( 思索の旅③ ) イノベーションに追われていないか
イノベーションが及ぼす “悪い影響” と、悪い影響から生まれた “違和感” を、そしてイノベーションの “課題” について考えていく。
イノベーションが及ぼす悪い影響
イノベーションとは何かと聞かれると、明らかな答えはない。使う人にとって都合のいい意味に解釈して使っている。言葉があふれだすと、本来の意味から離れていく。言葉に新しい命が宿るように、新しい意味が生まれていく。イノベーションの意味については、「イノベーションとは、何か」で詳しくふれていく。
正しい答えはないが、イノベーションが起こることで、起こり続けることで、私たちの生活は便利になり、社会はよりよくなっていく。このことは、疑いようのない事実である。不便になり社会を悪くするようなイノベーションは、イノベーションではない。便利になるから、社会をよりよくするから、「イノベーションが必要だ」という声が起こる。
イノベーションが生みだす効果や変化などの “イノベーションの必要性” については、耳にする。しかし及ぼす悪い影響については、あまり耳にしない。そこで、考えられる悪い影響について考えてみたい。表からではなく裏からみていく。
( 悪い影響① ) イノベーションの結果、格差が拡がっていく
生み出された新しいモノ(またはサービス)が、私たちに届く。イノベーションが起り続けるとは、新しいモノが届き続けることでもある。新しいモノが届くことで、どのような状態になるのだろうか。
すべての人に新しいモノは届かない、という前提で考える。新しいモノを手にできる人と手にできない人が生まれる。高付加価値から価格が高くなり、買える人と買えない人が生まれる。持つ人と持たない人が生まれる。格差が拡がっていく。
誰にでも届き格差を狭めることを目的とするような、社会システムを変革するイノベーション(ソーシャルイノベーション)もある。しかしそのようなイノベーションは、どれほどあるだろうか。多くは、特定の人に恩恵をもたらすようなイノベーションではないだろうか。
( 悪い影響② ) イノベーションが、会社を疲弊させていく
イノベーションから新しいモノが生み出されていく。21世紀は、技術力などに差がありマネすることが難しかった20世紀とは違う。技術力の差は、20世紀より早く埋められる。マネをすることも簡単になり、市場には類似商品があふれている。差別化による市場での優位性は、長くは続かない。技術の発展がイノベーションという魔法の杖を生み出し、技術の発展がイノベーションという魔法の力を消し去った。
優位性が失われると、新しいイノベーションが必要になる。イノベーションがイノベーションを呼ぶ、イノベーションの連鎖が起こっていく。イノベーションを起こし続けないと、会社は倒れる。会社が生き残るためには、イノベーションが必要になる。誰のための、何のための、イノベーションだったのか。
外側に向かってイノベーションを起こそうとした結果、内側の人や会社そして社会が疲弊していく。疲弊は創造性に悪い影響を及ぼす。イノベーションの質を低下させ、さらに疲弊する。イノベーションを起こし続ける組織(環境)をどのようにして創るかが、問われている。
悪い影響から生まれた違和感
「会社が成長していくために、競争に勝つために、生き残るために、イノベーションが必要であるかになっていないだろうか。」
イノベーションの目的が変わってしまった気がしている。ここに違和感がある。経営が停滞すると、経営層はすぐに「イノベーションだ」と叫ぶ。イノベーションを起こすことが、経営に義務づけられ、目的化している気がする。イノベーションを起こし続けることを求められた結果、会社は、社会はどうなるのだろうか。
イノベーションの課題
「イノベーションは本当に必要だろうか。」
「既に在るリソースを本当に活かしきれているのだろうか。」
多くの会社や社会そして人は、既に在るリソースを活かしきれていない。いや、まだ在ることを実は知らない。まだ在るにも関わらず、それを活かさず、新しいモノを生み出そうとする。 “まだ在る” のに、 “もう無い” と思い込んでいる。
目を向けるのは、外にある新しい何かではない。内に在って活かしきれていないリソースという可能性に、目を向けることが必要である。イノベーションという言葉が駆け足で、私たちの周りをただ駆け巡っている感がする。
外に目を向ける前に一度立ち止まり、イノベーションの意図・狙いや及ぼす影響などを検討しなければならない。その上で、イノベーションが必要かどうかを判断すればいい。イノベーションを考える前に、すべきことがある。