正しいと思う。ただお金の使い方が間違っているだけ。苦しんでいる人にお金が届かず、更に苦しみが増す仕組みにこそ、問題がある。これでは不条理で、心理的に受けいれられない。
海外の俳優は様々なボランティアや支援活動をしている。彼らは日本では考えらないお金を稼ぎ、それを社会に還元する意識が高い。ビル・ゲイツを始め海外の経営者は財団を創り、社会福祉活動をしている。もし彼らがそれをしなければ、多くの人たちは苦しみのまま。これもまた、一つの事実。
資本主義がダメだと言いつつ、資本主義が生み出した商品やサービスを利用しているのも事実。ダメだというのに、利用するのはなぜだろうか。
貧困を生み出したのが資本主義であるけれど、貧困を解決するのも資本主義の仕組みではないかと考えている。ただ個で終えるのか、社会への還元までの仕組みで考えるのかの目的の違いがある。
そう考えると、ふとドラッカーのポスト資本主義について書かれた『ネクスト・ソサイエティ』を思い出した。ドラッカーの本を読むと、彼は資本主義そのものを否定しない。お金は一つの手段であって、自分が得たもの(お金やスキルなど)を社会に還元できるかどうかの違いだけ。ただ、この違いが一番大きい。
東日本大震災で寄付が増えた。しかし今(2013年当時)は、減っている。先日、学生が京都の河原町で募金活動をしていた。周りをふと見渡すと、誰も彼らの活動を見ようとしない以前と変わらない景色がそこにあった。私が寄付した後もふと見渡したけれど、無関心の景色だけがそこにあった。
資本主義が悪いかどうかではなく、私たち自身が社会とどう向き合うかが一番大切だと思う。
2019年になった今、この文章を読み返すといろいろな想いが巡ってきた。
この文章の中に、“事実” という言葉がたくさんある。一つの事実だけみるのではなく、事実を積み重ねていって、それらをつなげて、本質的な問題に辿り着く。昔から、このような思考を持っていたことに気づいた。
ただ、都合のいい事実だけを取り上げるのも人の性。結局は、事実よりも、人の行為(行動)そのものに焦点をあてないといけないと思う。
「なぜ、したのか」(原因)よりも、「何が、そうさせたのか」(動機)
今改めて、『中動態の世界 意志と責任の考古学』(國分功一郎著)を読み直している。何度目かわからないが、読むたびに発見が。