合わせ鏡。
昔は、唾をよく吐いていた。
と言っても、本当の唾ではない。
唾というよりも、文句や意見などの毒と言った方がいいのかもしれない。
ただ、下に向かっては吐かなかった。
いつも、上に向かって吐いていた。
そういう訳で、上の人からは、生意気な目障りな人間だった。
よく言われた。
「言われた通りに、指示された通りに、文句言わずにしろ!」
そう言われると、親しい人にはさらに反論した。
「どうするんだから、文句の一つでも言わせてくださいよ」
「それとも、文句は言わない替わりに、最低限だけの仕事でいいですか」
本当に可愛げのない人だった。
時には、吐いた唾が顔にかかった。
バケツの水になって、かけられたこともある。
その度に、唾の吐き方を学んでいった。
大学の一回生のとき、某体育会に所属していた。
当時は全国区ではなかったけれど、今は全国区になった。
四回生の先輩が、「言われた通りにしろ、蹴るぞ」と言った。
でも、蹴るぞの前に蹴られていた。
だから思わず、「もう蹴ってますやん」と言い返してしまった。
すると「はぁ?!」と言われて、アリキックを何発も受けた。
(アリキックと言って、わかる人はどれだけいるだろうか)
自分に返ってこないように、
角度など考えたり、かからない避け方を考えた。
今は、そんなこと考える前に唾を吐かなければいいのに、とは思う。
時には、予想もしない方向から、唾がかかってくるもある。
水鉄砲のように痛いことも、バケツの水のように息ができないこともある。
しかし今は、全く唾を吐かなくなった。
というより、口の中に唾が出なくなった。
ふと思う。
「あの唾とは何だったのだろうか。」
唾といっても、本当の唾ではない。
おそらく、その時の心のあり様というか、
乱れが唾となっていたのかもしれない。
実際の唾を吐くときも、
心落ち着いている時は、絶対唾は出ないし吐かない。
仮に唾が出ても飲み込む。
心の汚れや澱みが、唾となっていたのかもしれない。
そんな気がする。
人に唾を吐かなくなったのは、きっと心の汚れや澱みがなくなったからだ。
同時に、人に対して怒らなくなったし、周りに対する怒りもなくなった。
ただただ、その状況や状態を受け容れるようになった。
よく、唾を吐くなという。
それよりも、
唾を吐かなくてもいい状態になるようにすることがより大事。
行為を批判否定するよりも、
行為を生み出さない環境などがより大事。
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