母親の強さ、ぬくもり、そして愛情|ドラマ感想
これは、以前使っていたブログに当時観ていたドラマ『Woman』から感じたことを投稿した文章。読み返して今も大切だと思い、色あせない言葉が散りばめられたドラマだったので、改めてnoteに投稿することに。
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『Woman』の第10回は、母親の強さと愛情を強く感じた回だった。相関図はこちらに。
「なぜ、償いが必要なのか」
「何のために、償うのか」
前回の償い方から「償うことは何か」のついて考えることから始まった。健太郎(小林薫)の想いは、「人生をやり直すためにも(未来のため)必要だ」と聞こえた。
では未来を描くことを諦めた栞(二階堂ふみ)に償うことはできるのか。紗千(田中裕子)が栞との会話から、「償うとは何か」を問いかけているように思えた。
「あなたの人生は終わったと思いなさい」
突き放したように聞こえるかもしれないが、前後の文脈からは決して突き放していない。厳しいようで、母親としての愛情を感じた。終わったのだから、死を選べないと言っているように聞こえた。死にたいと思っている栞を、今の世界に留めるための。
すごく心が温かくなるシーンや言葉がいくつもあった。
病院で望海ちゃんが小春(満島ひかり)にたくさん話しかけたシーン。
一方的に話す望海ちゃんに、それをただ耳を傾ける小春の姿に親子の温かさを感じた。
そして、澤村先生(高橋一生)の言葉。
「 “彼女” を止める自信はあるけど、“母親” を止める自信はない。」
これが父親の場合も言えるのか・・・恐らく言えないだろう、残念ながら。女性ではなく、母親の強さを表す素敵な表現だった。
そしてもう1つは、紗千と栞のビルの屋上でのシーン。
まず、栞が紗千に言った「青柳信(小栗旬)さんに会いたい」。これは謝りたいではなく、「死にたい」に聞こえた。それを紗千はわかり、「楽になることは選べない」と言ったと思う(記憶が定かではなくて)。
栞について、いろいろな想いが書きこまれている。償うべきだという人が多いが、もし本当にその人が死を選んだ場合どうするのか。
口数の少ない栞について、わからないや気持ち悪いなども書きこまれている。相手のことを知ろうとせずに、「話さないから」「態度が見えないから」「想い(心)が届かないから」などで、相手と向き合うことを避けている気がする。
これは、「コミュ障」に対して耳にすることと同じかもしれない。今(2013年当時)、何かと人と人とを区別したがる社会になっている気がしてならない。
紗千と健太郎、そして栞がどのような会話をしたかはわかない。最後の病院で採血している栞の顔は何故か一番清々しい顔にみえた。「人のために、それも救いたいと心から願う人のために、何かができることに幸せを感じている」、そんな風にみえた。
最後に、小春が子どもたちに病気を伝えたくなかった理由を話していたシーン。
「“普通の” お母さんでいたかった。“病気の” お母さんになりたくなかった」
最終回の予告では、小春は栞の骨髄が適合しても受け入れないつもりだったとある。この“だった” が、希望を持たせてくれる。最終回はどのような話になるのでしょうか。
● 冒頭の温泉の素の話
「あなたは溶けるためにいます。溶けて意味をなくしたら、いなくなります」
(※言葉が聞き取りにくいので違っているかもしれません)
● 絵本「ウーギークックの子どもたち」
このウーギークックの運命と小春を重ねてしまう。最後のページはまだ出てこない。最後の絵が最終回のシーンになりそうな気がする。澤村先生が小春の検査結果を見て横目でウーギークックの絵本をみていたシーンがそんな風にみえた。
予告編での、信と小春の会話シーンの「最後のページ」
子どもたちがどのように「最後のページ」を読んでいるのか。
『Mother』のような、未来のシーンになるのか、最後にどのような絵を私たちに届けて頂けるのか、楽しみでしょうがない。